2016年9月17日 (土)

心理西部劇 (13): 「ワーロック」

村の仮想上映会の最終回は、リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、アンソニー・クイン主演の "Warlock"。エドワード・ドミトリク監督による1959年の西部劇で、カラーでワイドスクリーン。昔テレビで何度か見たことがありますが、廉価な日本盤DVDで、ワイドスクリーンで二時間ちゃんと見れて幸せ。

荒くれ者の集団がワーロックの町でやりたい放題なので、保安官も逃げ出す始末。無法の町になってしまうのを恐れた町民たちは、町を収めることを仕事にしている名うてのガンマン、ヘンリー・フォンダと相棒アンソニー・クインを雇う。その一方で、町民たちはフォンダに町を牛耳られることを懸念し、荒くれ集団の一員だったリチャード・ウィドマークを保安官代理に任命し、フォンダを牽制する。その結果、いくつかの組合せの決闘へと至る。

さて、サイト&サウンド誌5月号にはどんなことが書いてあるでしょうか。

50年代の西部劇の最後を飾るのは、西部劇の赤狩りへの関与が頂点に達した「ワーロック」である。ドミトリク監督の反神話化をめざした試みは、「真昼の決闘」や「大砂塵」よりも複雑であり、人気の点でも正統性の点でもイマイチのものとなった。

ドミトリク監督は、40年代末期に下院非米活動委員会への非協力ゆえにハリウッド・テンとしてブラックリスト入りした10名のうち、非協力を撤回した唯一のメンバーだった。この映画でドミトリクは自らを正当化しようとしている。ブラックリスト入りしたあと、ドミトリクは刑務所に入れられ、共産党にハメられたと思うようになった。1951年、再び委員会の前に立ったドミトリクは、1944年から45年まで共産党員だったことを告白し、26人の党員名を挙げた。

ドミトリクの役を演じるのはリチャード・ウィドマークである。彼は荒くれ仲間から離脱し、町を守る立場に転じる。さらに、ワイアット・アープのようなガンマン、ヘンリー・フォンダが雇われ、血を流すことなく荒くれ者たちを静かにさせる。

ウィドマークが保安官代理に任命されたあと、誰がアメリカの反抗分子たちを監視すべきかの分析となる。ウィドマークは町民のための適度な役人なのに対し、フォンダは権威主義的な非米活動委員会の調査官である。

ウィドマークが荒くれ者たちとの決闘に臨む前夜、フォンダは、手に傷を負っているウィドマークに助言を与える。だが、相棒のアンソニー・クインは、フォンダがウィドマークの背後から援護することを邪魔する。ドク・ホリデイとロイ・コーン(マッカーシーの胡散臭い主任顧問)の混合物であるアンソニー・クインは、ウィドマークが荒くれどもに殺されればいいと思っている。彼は、これまでどおりフォンダとともに町から町へと巡回し、支配的な立場に君臨したがっている。

だが、彼らの時代は終わった。勝ち目のないウィドマークが荒くれ者たちと決闘するとき、今まで見て見ぬふりをしていた町民たちがウィドマークに加勢する。民主主義を通じた法と秩序の回復を見せることで、「真昼の決闘」でゲイリー・クーパーが軽蔑して捨てた保安官のバッジを「ワーロック」は拾い上げ、ほこりを払った。

これで、心理西部劇シリーズ、おしまいです。

2016年9月16日 (金)

心理西部劇 (12): 「無法の拳銃」

心理西部劇特集も残り二本。最後から二番目はアンドレ・ド・トス監督の1959年の "Day of the Outlaw"。白黒のワイドスクリーン。今まで知らなかったけど、かなり面白い。

北国の入植者20名の村が舞台。ある農民が有刺鉄線を張るので、それに反対する牧場主ロバート・ライアンと決闘するまでに至る。そこへ七名ほどの群盗がドカドカとやってきたので、対立関係が村人たち対群盗へ移行する。群盗たちはライアンをガイドに雪山を越えようとする。村人たちに無慈悲で、いやな奴だったライアンが、群盗との関係では、いい人に見えてきます。

