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2011年9月30日 (金)

フィルムノワール入門 (25)

世の中では忘れかけられている存在なのかもしれませんが、10年間アイドルを続けたっていうのはすごいことで、御苦労さまでした。しかし、今度リーダーになる娘は同期なので10年以上続けることになるし、まだ今度の10月20日で23歳なのだ。新しい4人も入り、今年になってからの新メンバーが8人で古いメンバーが4人という変化せざるを得ないグループになって、おじさんの楽しみが増えたのだ。

Andrew Spicer の Film Noir (2002, Longman) の第3章「フィルムノワールのスタイル」の序文を読んだので、最初の見出し「フィルムノワールのスタイルの進化-実験期間 1940-1943」。

フィルムノワールは、オーソン・ウェルズ監督とグレッグ・トーランド撮影監督の「市民ケーン」(1941)にかなり影響を受けているというのは第1章で述べたとおりとありますが、すでに忘れちゃいました。ようするに、「良質な映画」の華やかなスタイルに対抗するきっかけを作ったのが「市民ケーン」ということでしょう。しかし、ボリス・イングスター監督、ピーター・ローレ主演のRKOのB級映画 "Stranger on the Third Floor" が最初のフィルムノワールとされており、これは「市民ケーン」よりも7ヵ月前の1940年9月に公開されています。(最近、1939年に公開された "Let Us Live" と "Rio" というユニバーサルの二本のB級映画と "Blind Alley" というコロンビア映画が最初のフィルムノワールだと主張する研究家がいるそうです。Arthur Lyons (2000) Death on the Cheap: The Lost B Movies of Film Noir (Da Capo) 参照。)

ウーファで働いていたイングスターはドイツ表現主義を自由に駆使していて、特に中間あたりでジョン・マクガイア扮するリポーターが夢を見ます。イライラする隣人を殺した罪で自分が裁かれているという悪夢で、以前このリポーターの証言のせいもあって無実の男が殺人で有罪となったことがあり、その罪の意識を反映したものです。「カリガリ博士」から直接影響を受けた影、抽象的なデザイン、照明が特徴のようです。目が覚めたら隣人の喉がナイフで切られており、自分自身がやったのか、ピーター・ローレ扮する謎の男がやったのかで苦しみます。撮影監督はニコラス・ムスラカです。ドイツ表現主義に基づいた独創的な視覚スタイルによって、夢と現実があいまいになる妄想的な罪の意識をフロイト風に描いた力強い作品だそうです。アメリカのワーナーからDVDが発売されていますが、字幕はないようです。

パラマウントでは、ウーファで働いていた美術監督ハンス・ドライアーが1923年に加わり、1932年から1950年まで主任美術監督を務めました。彼はパラマウント映画のヨーロッパ的な外見を発展させ、その中にはスタンバーグの「暗黒街」(1927)も含まれていました。1941年10月、ドライアーは、より様式化に重点を置くことによって製作費を削減する計画を立てます。この影響が最初に現れたのがB級映画で、そのなかに「地下室の狂人 Among the Living」(1941) がありました。南部のゴシックとフィルムノワールを合体させたもので、スチュアート・へイスラーによる趣のある演出とセオドア・スパークル(テオドール・スパルキュール, Theodore Sparkuhl) の撮影が素晴らしいそうです。スパークルは、ドイツ表現主義とフランスの詩的リアリズムの両方を経験しており、ルノワールの「牝犬」などの撮影を担当。続いて作られたのが "Street of Chance" で、コーネル・ウールリッチの小説を初めて映画化した作品で、「ウールリッチの世界の雰囲気、ニューヨークでぶらぶらしている不運で自暴自棄の個人、破滅感と不吉な予感、記憶喪失」を誠実に再現しようとした試みだそうです。スパークルの撮影は、下からとらえた低い天井や対角や垂直の影のパターンによって抑圧的で息がつまりそうな演出を作り上げており、それをデビッド・バトルフの混沌としたジャスが補完しているということです。

パラマウントの次のフィルムノワールは「拳銃貸します This Gun for Hire」 (1942) で、原作はグレアム・グリーン。ドライアーは、予算を削減するために、フランク・タトル監督とジョン・サイツ撮影監督に、鏡、奇妙なアングル、暗い照明、霧に閉ざされた屋外を使用することを勧めて、貧弱なセットがばれないようにしました。タトルは、遠写しと、アウトローのカップル(アラン・ラッドとベロニカ・レイク)のクローズアップをうまく結びつけて、長い追っかけ場面をダイナミックなものにしました。サイツの表現主義的な撮影は、精神障害のあるレイブン(アラン・ラッド)の精神分裂と罠にかかった感じを作り出すのに貢献しています。サイツの明暗の強さは、アラン・ラッドの彫りの深い美しさによく調和しているし、レイブンに対する同情を喚起するのに貢献しているそうです。「拳銃貸します」は以前から見たいと思っていたので、そろそろ買おうかな。

RKO、パラマウントに続き、ワーナーが登場します。「マルタの鷹」(1941) です。ジョン・ヒューストンの脚色は以前の「マルタの鷹」の映画化よりもハメットのハードボイルド小説のシニカルな調子に近いし、原作のセリフをできる限り残し、重要な場面のみにてきぱきと圧縮し、観客は登場人物の会話の辛辣なウィットを楽しむことができます。原作のセリフを最優先するために、ヒューストンは作曲家アドルフ・ドイッチェと慎重に作業を行い、最小限で控えめな音楽を作り出しているそうです。(M. Marks (2000) "Music, Drama, Warner Brothers: The Case of Casablanca and The Maltese Falcon" in J. Buhler, C. Flinn, D. Neumeyer (eds) Music and Cinema (Wesleyan University Press))

登場人物の相互作用が起る室内は慎重に装飾されており、各々の物が登場人物の描写に貢献している。構図はわざと中心からずれており、息が詰まるかバランスが崩れた感じになっているし、眼から下の視点から撮影されている。ゴシックというよりリアルなムードに合うように、撮影監督アーサー・エディソンの暗い照明は微妙な示唆に富んでおり、大胆な明暗を避けている。本質的に「マルタの鷹」は、低予算のために無駄がなくペースの速い30年代のワーナーの犯罪スリラーの変形で、微妙な示唆に富んでいるのが目新しいようです。

四番目はヒッチコックで、1940年の「レベッカ」は現代的ゴシックロマンスリラーが発展するきっかけとなった作品。「レベッカ」はデビッド・O・セルズニックとの敵対的になるこもあるけど創造的な関係から生まれたものです。セルズニックは、中流知識人の小説を原作とした女主人公のまことしやかなメロドラマで有名なプロデューサーで、「良質の映画」の代表者ですが、ヒッチコックは暗い性心理学的な含みのある男性スリラーが得意分野です。(L.J. Leff (1987) Hitchcock and Selznick (Weidenfeld & Nicolson); T. Schatz (1989) The Genius of the System: Hollywood Filmmaking in the Studio Era (Simon & Schuster))

