レコード会社との契約
1950年10月、ローズ・マークスは、ドミノズをラジオの新人発掘番組に出演させました。観衆の反応が良かったのに気づいた黒人のアレンジャー兼ギタリストのレネー・ホールは、キングレコードのシド・ネイサンに電話します。当時、キングレコードはけっこうヒットを出していたのですが、ボーカルグループの市場にはあまり踏み込んでいませんでした。土ミニ図に関して、ネイサンはどうすればいいのかわからなかったので、A&Rマンのラルフ・バスに任せます(ラルフ・バスは、すでに、ジャック・マクビーの "Open the Door, Richard" とT・ボーン・ウォーカーの "Call It Stormy Monday" という大ヒット曲をプロデュースしていました)。
ラルフ・バスは、ドミノズをじかに聴いて、「ポップグループとしては十分にポップじゃないし、R&Bグループとしては十分にR&Bじゃない」と思いました。バスは、彼がどのようなものを望んでいるのかの例としてオリオールズのレコードを聴かせたら、ビリー・ワードは「そんな曲なら、いつだって書けるさ」と言いました。実際そのとおりでした。
シド・ネイサンはラルフ・バスを信頼していたので、バスのために子会社フェデラル・レコードを設立し、バスが発掘した新人を録音させることにしました。バスはドミノズをキングにいれたくなかったので、フェデラルに入れて、フェデラル最初のレコードを録音させました。
ドミノズのデビューシングル "Do Something for Me" は、18歳のクライド・マクファターがリードシンガーを務めるお涙頂戴のバラードで、R&Bチャートを上昇しました。B面の "Chicken Blues" のほうがロック調で、「シックスティ・ミニット・マン」の準備運動といった感じでした。こっちはビル・ブラウンがリードを務めました。A面はオリオールズのソニー・ティルのバラードを模倣し、B面はレイブンズのジミー・リックスのアップテンポなブルーズを模倣することで、ビリー・ワードは丸損を防いだ(hedging his bets) というのが、この本("What Was the First Rock 'n' Roll Record?")の著者の意見。
(続く)
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