群盗のリーダーはフォーク歌手としても有名な太っちょのおじさんバール・アイブスで、もともと厳格な南北戦争の将校だったのか、部下たちに女や酒を禁じています。村には魅力的な女性がいるのに、ダンスだけで満足できるのか。このころ、まだ、ふしだらな行為を理由なく描いてはならぬという規制があって、苦肉の策だったりして。

雪山に入ってからが迫力で、深い雪の中をつらそうに進んでいる馬たちがかわいそう。さて、サイト&サウンド誌にはどう書いてあるのでしょう。

ハンガリアからの移民アンドレ・ド・トスが監督した西部劇は11本あり、「無法の拳銃」はその最後の作品。暴力の否定が中心テーマである。たぶんソビエトのハンガリー侵略が念頭にあったと思われる。「シェーン」のガンファイターの神話化を平和主義者が描いたら、こんな作品になるのだろう。

「シェーン」のように、牧場主と小規模な農民がフェンスを張ることで対立している。農民の美人妻が牧場主と関係を持っていたこともあって、農民と牧場主は決闘しようとするが、七名の銀行強盗がやってきて、村をのっとる。

瀕死の重傷を負っているリーダーによって牧場主の心理が変化する。まず、元軍隊の厳格な隊長が下品な部下たちを統率して村の女性たちに手出しさせないようにしていることに心打たれる。次に、1857年にユタ州でモルモン教徒が移民を大虐殺したとき、この元隊長が命令を下し、このことで彼が苦しんでいることを知る。

ほとんど集団レイプのようなダンスを牧場主がやめさせるのは、銃を使ってではなく、近づく追手から逃げるには雪山に入るしかないと説得することによってである。(雪山の素晴らしい撮影はラッセル・ハーランによるもので、タランティーノの「ヘイトフル・エイト」(2015)の開巻に影響を与えている。)

シェーンのように、牧場主は愛する女性をあきらめるが、彼は村にとどまる。暴力の衝動と自分勝手な肉欲を彼が自制できるようになったことで、よりよい幸福がもたらされる。

アメリカのDVD。字幕なしなら動画サイトでも見ることができます。

2016年9月15日 (木)

心理西部劇 (11): 「反撃の銃弾」「復讐の駆け引き」

8年前に購入したバッド・ベティカー監督、ランドルフ・スコット主演の米盤DVD6枚組に二作とも収録されています。「反撃の銃弾」の原題は1957年の "Tall T"、「復讐の駆け引き」は1959年の "Ride Lonesome"。両方ともカラーでワイド画面。70分少々という短さがいい。

「反撃の銃弾」は、駅馬車の中継所を管理する父と息子がリチャード・ブーンをリーダーとする無法者三人組(ヘンリー・シルバを含む)に殺され、この親子の知人のランドルフ・スコットと新婚カップルが人質にされる。

前回上映の「決断の3時10分」と同じエルモア・レナード原作。「決断の3時10分」でグレン・フォードが演じた無法者ほどではないにしても、リチャード・ブーンの無法者は完全なる悪人ではない。女や酒のことしか話さない手下どもを嫌っているし、気骨のあるランドルフ・スコットを気に入っているし、悪い道に入ったのも、そうするしかなかったとか言っています。

新婚カップルの妻は、もともと金持ちの娘のオールドミスで、夫はお金のために結婚したのです。この女性の役にモーリン・オサリバンがピッタリで、ランドルフ・スコットとのロマンスもいい味つけ。ジョニー・ワイズミュラーのターザンの相手役として有名で、ミア・ファローのお母さん。

「復讐の駆け引き」の女優カレン・スティールは、もっと若くてグラマーで、色恋沙汰のエピソードがないのが不思議なぐらい。賞金稼ぎのランドルフ・スコットがお尋ね者を捕まえて、目的地まで連行する話。その間、駅馬車の中継所でカレンと無法者(パーネル・ロバーツとジェームズ・コバーン)と合流し、先住民やお尋ね者の仲間たち(リー・バン・クリーフを含む)と対決する。(パーネル・ロバーツは60年代のテレビシリーズ「カートライト兄弟(ボナンザ)」で有名。)