「レベッカ」の照明やアングルについて説明しているのですが、それは割愛させてもらいます。「レベッカ」はヒッチコック作品としてしか見ていないので、フィルムノワール作品として見たらどうなんだろうという興味はあります。感情の高まりを強調するフランツ・ワックスマンの派手な編曲について言及していますが、撮影監督は誰なんだろう。ジョージ・バーンズですね。

「レベッカ」が大ヒットしたため、セルズニックはヒッチコックをRKOに貸し出して「断崖」(1941)を作らせました。このコンビはさらに「白い恐怖」(1945)、「汚名」(1946)、「パラダイン夫人の恋」(1947)という三本のロマンス・スリラーを作り出し、他の多くの映画作家が同様の映画を作る結果になったということです。

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2011年9月29日 (木)

映画構造と感情システム (62)

初めてキュート(正式には℃-ute)のコンサートDVDを買いました。2011年6月18日によこすか芸術劇場で行われたもので、タイトルは「超!超ワンダフルツアー」。リーダー矢島舞美(やじま・まいみ)の汗がはんぱない。インターネットで調べるとけっこう有名みたいで、あの汗がたまらないらしい。コンサートの途中で「自分は雨女だ」という話をするのだけど、彼女自身が雨そのもので、心配した他のメンバーがハンカチを手渡すほど。私のお気に入り中島早貴ちゃんは「晴れのプラチナ通り」という昭和のアイドル歌謡みたいなのを歌う。歌がうまくなっているし、少し色気も出てきて、松田聖子や中森明菜の周辺にいる今にも消え去りそうなアイドル歌手って感じで、おじさんの胸をくすぐります。彼女のおしゃべりコーナーでは、メンバー岡井千聖(おかい・ちさと)の家でいつもタコ焼きばかり食べさせられるという話を、喫茶店で友人にしゃべっているように早口でとりとめもなく話します。自分の恋人なら可愛いなあと思うかもしれませんが、イラチなおじさんは早送りしてしまいました。やはり矢島と鈴木愛理の歌が安定しているけど、この二人だけが目立つことなく、五人が均等に歌っている印象を受けました。「Kiss Me 愛してる」って曲は、スタジオで撮影されたミュージックビデオを見るよりも、ライブのほうがはるかに素晴らしい。別のコンサートですが、これは興奮する。(オマケ: エクササイズのインストラクターより上手ななっきぃ

(月曜の続き)

では、解釈のために信頼できる証拠は何が残されているのか。登場人物の顔である。「カサブランカ」は、冒頭から、顔を観察して解釈すべきだと観客に注意を促している。特に、登場人物たちはリックの顔色をうかがい、リックのむっつりした顔によって語られないままの言葉を穴埋めする。ウガルテは、リックの心を読みとろうとし、彼が自分を軽蔑しているという結論に達する。「なぜ?」とウガルテはたずねるが、リックが答えないので、ウガルテは「自分がやっているような仕事が嫌いなんですね」と自分で答える。特にルノー署長は、どのように無口なリックの顔色を読み解釈するかについて観客に手本を示している。ルノーは、リックを感傷的だと責めるとき、リックがどのような反応をするか顔をうかがう。何の反応もないので、ルノーはリックの無表情から、ある反応を読み取る。ルノーは「笑うなよ」と言うが、リックはまったく笑うそぶりを見せない。何度も何度も登場人物たちはリックの顔を解釈して、何らかの結論を出す。これは、映画が観客に行わせようとしている手順の手本である。もし観客が現在の出来事を信頼できないなら、もし過去の重要性に対する自身のかたよった解釈に信頼が置けないのであれば、たぶん観客は登場人物の顔に将来のヒントを読むことができる。

これは「カサブランカ」を何度も見る者に期待を抱かせる。ノエル・キャロルによる問答形式の語り口という概念の主な問題の一つは、なぜ観客が何度も一本の作品を見に行くかを説明しにくことである。観客は、映画が提示する問いの答えをすべて知っても、また見に行くはなぜだろう。空港でのリックの選択を知っても、なぜ「カサブランカ」をまた見るのだろう。いくつかの答えがあるだろうが、何度も「カサブランカ」を見る者に与えられる喜びの一つは、観客がすでに知っている過去の出来事に照らし合わせながら登場人物の表情を観察する機会を得ることである。俳優の表情に今後起きることのヒントが読みとれないだろうか。二度目以降、観客は、いかに過去が現在に影響を及ぼすかについての手がかりが話の筋を動かすのにどんなに重要かを知りつつ、そうした手がかりを探し求めることができる。

「カサブランカ」を何度も見る気にさせる要因はほかにもある。たとえば、繰り返しが映画の構造にとって重要となっている。非常に際立った常套句が異なる状況で繰り返されるとき(たとえば「君の瞳に乾杯」)、それらは連想を積み重ねて、感情を喚起する力を増していく。もちろん、繰り返される中心的な要素の一つは「時の過ぎ行くままに」という歌であり、期待させる会話を通じて築きあげられる。リックは、傭兵だったときのことを問われて、なかなか答えようとしないとき、ピアノ奏者サムは、イルザやリックのリクエストを演奏する前に同様の引き伸ばしゲームを行う。イルザが「サム、演奏して」と頼むと、サムは「どの曲のことを言っているのかわかりません」と答える。「「時の過ぎゆくままに」をお願い」「声が枯れているんですよ」「じゃあ私がハミングするわ」。最終的に、イルザがハミングすると、サムが加わり、観客をじらすゲームが終わる。同様のことがリックとサムの間でも起る。三度目の繰り返しのあと、「時の過ぎ行くままに」は虚構世界の外からの音楽に統合され、感情の連想を引き起こす。このような繰り返される要素(常套句、音楽)は、あきらかに感情システムの連想構造に頼っている。

ほかにも「カサブランカ」の構成には重要な要素がある。個人的なストーリーを政治的なテーマと結びつけることは作品の力にとって不可欠なことだし、愛と義務との葛藤、マイケル・カーティス監督の優雅なカメラの動き、エキゾチックなイメージもそうである。ここでは、前向きとうしろ向きの語り口の混合が力強い物語の推進力と支配的な過去に対する郷愁をもたらしていることを論じた。

「カサブランカ」における物語の時間の使用は、現在よりも愛が単純だった過去の時代に対してノスタルジックになるよう観客を誘う。これは、21世紀における「カサブランカ」の魅力にも当てはまるが、幻の過去を追い求めるよう観客を導くやり方のために、1942年においてもそうだった。「時の過ぎ行くままに」は、「カサブランカ」のような時代を超越した映画というか、時間が散らばっている映画のために、非常にうまく選曲されている。世界中の安酒場から、観客はリックの店に戻ってきて、過ぎ去ったほろ苦い過去の未来に対する重要性を読み直す。

(第9章終り)

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2011年9月28日 (水)

1978年10月に見た映画 (概観)

