8曲目は、Wynonie Harris and His All Stars の "Good Rockin' Tonight"。
- R&Bチャート1位
- カテゴリー:R&B、ジャンプ・ブルーズ
- 作者:ロイ・ブラウン Roy Brown
- レーベル:オハイオ州シンシナティのキング
- B面:"Good Morning Mr. Blues"
- 録音日:1947年12月28日、シンシナティ
- 発売時期:1948年2月
- なぜ重要か:「ロッキン rockin'」に関係したレコードの流行のきっかけとなる。
- 影響を受けたのは:
トミー・ドーシー Tommy Dorsey の "(Ah Yes) There's Good Blues Tonight" (1946年、ポップチャート23位)とロイ・ブラウンの "Good Rockin' Tonight" のオリジナル(1948年、R&Bチャート13位)
- 影響を与えたのは:
ワイノニー・ハリス自身の "All She Wants to Do Is Rock" やエタ・ジェームズ Etta James の "Good Rockin' Daddy" など、「ロッキン」に関係した数々のヒットソング。 興奮させるために「ホイ、ホイ、ホイ Hoy hoy hoy」という叫び声を使用しているいくつかのレコード。
- 重要なリメイク:
ワイノニー・ハリスの "Good Mambo Tonight" (1954)
エルビス・プレスリー (1954年にサンレコードから発売した2番目のシングル)
トレニアーズ The Treniers (1956)
パット・ブーン (1959、ポップチャート49位)
ジェームズ・ブラウン (1967)
ロバート・プラント&ザ・ハニードリッパーズ "Good Rockin' at Midnight" (1984)
夜の娯楽を賛美したこの曲を書いたのはロイ・ブラウンだ。「ニュースを聞いたよ。今夜、素敵なロッキンがあるってさ!」。戦争が終わり、戦後の繁栄が始まったんだ。だから俺はロッキンして、楽しい時を過ごしているんだ。ポピュラーソングのご婦人たち、スイート・ロレイン Sweet Lorraine、スー・シティ・スー Sioux City Sue、スイート・ジョージア・ブラウン Sweet Georgia Brown、カルドニア Caldonia ら、みんな集まってるよ。(これらは歌手ではなく、曲のタイトルに出てくる女性名のようです。)
ラジオ解説者のガブリエル・ヒーター Gabriel Heatter は、第二次大戦中、ロングアイランドの自宅から、「こんばんわ、アメリカ、今夜は良いニュースがあるよ!Good evening, America, THere's good news tonight! 」で始まる、吉報を告げる番組を毎晩放送した。国民は、ヨーロッパや南太平洋からの暗いニュースばかりの中で、いくばくかの楽観主義をニュースキャスターたちから得ようとしていた。それは、ウォルター・ウィンチェル Walter Winchell の「こんにちわ、アメリカ、そして海上のすべての船 Hello, America, and all the ships at sea」同様、よく知られたあいさつだった。
1946年、黒人トランペッターで歌手のサイ・オリバー Sy Oliver は、白人のトミー・ドーシー楽団とともに録音していた。その年、彼が書いて録音した "(Ah Yes) There's Good Blues Tonight" は、ポップス市場でかなり売れた。ヒーターのあいさつにヒントを得て作られたこの曲は、次のように始まる。「聞いてくれよ。今夜は良いニュースがあるんだ。そんなんだ、今夜はすてきなブルーズがあるんだ。今夜はカッコいいブルーズがあるんだ。」この曲のメロディと全体的なメッセージは、翌年にロイ・ブラウンが書くことになる曲と驚くほど似ていた。ラッキー・ミリンダー Lucky Millinder がデッカレコードでカバーした "There's Good Blues Tonight" は、ドライブ感を出すために、楽団に絶え間なく手拍子を叩かせているが、以前ミリンダー楽団の歌手だったワイノニー・ハリスも、彼のバージョンで、オールスターズに手拍子を叩かせている。
だが、"There's Good BLues Tonight" のメロディも借物だった。サイ・オリバーは、トミー・ドーシーと1941年に録音したゴスペル風のヒットソング "Yes Indeed" を盗用したものだったし、その曲自体、オリバーがどこで見つけたものかわからない。("Yes Indeed" は1958年に零・チャールズが録音。)