どちらの作品もチャールズ・ロートン・ジュニアが撮影した風景がきれい。青空と、遠くの山脈と、砂漠と、いろんな形の大きな岩がたくさん並ぶ近景。

さてさて、サイト&サウンド誌5月号にはどう書いてあるのでしょう。

バッド・ベティカー監督は闘牛士だったので、「七人の無頼漢」(1956)と、それに続くラナウン (Ranown) シリーズの6本は二つの不均衡な勢力間の悪知恵競争だと言われている。(「ラナウン」はプロデューサーのランドルフ・スコット Randolph Scott とハリー・ジョー・ブラウン Harry Joe Brown に由来。)

頭の回転が速い一匹狼のランドルフ・スコットが一方にいて、彼を武器で脅す予測不能の悪者がもう一方にいる。「反撃の銃弾」も「復讐の駆け引き」もバート・ケネディが脚本を書いており、男性的な行動に関する簡素で皮肉たっぷりな劇である。

両者とも駅馬車の中継所で事件が起こる。まわりの砂漠、深く険しい小渓谷、群がった巨石、使い古した小屋は文明から遠く離れており、各登場人物が責任を負うのは自らの良心に対してのみである。

「反撃の銃弾」では、ランドルフ・スコットは自らと中年の花嫁(モーリン・オサリバン)を無法者から救出しなければならない。「復讐の駆け引き」では、押し寄せる先住民たちのために、中継所に取り残された管理人の妻(カレン・スティール)と二人の無法者(パーネル・ロバーツとジェームズ・コバーン)とともに旅する羽目になる。

スコットがお尋ね者を連行するのは、賞金目当てではなく、自分の妻を殺したお尋ね者の兄(リー・バン・クリーフ)に復讐したいからだ。無防備の美女は、男の自制心に負担を強いるという役割をくつがえし、主人公の欲得ずくの本性に疑問を投げかける。

スコットは、個人主義者であり、ぶっきらぼうである。彼はリアクション役者であり、話し上手なリチャード・ブーンやパーネル・ロバーツ演じる悪者は彼の反応によって自らを判断する。彼ら無責任な男どもは、土地に根づく代わりに犯罪で生活しているので、彼らが牧場を持ちたいと言うとき、スコットは懐疑的な態度を示すしかない。「反撃の銃弾」のリチャード・ブーンは暴力をやめることができないが、パーネル・ロバーツとジェームズ・コバーンは「復讐の駆け引き」の最後で定住する用意があるように見える。

2016年9月13日 (火)

心理西部劇 (10): 「決断の3時10分」

デルマー・デイビス監督の1957年の "3:10 to Yuma"。コロンビア配給の白黒作品。お尋ね者グレン・フォードが逮捕され、干ばつで困っている牧場主バン・ヘフリンが報酬目当てにユマの州刑務所までフォードを護送する話。フォードの手下どもの襲撃をうまくかわせるかというハラハラ。

フォードが悪役なのが面白く、肝がすわっており、インテリやくざっぽい魅力があります。酒場の女とイチャイチャしている間に逮捕されるのがトホホ。酒場の女を演じているのはフェリシア・ファーで、60年代初めにジャック・レモンと結婚します。70年代初めにレモンが監督した「コッチおじさん」で、ウォルター・マッソー演じる老人を嫌う嫁を演じたときに知りました。彼女よりも魅力的なのがバン・ヘフリンの奥さんを演じるレオラ・ダナで、英国の貴婦人みたいな品があります。

さてさて、サイト&サウンド誌5月号にはどのように書いてあるのでしょう。

結婚していない大人の男女が関係を持つことは、両者に合意があれば、特に異常ではないことを示した最初の西部劇。むしろ、これは西部開拓時代よりも1950年代に当てはまる。グレン・フォード演じる無法者のリーダーが酒場の女フェリシア・ファーと関係を持つのは、恋愛関係になることを期待してのものでもないし、罪の意識ももたらさない。

このエピソードでグレン・フォードは女性を口説くのがうまいというイメージが確立する。その一方、最初の駅馬車襲撃を傍観するしかなかったバン・ヘフリンは妻から非難される。自分の土地に水を引く資金欲しさと男らしさを回復するためにヘフリンはフォードを刑務所まで護送する役目を引き受ける。その途中、自分の家に寄った際、フォードはヘフリンの妻におべっかを使う。