本日はキートンをお休みして、33年前の10月に見た映画のリスト。第5週が11月なのは、基準にしている月曜日がまだ10月だったから。

第1週

  • 10月02日(月) マウス (フジテレビ) 4点
  • 10月03日(火) 狸の花道 (フジテレビ) 3点   
  • 10月03日(火) チェイサー (虎ノ門ホール) 2点
  • 10月05日(木) 夏子と長いお別れ (池袋文芸地下) 1点
  • 10月05日(木) 暗くなるまで待てない (池袋文芸地下) 2点
  • 10月05日(木) オレンジロード急行 (池袋文芸地下) 4点
  • 10月05日(木) 大脱獄 (新宿昭和館) 2点
  • 10月05日(木) 鉄砲玉の美学 (新宿昭和館) 3点
  • 10月05日(木) 仁義なき戦い (新宿昭和館) 5点
  • 10月06日(金) 人間の証明 (フジテレビ) 2点
  • 10月07日(土) ベトナムから遠く離れて (アテネフランセ) 3点
  • 10月08日(日) 魚の出て来た日 (池袋文芸坐) 4点
  • 10月08日(日) Z (池袋文芸坐) 5点

第2週

  • 10月09日(月) カトマンズの男 (テレビ神奈川) 5点
  • 10月10日(火) 小さな赤いビー玉 (池袋文芸坐) 4点
  • 10月10日(火) 愛のファミリー (池袋文芸坐) 4点
  • 10月10日(火) パーマネントブルー・真夏の恋 (松竹座) 5点
  • 10月10日(火) 男はつらいよ・寅次郎恋唄 (松竹座) 4点
  • 10月12日(木) 11人のカウボーイ (池袋文芸坐) 3点
  • 10月12日(木) ビック・アメリカン (池袋文芸坐) 2点
  • 10月12日(木) 白い指の戯れ (池袋文芸地下) 2点
  • 10月12日(木) 最も危険な遊戯 (池袋文芸地下) 4点
  • 10月14日(土) 5時から7時までのクレオ (アテネフランセ) 4点
  • 10月15日(日) 魔術師 (三鷹オスカー) 4点
  • 10月15日(日) ペルソナ (三鷹オスカー) 4点
  • 10月15日(日) 沈黙 (三鷹オスカー) 4点
  • 10月15日(日) ねずみの競争 (フジテレビ) 2点

第3週

  • 10月18日(水) 日本の首領 (新宿昭和館) 2点
  • 10月18日(水) ザ・カンフー (新宿昭和館) 1点
  • 10月18日(水) 仁義と抗争 (新宿昭和館) 3点
  • 10月20日(金) 暁の脱走 (池袋文芸地下) 2点
  • 10月20日(金) 愛妻物語 (池袋文芸地下) 2点

第4週

  • 10月23日(月) 心中天網島 (高田馬場パール座) 4点
  • 10月26日(木) ダイナマイトどんどん (新宿東映) 2点
  • 10月26日(木) サムライ (東京12) 5点
  • 10月29日(日) サテリコン (池袋文芸坐) 4点
  • 10月29日(日) 自由の幻想 (池袋文芸坐) 5点

第5週

  • 11月03日(金) タクシー・ドライバー (大学) 5点

以前の鑑賞記録はこちら

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2011年9月27日 (火)

1978年9月第4週に見た映画

9月29日(金) 美女と野獣 (東京12) 4点
9月30日(土) さよならの微笑 (高田馬場パール座) 4点
9月30日(土) 男と女 (高田馬場パール座) 3点
10月1日(日) 愛のメモリー (三鷹オスカー) 4点
10月1日(日) ファントム・オブ・パラダイス (三鷹オスカー) 4点
10月1日(日) 悪魔のシスター (三鷹オスカー) 4点

週6本だと楽。週の初めのほうは、ちゃんと勉強してたのかな。

9月の金曜日には「摩天楼」「海の牙」「我等の仲間」と見てきて、この週には「美女と野獣」を見ているので、東京12チャンネルで金曜に名画座みたいなのを放映していたのでしょう。たぶん、夜10時ぐらいだったと思うのですが。「美女と野獣」はジャン・コクトー監督・脚本による1946年のフランス映画。「海の牙」のルネ・クレマンが共同監督として参加していますが、クレジットされていません。原作はルプランス・ボーモンの童話で、魔法使いによって野獣の姿になっていた王子が女性の愛の力で元に戻る話。主演はジャン・マレーとジョゼット・デイ。撮影アンリ・アルカン、音楽ジョルジュ・オーリック。日本では1948年に公開され、キネ旬で6位(「海の牙」が4位)。植草甚一さんは「ヘンリー五世」が1位、「美女と野獣」2位、「海の牙」3位。双葉十三郎さんも3位まで同じ順。淀川長治さんは1位と2位が同じだけど、「海の牙」は8位。植草さんのコメントを転載させてもらうと、

「私は苦心して十本を選びながら "趣味" の問題について悩まされた。選に入れたフランス映画三本は自分の趣味に最も近く、じっとして揺がない。しかしアメリカ映画三本からは趣味から離れて他動的に作用してくるものを感じる。この揺らぎをイギリス映画三本が支えてくれる。ソヴエート映画の一本は自分でも気がつく異常趣味である。私はいくつかの趣味を映画的に還元することに務めながら、やっと十本に順位を与えることができた。」(「キネマ旬報ベスト・テン全集1946-1959」)

植草さんの4位以下は、「悪魔が夜来る」、「逢びき」、「我等の生涯の最良の年」、「失われた週末」、「ミネソタの娘」、「オヴァランダース」、「イワン雷帝」。異常趣味のソビエト映画というのは最後のエイゼンシュテイン作品で、21名の選考者のうち、植草さんが挙げているだけ。

現在、「美女と野獣」は日本盤DVDが出ているのでしょうか。500円の安いのが出ているのですね。アメリカではクライテリオンから発売されていて、画質の点ではこっちのほうが安心でしょう。ディズニーが20年前にアニメ化したのか。

「さよならの微笑」は、この年の7月にも見ているし、さほど好きな作品でもないので、併映の「男と女」を見たかったのでしょう。ここで今年7月に書いたことを転載します。

「さよならの微笑」 (Cousin cousine) は1975年のフランス映画。監督ジャン・シャルル・タケラ。マリー・クリースティーヌ・バロー(「モード家の一夜」)、ビクトル・ラヌー、マリー・フランス・ピジェ(「真夜中の向こう側」「逃げ去る恋」)、ギイ・マルシャン(「ラムの大通り」と「私のように美しい娘」の歌手)ら出演。双方ともに配偶者のいる遠縁のいとこが仲良くなる話のようです。1977年のアカデミー賞で主演女優賞(バロー)、オリジナル脚本賞、外国語映画賞にノミネートされましたが、どれも受賞ならず。「ロッキー」が作品賞を獲得した年で、主演女優賞は「ネットワーク」のフェイ・ダナウェイ、オリジナル脚本賞も「ネットワーク」のパディ・チャイエフスキー、外国語映画賞は「ブラック・アンド・ホワイト・イン・カラー」でした。1978年のキネ旬18位。

