フィルムノワール入門 (39)
Andrew Spicer の "Film Noir" (2002, Longman) の第4章「テーマと物語戦略」の後半の物語戦略。「ボイスオーバーとフラッシュバック(その1)告白」「ボイスオーバーとフラッシュバック(その2)調査」「主観カメラと夢の状態」の三つに分かれていて、今日は「ボイスオーバーとフラッシュバック(その2)調査」です。先週も書いたように、「ボイスオーバー voice-over」はナレーションのことで、画面外からナレーターが一人称や三人称で語る技法です。
この部分では、ロバート・シオドマクの「殺人者」(The Killers, 1946) とジョン・ブラームの「危険な女」(The Locket, 1947) のみを論じています。
【ボイスオーバーとフラッシュバック(その2)調査】
調査によって展開する物語には謎めいた中心人物がいることが多い。「市民ケーン」(1940)や「仮面の男」 (The Mask of Dimitrios, 1944) とか。だが、語り口自体は複雑である。
アンソニー・ベイラー Anthony Veiller による「殺人者」の脚本は、開巻の素材にしかならない謎めいたヘミングウェーの短編を11の不連続のフラッシュバックに拡大している(クレジットされていないが、ジョン・ヒューストンが共同で脚本を書いている)。物語の対象はスエード(バート・ランカスター)で、生きる意欲を失っており、二人の殺し屋から逃げようとも隠れようともしない。
デビッド・ボードウェルが指摘しているように、どのフラッシュバックも幻覚的でも、夢のようでも、ごまかしでもなく、語り手たちが知っていることに限定されている。各フラッシュバックには、その語り手が目撃した出来事しか含まれていない。(D. Bordwell (1985) Narration in the Fiction Film)
チャールズ・フォスター・ケーンのように、スエード自身は語ることを許されておらず、謎めいた不在の中心人物に留まっている。保険調査員(エドモンド・オブライエン)は何が起こったかを次第につなぎ合わせていくが、調査は最終的に的はずれなものとなり、1947年の保険会社の基本料率が10分の1セント下落するだろうというものでしかない。本当に暴露されたのは、人々が互いに誤解しながら存在するように運命づけられた混沌とした世界である。(J. Shadoian (1977) Dreams and Dead Ends: The American Gangster/Crime Film)
スエードは死から逃れられなかったのかもしれないが、それは気まぐれで悪意のある世界におけるおびただしい数の死傷者数の一つにしかすぎない。主人公たちのあいまいな動機が織り合わされて、犯罪とエロチックな魅力(スエードが夢中になる魔性の女キティ(エバ・ガードナー))の物語となっている。この物語は、合理的な調査に対して説明不能で理解できない分だけ力強い。
現代的な「殺人者」と違って、ジョン・ブラームの「危険な女」はあきらかにフロイド主義的であり、ナンシー・ブレア(ラレイン・デイ)の心の不安定さを説明するために回想のなかに回想を使っている。彼女は結婚式の日に倒れる。彼女の前夫であるハリー・ブレア医師は彼女の過去について新郎ジョン・ウィリスに警告する。ブレア医師の長い回想にはナンシーの最初の夫である画家ノーマン・クライド(ロバート・ミッチャム)の回想が含まれている。クライドは同じ理由で警告するためにブレア医師に会いに来た。さらに、クライドの回想にはナンシー自身の原光景の回想がはめ込まれている。
母親の雇用主ウィリス夫人が、(首飾りに付ける)ロケットを盗んだとナンシーを非難して、告白を迫ったことがトラウマになっているのである。この非難は中流の上の社会の無神経さと召使いに対する軽蔑を示しているが、同時に、ナンシーの美しい物に対する所有欲と上昇志向が永遠に拒否されることも示している。これが強迫的な窃盗やうそつきへとつながり、二人の前夫の人生を破滅させてしまう。ナンシーの勝利の瞬間、すなわち憎たらしいウィリス夫人の息子と結婚することでロケットを結婚プレゼントとしてもらうことは、ぶれあの到着によって阻止される。
「危険な女」には相反するものがある。まず、将来の夫たちに対する女性嫌いの警告として解釈できる。花嫁を信用するなかれである。その一方で、ナンシーのフロイト的な語りと彼女が倒れることは、この映画において最も生き生きとした部分であり、彼女を憐れむべき心理的トラウマの必然的な結果として彼女の行動を理解すべきであると提示している。彼女がゆっくりと花婿に倒れかかるとき、彼女はオルゴールを倒してしまい、その音楽が子供時代の盗まれたロケットのトラウマ的場面を呼び起こす。この音楽は結婚行進曲に取って代わり、彼女の過去からの一連の映像、人物、場面を呼び覚まし、それらが彼女の面前で渦巻き、彼女の崩壊をもたらす。映画は、主人公に対する非難と同情の間で揺れ動くことで、語りの過程と、男性の語り手が女らしさの問題を制御しようとする試みに注意を引きつける。
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