「真昼の決闘」の影響がある。フォードの護送を頼まれた民警団や保安官代理たちの臆病さは赤狩り時代の疑心暗鬼のなごりである。この作品はユーモアがありすぎて、西部劇のフィルムノワールとみなすことはできないが、チャールズ・ロートン・ジュニアの撮影は、ホテルの場面でフィルムノワールのように息の詰まりそうな雰囲気を作り出しているし、長い影の使用によってバン・ヘフリンの一家が干ばつでにっちもさっちもいかなくなっていることを表現している。

デルマー・デイビスの西部劇は巧みに人道的であり、この作品ではフォードに罪のあがないをさせている。彼の最後の自己犠牲は、バン・ヘフリンの気骨への尊敬と彼の妻への同情に由来しているのだろうが、あいまいなままである。

2016年9月10日 (土)

心理西部劇 (9): 「血ぬられし爪あと/影なき殺人ピューマ」

心理西部劇シリーズも9回目。序文が1回目だったので、8本目の上映です。

今回はウィリアム・ウェルマン監督の1954年の「Track of the Cat」。これは、日本では正式上映されたことがないのですが、「影なき殺人ピューマ」というテレビ題名で放映されたのを昔見たことがあります。「血ぬられし爪あと/影なき殺人ピューマ」という長ったらしい題名をインターネット上でチラホラ見かけます。米盤DVDを入手しました。

20世紀初めの雪山地方にポツリと住む家族の話で、西部劇というより、崩壊寸前の家族を題材にしたドラマ。宗教を振りかざす独裁的な母(ビューラ・ボンディ)とアル中の父(フィリップ・タング)に育てられた三人の息子(ウィリアム・ホッパー、ロバート・ミッチャム、タブ・ハンター)と娘(テレサ・ライト)。独裁的な母のせいか、誰も結婚していない。ただ、末っ子(ハンター)には婚約者(ダイアナ・リン)がいて、彼らの家に宿泊しています。この二人が将来に希望を持たせます。

近くの雪山に馬ほどの大きい山猫が住んでおり、家畜を襲うので、長男(ホッパー)が退治に行くのですが、逆にやられてしまい、今度は次男(ミッチャム)が雪山に入っていきます。山猫自体は登場せず、なにか象徴的な存在らしい。

そういえば、7月8日仮想上映の1947年の「追跡」でもロバート・ミッチャムとテレサ・ライトが共演していました。あのとき、まだ可愛いかったテレサ・ライトは、すっかりオールドミスで、誰だかよくわからない。

さて、サイト&サウンド誌5月号にはどんなことが書いてあるのでしょう。

原作はウォルター・バン・ティルバーグ・クラークで、ウィリアム・ウェルマンが彼の原作を取り上げるのは「牛泥棒 (The Ox-Bow Incident)」(1943)に次いで二度目。ジョン・ウェインのプロダクションが製作(ワーナー配給)。長男を演じるウィリアム・ホッパーは、ゴシップ・コラムニストのヘッダ・ホッパーの息子。

反共産主義者のジョン・ウェインとヘッダ・ホッパーが組んでいることで、真っ赤なコートを着ている嫌われ者ミッチャムはまるで赤軍のようだし、ほかの家族たちは恐怖におののくハリウッド社会のよう。ミッチャムは、彼が退治しようとしている黒いピューマと同一のものとみなされており、彼の悪意によってほかの家族はヒステリー集団と化す。

「牛泥棒」が集団リンチを批判していることから考えると、こういう解釈はもっともらしい。しかも、脚色したAIベゼリデスは赤狩り時代に仕事を探すのに苦労した左翼。ニコラス・レイの「危険な場所で」(1950)の脚本を書いたことのあるベゼリデスは、同じように、破滅をもたらす男らしさと不寛容さに関する心理ドラマを作りあげ、荒野に住む者にとって自らの掟を重んじる必要があることも描いています。

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2016年8月31日 (水)

心理西部劇 (8): 「裸の拍車」

やっと涼しくなり始め、猛暑の間生きるのがやっとだった村長も息を吹き返しそうな気配。というわけで、心理西部劇シリーズまだまだ続きます。今回は、アンソニー・マン監督、ジェームズ・スチュアート主演の西部劇「裸の拍車 (The Naked Spur)」(1953)。この監督主演コンビの西部劇は、ほかに「ウィンチェスター銃73」(1950)、「怒りの河」(1952)、「遠い国」(1955)、「ララミーから来た男」(1955)があります。