クロード・ルルーシュの「男と女」は1975年4月にTBSの月曜ロードショーで見ていますが、映画館で見たのは記憶にないです。この頃リバイバルされたんでしょうかね。ルルーシュの軽いコメディタッチのものは好きだけど、これは有名な分だけ面白くなかった。フランシス・レイのテーマ曲が有名だなんて、わざわざ書くこともないですかね。でも若い人は知らないかもしれないので、こちらをどうぞ。1966年のアカデミー外国語映画賞、キネ旬の1966年5位。男性読者が1位で、女性読者が2位(1位はアニエス・バルダの「幸福」)。

日曜日はブライアン・デ・パルマ三本立て。全部4点だから、けっこう楽しい日曜日だったのでしょう。初めて見たのは「悪魔のシスター」だけ。「ファントム・オブ・パラダイス」は1977年9月に大塚名画座で「ロッキーホラーショー」との二本立てで、「愛のメモリー」は1978年3月に福山ピカデリーで「真夜中の向こう側」との二本立てで見ています。それぞれ以前ここに書いたことを転載します。

「ファントム・オブ・パラダイス」は「オペラ座の怪人」のロックミュージカル版、と思っていたけど、IMDb によると、特に原作が「オペラ座の怪人」とは書いていない。脚本と監督がブライアン・デ・パルマ。ポール・ウィリアムズが怪人だと思っていたら、ウィリアム・フィンリーが怪人らしい。「サスぺリア」のジェシカ・ハーパーがなつかしい。「オペラ座の怪人」は1925年のロン・チャニー主演のサイレント映画が有名だけど、ハーバート・ロムが出ていたイギリス映画が私には印象的。ハマー・フィルムが制作した1962年の作品で、監督はテレンス・フィッシャー。

「愛のメモリー」は、ブライアン・デ・パルマ監督だから5点ではなく、ジュヌビエーブ・ビジョルド主演だから5点です。カナダ生まれの彼女は60年代後半に「戦争は終わった」や「まぼろしの市街戦」といったフランス映画に出演し、イギリス映画「1000日のアン」でアカデミー主演女優賞にノミネートされましたが、カナダの監督と結婚して70年代前半はカナダで過ごしていたようです。1974年にチャールトン・へストン主演の「大地震」やベルモンド主演の「怪盗二十面相」に出てから再び表舞台に立った感があります。で、「愛のメモリー」は "Obsession" という1976年のスリラーでクリフ・ロバートソン主演。脚本ポール・シュレーダー、音楽バーナード・ハーマン、撮影ビルモス・ジグモンド。goo であらすじを読むと、16年前に妻と娘を誘拐された男が妻にそっくりな女性と出会い、再び同じような誘拐事件が起こる。子供の体に大人のジュヌビエーブの顔がくっついたような変な映像が頭に浮かぶんですけど。

「悪魔のシスター」(1973, Sisters) はシャム双生児の女性の話ですが、予想していたほど血みどろのホラー映画ではなく、ミステリーの要素もあって、それがうれしかった気がします。のちにスーパーマンの恋人になるマーゴット・キダーは憶えていますが、ジェニファー・ソルトは記憶にない。チャールズ・ダーニングの刑事が印象に残っているのだけど、gooであらすじを読んでみると、刑事ではなく私立探偵でした。彼が電柱によじ登る映像がぼんやり頭に残っているのですが、なにか面白いシーンだったんですかね。音楽バーナード・ハーマン。AIP製作配給。

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2011年9月26日 (月)

映画構造と感情システム (61)

(木曜の続き)

「カサブランカ」の初めのほうは今後の出来事を予想するよう観客を導くが、過去に対する好奇心をも芽生えさせる。警察署長ルノーはリックの過去を探り始めており、これは映画を通して続く。「なぜ君がアメリカに帰らないのかいつも考えている。教会の資金を持ち逃げしたのかい。上院議員の奥さんと駆け落ちしたのかい。誰か殺したんじゃないかと思いたくなるよ。」登場人物たちは何度も何度も互いの過去についてたずね、何度も何度も彼らの問いに対してちゃんとした答えが返ってこない。たとえば、上記のルノーの問いに対して、リックは「その三つの理由すべてのためだ」と答える。リックがイルザにパリ以前の生活について探りを入れると、イルザは、過去に対する好奇心は二人の間の規則である「質問しない」に反すると答える。リックやイルザの過去に関する質問に直接答えが返ってきても、それらは役に立たない。「10年前、どこにいた?」という質問に対する答えは取るに足らないものである。イルザは歯に矯正器具をつけていたし、リックは仕事を探していた。登場人物相互の過去に関する質問への答えが意図的に避けられると、過去に対する観客の好奇心が増す。

リックの過去に関する重要な情報は、標準的な説明の工夫によって知らされる。脇役にリックのことをしゃべらせるのである。ルノーは、エチオピアとスペインの紛争で負け側に従事しており、アメリカに帰ることができないと教えてくれるし、あとでストラッサー少佐とビクターも同じことを繰返す。古典的な物語の慣習に従って、「カサブランカ」は過去についての情報を少しずつ打ち明けていく。リックとイルザはパリで知り合い、「時の過ぎ行くままに」という歌に対して同じ感情を共有している。リックの店が閉まったあとイルザが戻ってくると、この映画で唯一の回想シーンが始まる。リックの視点から二人がパリで過ごした最後の日が再現される。リックは、イルザに出くわすと、なぜ彼のもとから離れるのか説明を求めるが、イルザは答えようとしない。リックの事務所でイルザがちゃんとした説明をするのは夜になってからである。過去が完全に明らかになると、観客は再び未来を予想する態勢に入り、最終的な結果へと向かう。

映画は、現在の出来事に対する観客の信頼を失わせ、より信頼のおける過去を約束しているように見せかける細工をしている。愛国者リックよりも恋する男リックを前面に押し出すことでロマンチックな結末を予想するよう観客を仕向ける。観客が現在のリックの行動を信頼できなくても、過去の行動は信頼できるので、リックとイルザの恋愛関係が戻ることを期待させる。

巧妙なのは、観客がそう思い込まされているほどは過去が未来を決定づける直接の要素ではないことだ。最後に現れるのは、恋するリックではなく、自由の戦士リックだ。観客は、いくつかの巧妙な合図によって自由の戦死の出現に対しても心の準備をさせらている。映画は、リックのロマンチックな過去に集中している間も、彼の英雄的な過去に少し言及している。イルザは、何度か、リックの経歴と、ナチが彼の過去を知ったらリックに対して何を行うかについて言及している。結末に影響を与えるのは、この控えめに言及されている過去である。

結局、一見ストレートに見える過去は、現在と同様に解釈するのが困難である。映画は、二人の過去の説明力に特権を与えており、二人のパリでのロマンスに郷愁を抱かせるよう観客を促している。しかし、同時に、観客が望む歴史に容易に近づくことを拒否している。質問に対する答えは得られないし、得られたとしても、観客は出来事の重要性を読み違える。「カサブランカ」は過去に恋していたリックを前面に出し、愛国者リックについて少し言及するだけだが、最後に登場するのは愛国者リックだ。観客が思いこがれた単純な過去は、複雑な現在同様に読み解くのが困難になる。「カサブランカ」は無難なノスタルジアに向かうよう観客に指示を送り、それから過去を予測できないようなものにする。

