« 映画と感情: Emotion and the Structure of Narrative Film (6) | トップページ | 1979年1月第5週に見た映画 »

2012年1月30日 (月)

映画と感情: Emotion and the Structure of Narrative Film (7)

本来暑がりで、寒いのは気にならなかったのですが、高血圧だと判明してからは寒さに対して恐怖するようになりました。寒いと血管が収縮して血圧が上がるからです。頭痛などの症状が出ることはないのですが、さすがに零度ぐらいだと早朝の散歩を控えなければならないので、なんか一日しっくりこない。

昨日少し述べた「追われる男」をフリッツ・ラングが監督したというのは「マンハント」という映画のことです。ジェフリー・ハウスホールドの原作の後半は、自分で掘った穴に隠れている主人公とナチのスパイらしき男との何日にも及ぶ持久戦で、泥と糞尿にまみれて耐える主人公の様子をどう描くのだろうと思っていたら、最後に少し出てくるだけでした。原作は女っ気がまったくと言っていいほどないのに、映画ではジョーン・ベネットとのロマンスが延々と続き、主人公が早く逃げて緊迫した追跡劇にならないかなあという気持ちと、きれいで可愛いジョーン・ベネットを少しでも長く見たいという気持ちがぶつかり合いました。ここまでロマンスを引っ張るのであれば、大甘な結末になればいいのにと思いましたが、さすが戦争中の映画ですね、ベネットの運命は厳しいものでした。

では、昨日の続き。

今日の伝統的な劇映画は、支配的なイデオロギーについての非公式な教育のようなものを観客に与え続けている。(Jowett & Linton (1989) Movies as Mass Communication 2nd edition (Sage Publications))

Schatz がハリウッドのジャンルについての著書に書いているように、ジャンルは支配的な倫理観を伝えるのにすぐれた手段なのである。(T. Schatz (1981) Hollywood Genres: Formulas, Filmmaking and the Studio System (Temple University Press))

伝統的な映画の保守的な効果は、検閲や自己検閲に関する研究で強調されることが多い。これは、パウダーメイカーが詳細に論じたハリウッド映画の一面だし、より最近のスタジオ製作史でさらに突っ込んで論じられている。(Bordwell, Staiger & Thompson (1985) The Classical Hollywood Cinema: Film Style and Mode of Production (Columbia University Press))

しかし、文化的研究は、劇映画の研究に重要なニュアンスを加えている。支配的な価値観を保つ映画があるのは認めるとしても、文化上の多数派が共有する見識や固定観念のみには訴えかけていないジャンルも存在する。たとえば、1930年代のロマンチックコメディがそうである。この場合、見識や固定観念は、結婚や家族に関連した女性の性的能力に関するものである。(Neale & Krutnik (1990) Popular Film and Television Comedy (Routledge))

古典的なアメリカのメロドラマ映画も、変化を促し、同様の問題に関するイデオロギー的な見方について話合いの道を開こうとしている。(Lang (1989) American Film Melodrama (Princeton University Press))

変化に富んだ新しい経験に対する人々の欲求は、人々は自分たちが知っていることを楽しむという事実と、多かれ少なかれバランスを保っている。劇的なストーリーの素材は、分類や同一化に対するほとんど普遍の欲求を満たしてくれる。おきまりの登場人物や筋書きは、たやすく同化するための理想的な手段なのである。(W.J. McGuire (1974) "Psychological Motives and Communication Gratification" in J.G. Blumler & E. Katz (eds.) The Uses of Mass Communications: Current Perspectives on Gratifications Research (Sage Publications))

実験心理学で報告されている結果も、よく知っていることに対する好みを示している。

まず、単純接触効果がある。人々は数多く接している刺激を好む。すでに接触していることに気づいていないとしても、無意識のうちにそのような刺激を好む。(R.B. Zajonc (1968) "Attitudinal Effects of Mere Exposure"; (1980) "Feeling and Thinking: Preferences Need No Inferences")

第二に、原型が重要な役割を果たす分類理論に基づいて、型にはまった刺激の美学的効果を評価する実験がなされている。刺激の享楽的価値は、その刺激が属している部類の典型的な例に一致する程度によって決まる。実験の結果は、最大の好みと結びついた原型性の度合いによって異なる。(E. Rosch (1978) "Principles of Categorization" in E. Rosch & B.L. Lloyd (eds) Cognition and Categorization (Arlbaum Associates); Rosch & Mervis (1975) "Family Resemblances: Studies in the Internal Structure of Categories" ほか)

自分の信念を確認する必要が映画の選択を決定づけるとする研究者もいる。人は政治観や倫理観といった認知傾向を強めるテレビ番組を選択する傾向があるとする調査結果や、公正な世界を信じることとテレビのアクション番組や冒険番組を好むことの間には相関関係があるとする調査結果がある。これらの結果は、人々は自分の信念を確かめるために特定の種類の番組を見るということを示している。

ここでも、文化的アプローチによる研究のいくつかで、実際にはテレビ番組は非常に雑多であり、視聴者は確証のみに興味があるわけではないことが示されている。

(テレビについては、John Fiske の Television Culture (1987) という本を参考文献に挙げていますが、これは The John Fiske Collection: Television Culture という最新版が2010年に Routledge から出ています。)

社会における自分の存在を強めることも劇映画を見る機能であろう。社会で共有されている考え方を認識することは、個人の所属感に対する必要性を満たしてくれる。その一例は、誰か、または何かを犠牲にして語られる偏見的なジョークに対して笑うことである。フロイトが指摘したように、これは笑う物同士のきずなを強める。笑いを共有するだけでなく、ほかのさまざまな感情を共有することは、同一の世界観に根ざした共同社会の一員であるという認識を強めてくれる。これには、ホラー映画を見る観客を引きつけて離さない原始的な不安といった感情が含まれる。

美術館やコンサートや演劇に行くのと同程度の社会的満足を伝統的な劇映画が与えてくれないことをより詳しく調べことは、ためになるかもしれない。芸術や文化に参加することで、かなり社会的地位の高い価値が得られる。演劇、特に現代劇は、高い文化形式と考えられており、社会的な地位に関連した動機を満足させる点で評価が高い。大衆的な映画は、この動機に対して魅力が少ない。映画に関しては、社会的な地位を得ることは、夕方、友人と一緒に過ごすことほどは重要でないように思える(映画の中には、ある種の観客に対して高尚な価値を持つと思われる作品もあるが)。

大衆的な映画を選択することによって、高尚な文化への反抗を表現することができるかもしれない。これは反カント的な態度であり、喜びを最も重要なものとし、参加と共感を主たる目的とするものである。

(小項目「映画のイデオロギーと参加」おわり)

|

« 映画と感情: Emotion and the Structure of Narrative Film (6) | トップページ | 1979年1月第5週に見た映画 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/155702/53863587

この記事へのトラックバック一覧です: 映画と感情: Emotion and the Structure of Narrative Film (7):

« 映画と感情: Emotion and the Structure of Narrative Film (6) | トップページ | 1979年1月第5週に見た映画 »