賞金稼ぎジェームズ・スチュアートがおたずね者ロバート・ライアンを追っており、途中で出会った金採掘老人ミラード・ミッチェルと元北軍兵士ラルフ・ミーカーとともにライアンを捕まえ、賞金をもらうために裁判の場まで連れて行こうとする話。ライアンは亡くなった仲間の娘ジャネット・リーを連れていたので、彼女も一行に加わる。途中、先住民たちとの戦いがある以外、この五名だけの道中記。

さてさて、サウンド&サイト誌5月号には何と書いてあるのでしょう。適当に端折っているので、適当に読んでね。

アンソニー・マン監督の西部劇の特徴の一つは善悪二元論にもとづく争いであり、それがもっとも飾りっけなく描かれているのが「裸の拍車」です。自然の中で撮影され、社会から取り残された五名の内部でダイナミックが展開が繰り広げられます。

1868年の出来事で、ジェームズ・スチュアートは、保安官を殺したロバート・ライアンを追いかけています。そそり立つゴツゴツした岩や流れの速い川といった障害のある道のりが彼らの行く末を象徴しているかのようです。

当初スチュアートは自分のことを保安官だと言っていましたが、途中で賞金稼ぎだということがバレて、老人と元兵士は賞金の5千ドルを山分けすることを主張します。厄介者のライアンは、彼らの弱みにつけこみ、仲間割れさせようとします。金を探し求めている老人に対しては、ありもしない儲け話で釣ろうとし、スチュアートと女好きの元兵士に対してはジャネット・リーを利用して互いに反発させようとします。

スチュアートの自己嫌悪の原因は、彼が南北戦争で戦っている間、婚約者だったメアリーが彼の牧場を売り払い、恋人と一緒に逃げたことです。彼が賞金目当ての男になったのは、地獄のような苦しみを味わうことを無意識的に延期したいからです。マン作品でスチュアートが演じる主人公には必ずマゾっ気があります。

裏切る前の無邪気なメアリーを思い起こさせるジャネット・リーが悪者ライアンとともに行動していることは、メアリーの裏切りから生じた苦しみを再び味わうというモラルの危機をスチュアートにもたらします。ライアンを生かすべきか殺すべきかはスチュアートの運命を決する問題なのです。

2016年8月18日 (木)

心理西部劇 (7): 「無頼の谷」

楽しい職場アンジュルム。昨夜のサマステ。45分のライブを早朝から食い入るように見つめる低め打ちの村長。

最近ミニミニデートならぬミニミニブームなのが元カウシルズのスーザン・カウシル。キャロル・キングが1962年の夏から秋にかけてヒットさせ、全米22位まで上昇させた自作曲 It Might As Well Rain Until September を70年代にスーザンがカバーしたのをダウンロード購入。

12本シリーズの心理西部劇特集も6本目になりました。タイトルが7回目になっているのは、村長のあいさつが最初にあったから。

さて、本日は、フリッツ・ラング監督、マレーネ・ディートリッヒ、アーサー・ケネディ、メル・ファーラー主演の「無頼の谷 Rancho Notorious」。1952年のカラー映画。

婚約者を殺されたアーサー・ケネディが犯人を探し求める。たどりついたのは、ディートリッヒが営む牧場。そこは、お尋ね者たちの隠れ場で、ケネディが仲間に加わって犯人を捜し出そうとしているうちに、ディートリッヒに魅せられ、彼女の恋人のメル・ファーラーと三角関係になる。

細身で色気のあるメル・ファーラーのガンマンとディートリッヒをめぐって争う主人公にアーサー・ケネディは地味すぎる気がしました。アンソニー・マン監督、ジェームズ・スチュアート主演の西部劇で、いい奴なのか悪い奴なのかよくわからない男は良かったけど。

ケネディが犯人を探し求めて旅しているうちに、ディートリッヒが重要人物として浮かび上がり、何人かが彼女の回想するのは面白かった。歌によって物語が進行するのも面白い趣向。