(木曜へ続く)

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2011年9月25日 (日)

日曜はトリュフォーだ!:Francois Truffaut at Work (3)

トリュフォーがどこかで言及していたルイス・ブニュエルの「アルチバルド・デラクルス氏の犯罪的人生」(1955、メキシコ)面白かった。特にマネキンがからむエピソードが最高で、トリュフォーが「恋愛日記」や「緑色の部屋」で真似したくなるのもむべなるかな。相手の女性がきれいだし、主人公の家に行くと自分をモデルにしたマネキンが置いてあるという状況で、自分とマネキンを交代させるというシャレたことができる素敵な人です。対照的に、映画史上最もイライラさせて本当に殺したくなる女性も出てきます。全体的にわかりやすいし、ブニュエルはあまり小手先の技巧で奇をてらわない映画作家ですね。描いていることは異常ですが。あらためて彼の作品をいろいろ再見したくなってきました。(紀伊國屋発売のDVD)

では、Carole Le Berre の "Francois Truffaut at Work" (2005, Phaidon Press) の序文の続き。本日は「反応を通じての創作」という見出しの部分。

トリュフォーはどのように映画を創作したのだろうか。60年代初め、ブラッドベリ原作の「華氏451」の準備がうまくいかず、トリュフォーはゾッとする思いをしました。ほかの映画の企画を立てていなかったので、彼の製作会社レ・フィルム・デュ・キャロッスが危機に陥りました。トリュフォーは二度とこんな目に会いたくなかったので、いつもいくつかの企画を進行させて、資金が得られないなどの理由である作品を作れないときは、別の企画で代用するというシステムを作ったのです。そうした企画は異なる共同脚本家に配分され、実際の製作よりかなり前から準備されました。それから、彼に興味を持たせる企画を見逃さないように、出版本の専門誌を購読して、発売予定の本をチェックしていました。

共同脚本家が書いた脚本を著者が調べると、話や演出に関すること、不満、干渉、激しい拒絶など、余白にトリュフォーのメモがいろいろ書かれていました。これからわかるのは、トリュフォーが反応、いきどおり、自分と異なる見方の拒絶、いらだちを通じて創作していたことです。筆者の印象では、既にできあがった映画に対して反抗し、指紋のように自分だけのものになるまで少しずつ変えていく感じでした。この反応による作業方法は、各作品を全体の一部と考える映画作家には欠かせないことだと筆者は言います。というのも、各作品は全作品に対する反応で、反対のことを行う試みで、省略したことを穴埋めする試みで、不満を解消する試みで、より満足のいく解決策を見つける試みだからです。あらゆる場面、あらゆる話の展開を想像するための出発点は拒絶です。以前行ったことに満足することなく先に進み、陳腐になることや罠にはまることを避け、よそから持ってきたアイディアによって場面や登場人物を豊かにし、何重もの層ができあがる。筆者は、トリュフォーの脚本作りの再構成を通じて、トリュフォー作品の異常な密度に対する手がかりの一つを見つけます。それは、一つのアイディアで一つの場面を構成せずに、一つの場面のために多くのアイディアを集めるようにという共同脚本家に対する指示に凝縮されています。

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2011年9月24日 (土)

夜明けのビートルズ

今週も番外編。ビートルズも英国音楽だから、通常プログラムの「夜明けの英国音楽」に入れてもいいかもしれませんが、あれはより伝統的な音楽に根ざしたものを取り上げるつもりでスタートしたものなので。

極私的なビートルズ史です。まずは小学5年だった1968年正月に戻ります。オリコンが正式にスタートしたときで、そのチャートを見ると、3位がデイブ・ディー・グループの「オーケー」、4位が「モンキーズのテーマ」、8位が「花のサンフランシスコ」、11位がナンシー・シナトラとリー・ヘイゼルウッドの「サマー・ワイン」と、今と違って洋楽が上位に入っています。もちろん、このオリコンチャートを見たのは、ずっとあとになってからで、これらの曲の懐かしさから考えると、私がラジオを聴き始めたのはこの頃からだと思うのです。

で、ビートルズはチャートにいつ入ってくるかというと、翌週に「ハロー・グッドバイ」が16位に入り、16位、15位、20位、15位、21位、20位、16位、15位、15位、19位、24位、25位、39位、39位と、順位が低いながら、3ヵ月近くトップ50に入っていました。当時は情報が瞬時に入ってこなかったから、今のように発売週に上位に入って、翌週にはなくなっているということはなくて、息が長かったのです(集計方法にもよるのでしょうが)。

で、私が「モンキーズのテーマ」に続いて購入したのは「ハロー・グッドバイ」だったのです。とはいえ、この頃はうちにステレオがなかったので、購入したのは中学に入る前の1969年の春休みで、1年遅いのです。ステレオといっても当初購入してもらったのは、6千円ほどの一体型のちゃちいものでした。でもスピーカーは二つありました。では、ビートルズの「ハロー・グッドバイ」を聴いていただきましょう

こんなのが手軽に見れて、今は良い時代だ。B面は「アイ・アム・ザ・ウォルラス」で、変な雑音みたいなのが入っているので、コンセントから入り込んだのかと本気で心配しました。それが効果音だったと確信するまでどれぐらいかかったのだろう。それも聴いてもらいましょう

それから「レディ・マドンナ」が発売されて、これはオリコンで68年5月第2週に10位まで上昇しています。これも当時耳にしていたろうけど、さほど思い出はない。ちなみに、このときの1位はザ・タイガースの「花の首飾り」で、トッポの伸びやかな声が好きだった私としては、これがタイガースの代表曲であるとともにグループサウンズの代表曲にもなっていることがうれしい。2位以下は「神様お願い」(ザ・テンプターズ)、「恋のしずく」(伊東ゆかり)、「すてきなバレリ」(ザ・モンキーズ)、「星影のワルツ」(千昌夫)、「悲しくてやりきれない」(ザ・フォーク・クルセダーズ)、「ゆうべの秘密」(小川知子)、「バラの恋人」(ザ・ワイルド・ワンズ)、「マサチューセッツ」(ビー・ジーズ)で、胸が締めつけられるぐらい懐かしくてたまらない。

続いて登場するのが「ヘイ・ジュード」。9月第4週に23位で初登場。7位、5位、5位、7位、7位、8位、9位、5位、10位、8位、8位、13位、15位、13位、10位、13位、13位、16位、22位と推移していき、トップ50から消えたのは翌年3月でした。初登場した週に1位だったのはピンキーとキラーズの「恋の季節」で、この曲なんと、12月第3週に佐川満男の「今は幸せかい」に1位の座をうばわれたことがあったものの、69年1月第3週まで17週1位だったのです。翌週メリー・ホプキンの「悲しき天使」が1位になり、その翌週に「恋の季節」が返り咲いています。2月からトップに立ったのは、いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」で、由紀さおりの「夜明けのスキャット」に首位の座を奪われる4月まで9週間1位でした。