ロイ・ブラウンの「グッド・ロッキン・トゥナイト」と比較すると、ワイノニー・ハリスのバージョンには三つの特徴がある。第一に、ワイノニーは、好色で、遊び好きだった。「私が歌っているストレートなブルーズは、男と女、愛と憎しみについての歌だ。」第二に、ワイノニーにはすぐれたバンドがいた。オラン「ホットリップス」ペイジ Oran "Hot Lips" Page のカッコいいトランペット、ハル・シンガー Hal Singer の猛り狂うテナーサックス、ジョー・ナイト Joe Knight のうねるピアノ、カール「フラットトップ(角刈り?)」ウィルソン Carl "Flat Top" Wilson が激しく鳴らすベース、それに絶え間ない手拍子。第三に、ワイノニーは、R&B界で最も有能な独立系レコード会社、キングのために録音した。
キングレコードの所有者シド・ネイサン Syd Nathan は、シンシナティ市のブルースター街にある大きな倉庫に本部を構え、録音からマーケティングに至るすべてのプロセスをそこで行っていた。アーティスト、彼らの歌、録音スタジオを所有していた。ジャケットから発送用のパッケージに至るまですべてを製造していた。レコードプレス工場も所有し、スクラップのセラックやビニールをリサイクルして新しいレコードを作った。配給会社も持っていた。
ワイノニー・ハリスは、1915年8月24日にネブラスカ州オマハで生まれた。スポットライトを浴びたいという夢を実現するためにクライトン大学を中退し、ナイトクラブで司会やタップダンスをしたが、すぐにブルーズを歌い始めた。バンドリーダーのルーシャス「ラッキー」ミリンダー Lucius "Lucky" Millinder がデッカから発売したレコードで彼を歌わせ、そのうちの "Who Threw the Whiskey in the Well?" がヒットしたため、ネイサンは1947年後期にハリスと契約した。
ハリスは、ビッグ・ジョー・ターナー Big Joe Turner を崇拝しており、自分よりうまい歌手は彼だけだと考えていた。ミリンダー楽団でアルトサックスを演奏していたプレストン・ラブ Preston Love は、「ワイノニーは、ブルーズが世界で唯一の音楽だと考えていた」と語っている。ビッグ・ジョーは、「ブルーズのボス」として知られていたので、ハリスは良いあだ名はないかと探した。"Mr. Blues Is Back Is Town" というヒット曲によって彼のあだ名が決まった。
ミスター・ブルーズは、1947年12月に、ツアーの合間を縫って、20曲近くを録音した。1948年元旦から始まるミュージシャンのストライキに備えてだった。そのうちの一曲が「グッド・ロッキン・トゥナイト」だったが、ハリスはまったくこの曲に魅力を感じず、音楽の歴史を変えるなんて考える由もなかった。
作者のロイ・ブラウンは次のように語る。「私が最初に書いた曲のうちの一つだった。当時は、著作権、レコード、ロイヤルティなんて全然知らなかった。無一文だったので、金を稼ぎたかった。「グッド・ロッキン・トゥナイト」を茶の紙袋の切れ端に書いて、ニューオリンズの Dew Drop Inn で演奏していたワイノニー・ハリスのところに持って行った。」
ハリスは歌いたくなかった。休憩中に、ハリスのバンドがこの曲をロイと演奏した。メンバーの一人が、別のクラブで演奏しているピアノ奏者セシル・グラント Cecil Grant のところに持っていったらどうだい、と提案した。
グラントは、自分で演奏する代わりに、ニュージャージー州のデラックスレコードの所有者ジュールズ・ブラウン Jules Braun を紹介した。グラントがブラウンに電話をかけて、ロイが電話で曲を歌うと、ブラウンが飛行機でニューオリンズに飛んできて、急いで地元のスタジオで録音させた。デラックスレコードが「グッド・ロッキン・トゥナイト」を発売し、ニューオリンズのディスクジョッキー、ポッパー・ストッパー Poppa Stoppa が地元でヒットさせて、やっとワイノニー・ハリスはこの曲を録音する気になった。