はてさて、サイト&サウンド誌にはどう書いてあるか。

ラング監督の以前の「地獄への逆襲 The Return of Frank James」(1940)や「西武魂 Western Union」(1941)は自然な風景の中で展開されていたが、この作品では、ドア、柱、地形の配置によって画面の中でさらに縁どられており、次第に主人公たちは運命のワナにはまってしまう。

「憎悪、殺人、復讐」の物語を思い出させる歌が挿入され、ブレヒトのような異化効果をもたらし、復讐に駆られているケネディから観客を遠ざける。フィルムノワールのような回想シーンの導きでケネディは刑務所に入り、メル・ファーラーと出会う。そして、法の届かない無法者の楽園にいざなわれる。

「明日に向かって撃て」の壁の穴を思わせる場所で、実際、ポール・ニューマンが演じたブッチ・キャシディ一味の壁の穴は同じワイオミングにあったのです。

RKO配給映画で、ハワード・ヒューズによって題名がかえられただけでなく、断片的な物語が再編集され、ケネディの追跡が従来のスタイルで描かれています。

2016年7月27日 (水)

心理西部劇 (6): 「真昼の決闘」

(以下は、村長がサイト&サウンド誌5月号の記事を盗用して語っている上映前のあいさつ。)

心理西部劇特集第5弾は、「シェーン」と並ぶ1950年代西部劇の代表作「真昼の決闘」(High Noon)。フレッド・ジンネマン監督、ゲイリー・クーパー主演、グレース・ケリー共演の1952年の白黒映画。90分のできごとを同じ時間で描く試みを行っています。

ジョン・フォードの超保守的な「荒野の決闘(いとしのクレメンタイン)」 (1946, My Darling Clementine) を修正したもの。「荒野の決闘」の自己満足的で、人種差別主義のワイアット・アープは、平等主義で、真面目な保安官ウィル・ケイン(ゲイリー・クーパー)に作り直されています。おとなしい女教師クレメンタインはクエーカー教徒の勇敢な花嫁エイミー(グレース・ケリー)に、ロマンチックに陰鬱なドク・ホリデイは残忍な悪漢フランク・ミラー(イアン・マクドナルド)に、使い捨てのメキシコ人娼婦チワワは力強いメキシコ人実業家ヘレン(ケティ・フラド)へと作り直されています。

ケイン保安官とエイミーが結婚する日、釈放されたミラーが三人の仲間たちと復讐のためにやってきますが、保安官を手助けする町民がいないので、保安官は一人で四人と戦わなければなりません。エイミーも彼を置き去りにしますが、かつてケインの恋人だったヘレンから彼が町と自分を守らなければならない理由を聞いて、戻ってきます。

たんに「真昼の決闘」を赤狩りの寓話としてのみとらえるのは流行遅れです。ケイン保安官が共産主義者をやっつける冷戦時代の戦士だとする右翼的な考え方はどうかと思うし、脚本家のカール・フォアマンが1948年ごろ念頭にあったのは国連でした。かつて共産主義者だったフォアマンは、「真昼の決闘」製作中に非米活動委員会から出頭を命じられ、黙秘権を行使しました。追放やブラックリスト入りを受けそうになったフォアマンは、弱い者いじめの好きな政治グループに屈しない人物として保安官を作り直しました。

「真昼の決闘」は、民主主義の失敗を悲劇的に描いています。町に投資しようとしている者が殺し合いのせいで遠ざかりはしないかと危惧する町民たちは保安官とともに戦うことを拒否するし、最後にエイミーが平和主義を捨てることは、暴力は暴力によってしか戦うことができないという保安官の主張を裏打ちしています。

ジョン・ウェイン曰く、「私が見た中で最も非米国的な作品だ」。ハワード・ホークス監督は「真昼の決闘」への反論として「リオ・ブラボー」を作ったのですが、皮肉にも、ケイン保安官は、その孤独な立場によって、仲間たちとともに町の刑務所を守るウェインの保安官よりもたくましい個人主義者となっているのです。

さて、では上映します。利用しているのは、廉価DVD10枚組の「西部劇パーフェクトコレクション」シリーズの「真昼の決闘」編。

【眠いので、こっそり帰ろうとしている村長】

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2016年7月23日 (土)