懐かしくてしょうがないので脱線気味ですが、「ヘイ・ジュード」については記憶があります。フジテレビ系列の「ザ・ヒットパレード」で「ヘイ・ジュード」のビデオが放映され、終わったあと堺正章が「コーラスは、あと何回続くのでしょう」と質問したあと、「ヘイ10度」と答えるのです。このとき堺が司会だったのかゲストだったのか不確かだったのですが、ウィキペディアによると1969年2月から9月まで梓みちよと司会をしているので、そのビデオが流れたのは1969年になってからだったのかもしれません。では、それを見ていただきましょう

これは中学に入ってシングルを購入しました。私はB面の「レボリューション」のほうが好きだったので、そっちをよく聴いていました。これも見てもらいましょう。演奏はレコードと同じに聞こえますが、声は生ですね。

「ヘイ・ジュード」はアメリカのビルボードでは1968年9月から11月にかけて9週連続1位で、「レボリューション」も12位まで上昇しました。ビルボードは、たしかジュークボックスでかかる回数が中心だったからか、A面とB面別々にチャートに入っていました。両面が1枚のシングルとして統一されるのは1969年11月29日付のチャートからで、その前週に3位だった「サムシング」と7位の「カム・トゥゲザー」が統一されたおかげで1位になりました。

1969年に中学に入って音楽雑誌を購入し始めたのですが、最初に購入していたのは学研から出ていた「ヒットポップス」という月刊誌でした。ちょうどビートルズの「イエロー・サブマリン」が話題になっていました。日本でアルバムが発売されたのが3月で、映画公開は7月。NHK-FMが始まるのがこの年の3月で、この頃は家庭の録音機器が発達していなかったし、番組製作上も楽だったのか、当初はLPを片面全部かけたりしていたので、A面がビートルズ、B面ジョージ・マーティンのオーケストラという「イエロー・サブマリン」を聴くには絶好の環境でした。で、懐かしいのがジョンの「ヘイ・ブルドック」とジョージの「オンリー・ア・ノーザン・ソング」。特に前者が大好きなので、聴いていただきましょう

もう5時になってしまいました。最近暗くなってきたので、散歩の時間を遅らせなきゃいけないな。思ったより進みませんでした。気が向いたら、ビートルズの続きやります。1968年の日本のヒット特集もやりたくなりました。

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2011年9月23日 (金)

フィルムノワール入門 (24)

Place と Peterson は、「反伝統的な」演出も特定している。古典的スタイルの慣習的なバランスと調和が「画面の中で不規則に配置された人物の奇妙でゆがんだ構成」のために意図的に破壊されており、不安定な世界を作り出している。戸口、窓、階段、ベッドの金属フレームなどを含む閉所恐怖症的な枠取りの仕掛けが広く使われ、登場人物の空間に侵入し、彼らを閉じ込める。鏡像などのさまざまな反射物がいたる所にあり、だまし、二重性、自己陶酔、混乱した幻想を暗示している。全体の状況をとらえた慣習的なショットがしばしば省略されるので、アクションが起こる場所に適応したいという観客の欲望が満たされない。慣習的な頭から肩までのクローズアップの代わりに、フィルムノワールの監督は俳優の首から上のクローズアップを多用するので、あらく照らされた顔が画面を占領する。こうした過度のクローズアップが極端に高い場所からの遠写しと交互に出てきて、不快な対置が生じ、観客がさらに不安定になり、スムーズな移動撮影に取って代わり、連続性のある標準的な編集が侵害される。このスタイルは、ゆがんだ、倫理的にあいまいな、混乱した世界を作り出すのに貢献している。(J.A. Place and I.S. Peterson (1996) "Some Visual Motifs in Film Noir" in Film Noir Reader)

フィルムノワールの音楽も特徴的である。古典的な映画音楽は、ワーグナー、マーラー、リヒャルト・シュトラウスなどの19世紀後期のヨーロッパのロマン主義風であり、その主な特徴は、交響曲風なこと、豪華なオーケストラ、くりかえし出てくる主題を表現するメロディーの使用、劇的な行動の強調である。(C. Gorbman (1987) Unheard Melodies: Narrative Film Music (BFI); K. Kalinak (1992) Settling the Score: Music and the Classical Hollywood Film (University of Wisconsin Press))

多くのフィルムノワールは、この変形を使用している。たとえば、ロバート・シオドマクの「裏切りの街角」(1949, Criss Cross) でのミクロス・ローザによる素晴らしいオーケストラ音楽や、「ミルドレッド・ピアス」(1945, Mildred Pierce) でのマックス・スタイナーの音楽である。だが、あまり慣習にとらわれない音楽を使うフィルムノワールも多い。バーナード・ハーマンは、ジョン・ブラームの「戦慄の調べ」 (1945, Hangover Square) で、作曲家の主人公が記憶を喪失して殺人狂となる際に使用する不協和音とロマンチックな音楽を対比させている。「恐怖のまわり道」 (Detour) の主人公はブラームスの「イ長調のワルツ」をブギウギで演奏しており、彼女との別れのあとの心の崩壊とコンサートピアニストになる夢の終わりを示している。(「恐怖のまわり道」の音楽に関しては、C. Flinn (1992) Strains of Utopia: Gender, Nostalgia, and Hollywood Film Music (Princeton University Press) 参照。)

Robert Porfirio は、フィルムノワールの特徴がジャズの多用だとしている。ジャズはアメリカの黒人の売春婦の世界に由来し、表現主義とジャズを結びつけたワイマール文化に関連している。(R. Porfirio (1999) "Dark Jazz: Music in the Film Noir," Film Noir Reader 2)

オーケストラによる交響楽と違い、ジャズは即興的であり、フィルムノワールは、ジャズの温かみや感傷性よりも不快で耳ざわりな面を使用する傾向がある。ジャズは、混乱した心の状態や心身の消耗を示すために使われることが多い。都会の暴力、ドラッグ、逸脱した性の関心を結びつけたのは初期のギャング映画ではなく、フィルムノワールである。特にシオドマクの「幻の女」「殺人者」「裏切りの街角」がそうである(第6章で述べる)。ルドルフ・マテの「都会の牙」 (1950, D.O.A.) のジャズクラブは、危険で制御不能な場所であり、主人公の殺人が起る。ビンセント・ミネリの「バンド・ワゴン」(1953)では、「ガールハント・バレー」シークエンスにおけるフィルムノワールのスタイルの模倣でジャズが使用されている。

フィルムノワールの慣習にとらわれない視覚スタイルは、技術の発達によって可能となった。特にフィルムの発達によって照明を抑えることができるようになった。レンズの発達によって光の伝達が改良され、焦点を失うことなく大口径レンズを強力な光源の近くに置くことができた。その結果、どこにでも置ける単一の光源を使用することが可能となり、明暗をくっきりさせる効果が作り出された。この経済的で労働力を節約するシステムはB級映画にとって魅力的だった。(P. Kerr (1996) "Out of What Past? Notes on the B Film Noir" in Film Noir Reader)