ロイのバージョンでは、「ウェ~~~~~ル」とわめいたあと、しばらくして、「今夜すてきなロッキンがあるってニュースを聞いた。俺のカワイ子ちゃんをきつく抱きしめるつもりだ。彼女は俺が強い男だってことを今夜思い知るだろう。今夜すてきなロッキンがあるってニュースを聞いた」と歌う。ハリスは歌詞をそんなに変えなかった。歌が進むにつれ、ハリスは終わり方を忘れてしまったらしい。ロイ・ブラウンが "Hoy sister, hoy sister, ain't you glad" と歌っているところを、単に「ホイ、ホイ、ホイ」と何度も叫んでいるだけだ。プロデューサは、演奏者の生の興奮が何よりも重要と考えたか、その日のハリスからはこれ以上のものを引き出せないと考えたらしい。いずれにせよ、ブラウンのオリジナルよりもはるかにハードにロックしていたから。歌詞を間違えたなんてことはどうでもよかった。
"Hoy, hoy, hoy" という叫び声に関して言えば、30年代に黒人のドン・レッドマン Don Redman がつくった "Down, Down, Down" という曲には "Just send yourself, holler hey! If not, you better say hoy" という歌詞が含まれていた。1947年初期、「グッド・ロッキン・トゥナイト」の数ヵ月前、スティック・マギー Stick McGhee が「ドリンキン・ワイン・スポ・ディー・オー・ディー」の最初のバージョンで「ホイ」を二度使用していた。しかし、「ホイ、ホイ、ホイ」が束縛されない自由の叫びになるのは、ハリスが荒々しく叫んでからだ。
1948年夏、ロサンジェルスのバンドリーダー、ロイ・ミルトン Roy Milton は「ホイ、ホイ、ホップ」というコーラスが印象的な "Hop, Skip and Jump" を録音した。リトル・ジョニー・ジョーンズ Little Johnny Jones は、1954年、その曲を "Hoy Hoy" というタイトルで再録音した。50年代後期には、コリンズ・キッズ Collins Kids という若いロカビリーデュオが、同曲で小ヒットを飛ばした。スティック・マギーが1949年に大ヒットを飛ばした「ドリンキン・ワイン・スポ・ディー・オー・ディー」の二番目のバージョンでは、最初のバージョンの「ホイ」が騒々しい「ホイ、ホイ、ホイ!」になっていた。同時期、テキサスのブルーズマン、ゴリー・カーター Goree Carter が "Hoy-Hoy" を録音した。(「ホイ」という言葉は中英語にさかのぼる。注意を向けさせたり、動物を追うときに使われた。最近では、「ヘイ hey」に取って代わられている。)
「グッド・ロッキン・トゥナイト」の人気によって、ハードにロックするレコードだけでなく、ハードにロックすることついてのレコードも次々と生まれた。ワイルド・ビル・ムーア Wild Bill Moore の "Rock and Roll"、コニー・ジョーダン Connie Jordan の "I'm Gonna Rock"、ビル・マシューズとバラーディアーズ Bill Mathews and the Balladeers の "Rock and Roll"、アーリン・ハリス Erline Harris の "Rock and Roll Blues"、そしてワイノニー・ハリス自身の "All She Wants to Do Is Rock" などが「グッド・ロッキン・トゥナイト」に続いた。リル・サン・ジャクソン Lil Son Jackson、ジョン・リー・フッカー John Lee Hookerらも "Rock and Roll" というタイトルの曲を作ったが、"and" が変形していた。究極のタイトルは、サックス奏者ハル・シンガー Hal Singer の "Rock Around the Clock" (1950) で、これは1953年にソニー・ディー&ザ・ナイツ Sonny Dae and the Knights の同名曲とは違う曲だった。ビル・ヘイリーがカバーしたのは後者である。
ワイノニー・ハリスは、マンボ・ブームに便乗して、歌詞を少し変えただけの「グッド・マンボ・トゥナイト」を1954年に録音したりしたが、50年代後期に引退して、ブルックリンでカフェを開いた。1969年6月14日、ガンのためロサンジェルスで死去。ロイ・ブラウンは、1981年5月、管バックの最中に心臓発作で死去。
エルビスは、1954年に、サンレコードからの2枚目のシングルとして「グッド・ロッキン・トゥナイト」を発売。彼が基にしているのはワイノニー・ハリスのではなくロイ・ブラウンのバージョンで、かなり現代風に改良している。スイート・ロレイン、スー・シティ・スー、スイート・ジョージア・ブラウン、カルドニアといった黒人向けの古臭い言及は削除され、ワイルド・ビル・ムーアの単純な即興 "We're gonna rock, rock, rock, yerh, rock!" に取って代わられた。