心理西部劇 (5): 「拳銃王」

第四回上映「拳銃王」はヘンリー・キング監督、グレゴリー・ペック主演の1950年の白黒映画。「西部一の早撃ち」という神話的存在を解体するというアイディアを生み出したのは脚本家の一人アンドレ・ド・トス。「西部一の早撃ち」はハリウッドが作り出したものですが、原子力時代におけるアメリカの立場にも関係しています。

ジミー・リンゴ(グレゴリー・ペック)は血気盛んだった過去を後悔しており、妻ペギー(ヘレン・ウェストコット)と幼い息子と一緒に落着きたいと思っています。リンゴはテキサスのある町で教師になっている妻を見つけます。その町では、かつての盗賊仲間マーク・スレット(ミラード・ミッチェル)が保安官をしています。

ジミー・リンゴという名前は、ワイアット・アープと敵対していた実在の無法者ジョニー・リンゴに由来しています(ジョン・フォードの1939年の「駅馬車」でジョン・ウェインが演じたリンゴ・キッドもジョニー・リンゴに由来)。

アンドレ・ド・トスはエロール・フリン、ハンフリー・ボガート、ボクサーのジョー・ルイスとの親交をジミー・リンゴのキャラクター作りに利用しています。ジョー・ルイスは、いつも「お前はあまり強そうじゃないな」と徴発されていたそうです。

ジミー・リンゴは、どの町でも、酒場に行くたびに、評判を聞きつけた若造に挑まれます。そのたびに、自ら生き残るために、死者を増やしてしまいます。

ヘンリー・キング監督の腕前が見事なのは、リンゴがいる酒場付近に集まった子供たちや大人たちの前で公正な決闘をするのではなく、建物の陰に隠れていた若造が待ち伏せしてリンゴを襲うことです。罪をあがないたいというリンゴの夢が砕かれます。

大きな文脈から見れば、冷戦初期の米国のすぐれた軍事能力とモラルの権威者としての立場が国民の安全を守ることができず、米国は世界で最も大きくて狙われやすいターゲットになったというガッカリする現実を示しているのかもしれません。

DVDは「西部劇パーフェストコレクション」シリーズの「アパッチ砦」に含まれているもの。

2016年7月14日 (木)

心理西部劇 (4): 「地獄への挑戦」

最近、ノルマを午前中で終えて、昼からゆったりしている村長ですが、蒸し暑くて、体がベトベトして、ぐったり。なんとか夕方までにやる気を出して上映した心理西部劇特集の第3弾はサミュエル・フラーの1949年の監督デビュー作「地獄への挑戦」(I Shot Jesse James)。

長身で猫背のヘンリー・フォンダみたいで、フィルムノワールや西部劇で悪役が多いジョン・アイアランドが、1882年にジェシー・ジェームズを背後から射殺したロバート・フォードを演じています。彼が主人公で、恩赦と報酬欲しさにジェシーを射殺し、そのときの様子を再演する舞台の仕事をもらうんだけど、心に葛藤があって、そのシーンを演じられない。銀の採掘で金持ちになっても、恋人には振られるし、まわりからは白い眼で見られるし・・・。

実際のジェシー・ジェームズにはホモっ気があり、女装して兵士たちを怪しげな館に誘い、仲間たちと一緒に兵士を殺害し、金品を盗んでいたそうです。映画でも、ジェシーの入浴シーンなど、彼とロバートの間には、なにか怪しげなムードが漂っています。逃亡暮らしに疲れているジェシーの奥さんは、男二人の関係に激怒したそうです。1949年の作品だから、そんなことをあからさまに描けなかったのでしょうが。

銀でひと儲けするためにミズーリからコロラドにやってきたフォードは、恋敵のジョン・ケリー(プレストン・フォスター)と相部屋になります。この二人が各々自分の銃を掃除する場面にもホモ的な雰囲気が漂っています。これは、1948年のハワード・ホークス監督の「赤い河」でジョン・アイアランドとモンゴメリー・クリフトがお互いの銃をいじる場面を想起させるそうです。(「赤い河」を再見しなくちゃ。)

ジェシー殺害の舞台を見ていた観客の若者がアメリカで一番のガンマンになるために通りでロバート・フォードを射殺しようとする場面は次回上映の「拳銃王」につながります。

クライテリオンのイクリプスシリーズ第5弾 The First Films of Samuel Fuller のDVD使用。

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