こうした照明技術とノイズの少ない軽量カメラによって、以前は不可能だった場所で撮影することができるようになった。狭い場所でのアクションが可能となったし、ローアングルでの撮影は、閉じ込められたこと、わなにかかったこと、ゆがみ、脅威といった感じを人物に付け加えた。手持ちカメラを主人公の視点に置くことで主観的な効果を出すことができた。有名な例は、デルマー・デイビスの「潜行者」(1947, Dark Passage) の初めのほうにある。脱走のために囚人ハンフリー・ボガートがゴミ箱に入って丘を転がり落ちて、森の中の下ばえを通過するシーンである。バリー・ソルトが述べているように、1946年までに四つの車輪で自由に動く撮影台が導入されており、前方への移動撮影から横への移動撮影にすぐに切り替えることができるので、より長いショットを撮影することが可能となっていた。これによってカメラの操作性が格段に向上し、室内でも野外でも、より流動的な効果や、より方向感覚のない効果を作り出せるようになった。(B. Salt (1992) Film Style and Technology: History and Analysis)

さらに、ときどき使用され「オランダ・チルト Dutch tilt」(カメラを水平の位置から傾けること)によって方向感覚のない効果が増した。

第3章「フィルムノワールのスタイル」の序文終わり。

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2011年9月22日 (木)

映画構造と感情システム (60)

めちゃイケのももちの映像が削除されても、雨後のタケノコのごとく出現する。

ロバート・シオドマクとエドガー・G・ウルマーが1930年にドイツで作った "People on Sunday" をクライテリオン版DVDで見ました。みずみずしい良い映画でした。森の中での戯れはルノワールの「ピクニック」のようでした。

(月曜の続き)

これらの注意深く確立された慣例がいったん設定されると、これらのほとんどがすぐにくつがえされるのを観客は見る。ビクターが一緒に飲もうと彼を誘うと、客と飲まないという例外なき規則をリックは破る。規則を破ったことを観客が気づかないかもしれないので、ルノーが大声で驚いてみせる。リックがビクターとイルザの勘定書を取り上げると、ルノーは再び大声で「また前例が破られた」と言う。映画は、どのように虚構世界が動いているかを理解するよう注意深く観客を訓練したのち、そうした規則をただちに破る。虚構世界について知っていることが間違っていると証明されると、ほかの規則も信頼できるのかどうか観客は疑うようになる(たとえば、政治と恋愛に関するリックの中立性)。

批評家が主張する不確かさが「カサブランカ」に存在するのはあきらかだが、それは、製作過程にあったと言われている不確かさのなごりがあるからではない。不確かさは、虚構世界の規則を理解するよう訓練されたあとすぐにそれらの規則を捨て去らなければならないことの結果である。

規則正しく予測可能なやり方で世界と相互に作用しあう主人公を確立したあと、主人公の世界をひっくり返す要素(ここではイルザ)を登場させて、主人公に行動の規則を再考させ、作り変えさせる映画は多い。だが、ほとんどの映画は、主人公の当初の行動パターンを完全に覆すのに映画のほぼ全体を使う。「カサブランカ」は、行動パターンが確立されてすぐにそれをくつがえす点で特徴的である。この異常な動きによって観客は「なぜ?」という疑問が起こり、この世界に投入された新たな変数はあきらかにイルザである。

しかし、なお観客は、この変化をもたらしたのはイルザの何なのかを知る必要があり、ここで「カサブランカ」は最も独特の戦略を試みる。登場人物が今後どのように行動するかについての明確な情報源である現在の世界から立ち退くのである。観客は、その種の情報が信用できないと証明されるのを見てきている。信用できるのは過去のように思える。現在の世界で観客のために定義されたリックは、映画を終わらせる英雄的な行動を起こす能力がなさそうである。だが、恋人であり、見込みのない運動を支持ずる過去のリックは、空港で高貴な犠牲を行うことができる。

現在の世界は、せいぜい、リックの今後の選択について部分的で矛盾のある証拠を提示するぐらいである。ほかの前例が覆されているので、リックの「誰のためにも自分を危険にさらすつもりはない」という言葉も同様にくつがえされるのではないかと観客は疑う。最初にビクターがリックに助けを求めたとき、リックは援助をきっぱり断るので、かつて彼を傷つけた女性に復讐するために助けを拒絶しているように見える。リックは、イルザの懇願のあと、ビクターに問題の文書を届けるよう手はずを整える。その一方で、リックは、イルザと一緒に旅立つために、ルノー署長がビクターを逮捕する手はずも整える。この互いに矛盾するリックの行動は、観客はどのように判断すればいいのだろうか。リックが彼の店をフェラーリに売却するといった、いくつかの異なる未来につながる出来事をどのように解釈すればいいのだろうか。主たる証拠は過去の世界にある。

「カサブランカ」に特有のものがあるとしたら、観客の物語上の期待を確立したのち、観客に結果を予測させる現在の世界の行動に信頼できる合図がないことである。代わりに、観客は、将来を予測する方法を探すために、過去を深く探求させられる。この映画は、今後を予測するよう観客を訓練したあとで、過去を振り返るよう観客に求める。

多くの批評家は、この物語上の転換を誤解したために、信じがたい行動をする登場人物を非難している。エーコは、登場人物たちを「心理的に信じられない」とし、登場人物の性格が変わりやすいことの証明として、ビクターが四つの異なるドリンクを注文することを挙げている。禁欲的な男としては信じがたいこととしている。ポーリン・ケイルは、「メロドラマ調の紆余曲折を真面目に受けとるよう観客に本気で求めていない」と述べている。両者が反応しているのは、現在の世界の行動が、観客が古典的な映画で期待するよう訓練された性格の変化の明快で一貫性のあるイメージを提示していないことである。「カサブランカ」は、現在の世界で見ていることを信用せずに、過去についてもっと発見することに集中するよう観客に求めている。これが、登場人物の将来の決定要因として最良で最も一貫しているように思える。

この主張を詳しく述べる前に、反論を予想してみる。登場人物の隠された過去を次第にあきらかにすることによって進行する映画は特に珍しくない。この場合、「次に何が起こるのか」は「過去について次に何が発見されるのか」となる。「カサブランカ」においては、現在の世界で示されている主な証拠は、登場人物の過去より信頼できないので、観客は無視するようになっている。これは単に過去が現在に影響を与えているということではなく、未来を作り出すのに過去が現在を圧倒しているということである。

ほとんどの古典的なハリウッド映画と同じぐらい、「カサブランカ」は未来の結果に対する過去の重要性についての映画である。「カサブランカ」は遠い過去を調べるよう観客を促すので、物語構造に組み入れられたノスタルジアがある。観客が過去の出来事を理解している間、映画は、恋愛と政治の力がさほど複雑にからまっていない明快な時代へのあこがれを喚起させている。このノスタルジアは、「前向き」から「うしろ向き」へと語り口が変化することによって作られる。

