2018年7月31日 (火)

「ストーリーの語り方」第2問

第1章の二問目は、「細かい例を挙げながら、ストーリーと語り方の違いを述べよ。映画による提示方法は、どのようにストーリーの世界の解釈に影響を与えるか。」

ピントがくるっていても、とにかく回答してみます。

文中で「ハムレット」をローレンス・オリビエ、フランコ・ゼフィレッリ、ケネス・ブラナーが映画化ものが言及されているので、それらの作品を取り上げました。オリビエのは1948年で2時間半、ゼフィレッリのは1990年で2時間15分、ブラナーのは1996年で4時間。

ハムレットの父が亡くなったあと、父の弟が母と結婚し、王位を継承する。父の幽霊が現れ、「弟に毒殺されたので、復讐せよ」と告げられる。ハムレットは狂人のふりをして、愛するオフィリアをもあざむき、復讐を遂げるが、オフィリアも母も自分も死んでしまう。

もともとシェークスピアの戯曲なので、どの作品もセリフは大事にしていて、一番リアルに描いているゼフィレッリ作品でも演劇くささは抜けない。「ロミオとジュリエット」のオリビア・ハッシーや「ブラザーサン・シスタームーン」のジュディ・バウカーのように、ゼフィレッリは清楚で愛らしい女性を見つけるのがうまいらしく、この作品のヒロインが一番可愛い。ヘレン・ボナム・カーターという女優さん。ほかのはジーン・シモンズとケイト・ウィンスレット。でも、原作自体、二人の恋愛関係を深く描いていないので、どの作品でも彼女の哀れさが伝わってこない。

オリビエ作品は自らが演じるハムレットを中心に白黒でどっしり描いており、演劇風な舞台装置や流麗なカメラワークによる堂々たる作品。

ブラナーのはセットがきれいで、白や赤や黒が際立つ。これもブラナー自身が主演しており、現代風なコスチュームのせいか、自分が演出しているのを見せてくれているかのよう(特に劇中劇のエピソード)。

三問目は「なぜ映画を見ることを「読む」というのか。本を読むことと映画を読むことの類似点と相違点は?」

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2018年7月12日 (木)

「ストーリーの語り方」第1問

"How Films Tell Stories" は映画の物語論についてわかりやすく書いている本。全12章の各々の最後に数個の問題が出題されていて、全部で75問。各々を一週間でやると一年半かかります。ま、余裕を持って二年とします。きっと二年後には、今よりもいくらか深く映画鑑賞ができるようになっているでしょう。

第1章は「物語論ご紹介」で、最後に三問出題されています。一問目は「ストーリーの伝え方について小説と映画の違いを述べよ。映画化された小説を例に挙げてもよい。そのストーリーを映画化する際、どのような変更をおこなわなければならなかったか」というような内容。

的外れな回答になるかもしれませんが、自分の趣味なんだから、楽しくやるよう心がけます。

で、選んだのは、1936年に月刊誌に連載された林芙美子の「稲妻」を1952年に大映が成瀬巳喜男監督で映画化したもの。脚本は田中澄江。

三人姉妹がいて、彼女たちには男の兄弟が一人いる。四人は父親が違う。長女と次女は店を持っているが、どちらの夫も情けないし、無職の兄弟も情けない。次女の夫が急性肺炎で亡くなる。次女と夫の間に子供はいないが、夫には愛人がいて、赤ちゃんをおんぶした愛人が保険金をせびりにくる。

唇に先天性異常のある末娘は結婚をあきらめているが、一回り以上違うパン屋との結婚話が持ち上がる。パン屋は精力的な男で、長女と次女と関係を持ち、各々のために新しい店を開く。末娘は次女や母の家に同居していたが、引っ越して一人住まいを始める。そこにもパン屋がやってきて、彼女の体を奪おうとする。

中心に太いストーリーがある小説ではなく、母親と子供たち、その亭主たち、そして精力的な男の人間模様を描いており、その場その場の描写や心の動きが面白い。そんな中からストーリーが浮かび上がってきます。小説で一番共感できるのは末娘だけど、彼女の視点からだけで小説は書かれていない。映画では高峰秀子というスターが末娘を演じており、彼女の視点から描かれています。唇に先天的異常があるという小説の設定は、映画では採用していない。

小説が発表された1936年ではなく、1952年の現代に移されていることは重要。小説では、母は生きるのが精いっぱいで、その時々で頼れる男と仲良くなったために、父親の異なる子供ができたのでしょう。長女や次女がパン屋とできるのも、愛欲というより、生きるためにそうなってしまったという感じが強い。映画では生活がより豊かになっており、末娘は電話交換手でなくバスガイドで、最初から華やか。次女の古着屋はうまくいってないようだけど、小説ほど傾いてはいない。中北千枝子演じる赤ん坊を抱えた愛人は映画でも貧しい。

小説でかなめとなるパン屋は加東大介あたりのイメージですが、映画では小沢栄太郎が演じています。小説のギトギトした感じはないけど、いやらしさはある。小説では、末娘まで彼のものになってしまうのかどうかというサスペンスがありますが、彼は小説ほど重要人物ではなく、映画のラストは母親と末娘が互いに思っていることをぶつけ合うというもので、母と娘のドラマになっています。母親を演じるのは浦辺粂子。

末娘の引っ越し先の隣人が根上淳と香川京子のさわやかな兄妹で、隣から聞こえてくるピアノの調べに末娘はウットリ。これは小説にもある設定で、映画では香川京子が出てくるだけで十分伝わる品の良さ。この隣人たちと末娘の距離は小説よりも近く、根上と高峰の関係が発展していくことも匂わせます。

第1章の二問目は、「細かい例を挙げながら、ストーリーや語り方の違いを述べよ。映画による提示方法は、どのようにストーリーの世界の解釈に影響を与えるか。」来週までの宿題。