「前向き」と「うしろ向き」は、人間の行動を記述し予測する二つの方法である。一方では、人々が何をするかを予測するための最良の方法は、過去に何をしたかを理解することであり、これが「うしろ向き」である。フロイトの著作が革命的だったことの一つは、ある人物の昔のトラウマが現在と未来の生活に影響を与える可能性があるということを発見したことであり、フロイトにとって、人間の行動を理解する最良の方法は、過去を深く探求することである。他方で、人間を理解する最良の方法は、その人が追い求めている目標を理解することである。人々が望むことを知れば、彼らが何をするかをより良く予測することができる。これが「前向き」である。行動主義はこの種の考え方を利用しいる。行動主義者は、過去の知識よりも強化要因や目標のほうが人が何をするかについて多くを語ると主張している。

デビッド・ボードウェルは古典的なハリウッド映画を「前向き」に論じている。観客は、登場人物たちの当初の状態と目標を与えられ、彼らが勝つか負けるまで目標を追い求めて行動するのを見守る。この前向きな手法は映画を駆り立てるが、しばしば古典的映画はうしろ向きに見せようとする。古典的映画では、登場人物は目標の達成に駆り立てる一貫した心理的動機を持たなければならず、しばしばこの動機は彼らの過去に由来する。ほとんどのハリウッド映画において登場人物の過去が重要性を持つのは、なぜ彼らが現在そうなっているかを見せるからである。いったんこれをうまく確立すれば、主人公の目標の追求という主たる作業を続けていくことができる。映画は最終的な目標を追求するのに全部の時間を使うことができるが、一般に、現在の窮地をもたらした過去の出来事を探るのに限られた時間しか使用しない。

古典的な語り口が登場人物の過去を深く探求したがっている場合、物語の枠内での長い回想や一連の回想として映画全体を構成することによって、そうすることが多い。「市民ケーン」「サンセット大通り」「深夜の告白」は、主人公の死や瀕死の状態から始まるので、観客が最初に垣間見たシーンに向かって、語り口の前向きな勢いによって時間順に過去があばかれていく。このような場合、ハリウッド映画は、虚構世界の過去を現在形で提示し、回想内で標準的な問答形式の語り口に従って進行していく。

(月曜に続く)

"People on Sunday" を見開き2ページで紹介しているWeimar Cinema, 1919-1933: Daydreams and Nightmares

Peopleonsunday

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2011年9月21日 (水)

キートンのサイレント長編集 (10): 「キートンのカレッジ・ライフ」

日曜ここからリンクさせた「ももち」の映像、削除されました。あれは、外国の人には女の子を虐待しているように見えるらしく、不快感を示すコメントがけっこうありました。しかし、ももちとベリーズにとっては全国的に知ってもらうチャンスだし、あとで、ももちは加藤浩次に「ありがとうございました」とあいさつに行ったとか。ただ、視聴率は8.4%とめちゃイケ史上最低。昨晩は、春のコンサートを収録したDVD「週刊Berryzタイムス」を再見しましたが、ももちはベリーズの一員として真面目に歌っているので、笑えるももちを期待していると失望します。デビューアルバムに入っている「恋はひっぱりだこ」って曲好きだな。アマゾンで中古盤を250円ほどで売っているので、送料込みで600円なら買ってもよろしい。

キートン・プロの長編9作目は「キートンのカレッジ・ライフ」(1927, College) 。これも70年代の日本のリバイバルシリーズでは未公開に終わりました(自主上映会では古いプリントを見ることができました)。でも、昔日本で公開されていて、その時の邦題は「キートンの大学生」。「キートン!キートン!!キートン!!!」の児玉数夫さんは1931年(昭和5年)に赤坂溜池の葵館で、「弗箱ロイド」(ロイドの短編集)、フェアバンクスの「臆病男」とともに見ています。児玉さんによると、キートン演じる運動のできない優等生ロナルドはロイド喜劇にも共通し、雨にぬれた服が縮みあがってしまったときのスタイルもロイドに似ているそうです。たぶん、児玉さんの頭にはロイドが学生を演じた「ロイドの人気者」 (1925, The Freshman) があったのだろうし、キートンもロイド作品からインスパイアされたのは間違いない。ロイドを見守るジョビナ・ラルストンがいるように、キートンにもメアリー(アン・コーンウォール)がいます。ドジな主人公を無条件に愛する女性の存在っていうのは、昔はキュンとなりましたが、今はそういう気持ちも薄れてしまいました。でも、ジョビナには胸キュンとなったから、うまく作っていれば、そういう気持ちにならないわけでもない。このキートン作品での女性も可愛いけど、恋愛の描き方がおざなりだし、さほど登場するわけでもない。

キートンは監督していない。キートン・プロでの短編時代からこれまで、共同監督という形はあっても、キートンが監督としてクレジットされていないのは、これが初めてではないか。キートンのプロダクションが製作しているけれど、この頃になると、映画作家としてのキートンの自由がかなり奪われてしまっているんじゃないかと推測されます。おなじみの脚本家たちは5作目「セブン・チャンス」を最後にいなくなるし、撮影もおなじみのエルジン・レスリーではなくなっているし。もちろん、キートン・プロといっても、ずっとジョセフ・シェンクが支配していたんだろうし。監督のジェームズ・W・ホーンは30年代の半ばにローレルとハーディの映画を監督しています。

キートンの母親を演じているのは1910年ごろ The Vitagraph Girl と呼ばれていたフロレンス・ターナー Florence Turner (1885-1946)。昔は俳優の名前がクレジットされていなかったので、会社名で呼ばれていたのです。彼女より前にフロレンス・ローレンス Florence Lawrence (1886-1938) が Biograph Girl と呼ばれているので、彼女が最初の映画スターなんだろうけど、記事の中で「スター」という言葉が使われたのはターナーが最初だったようです。(An Encyclopedic Dictionary of Women in Early American Films 1895-1930)

本ばかり読んでいるキートンが大学に入って、いろいろスポーツを試みるがドジばかり。最後にボート大会で優勝し、下心のある恋敵からメアリーを助ける話。細かいギャグは豊富だけど、全体的に少々物足りない。

恋敵がメアリーに襲われている二階に棒高跳びで入っていく場面は、珍しくスタントマンが使われています。「キートンの探偵学入門」で、オートバイを運転している助手がうしろに落ちる場面で、キートン以外にうしろに落ちることができる人がいなかったので、キートンが助手のスタントマンを務め、ハンドルの前に座っているキートンを別の人が務めたということがありましたが、純粋な意味でキートンのスタントマンが使われたのは今度が初めて。スタントマンを務めたのは、1924年のパリのオリンピックで棒高跳びの金メダルを取ったリー・バーンズ Lee Barnes です。

  1. キートンの恋愛三代記 Three Ages (1923) ★★★★★
  2. 荒武者キートン Our Hospitality (1923) ★★★★★
  3. キートンの探偵学入門 Sherlock Jr. (1924) ★★★★★
  4. 海底王キートン The Navigator (1924) ★★★★★
  5. セブン・チャンス Seven Chances (1925) ★★★★★
  6. キートンのゴー・ウェスト! Go West (1925) ★★
  7. キートンのラスト・ラウンド Battling Butler (1926) ★★★
  8. キートンの大列車追跡 The General (1926) ★★★
  9. キートンのカレッジ・ライフ College (1927) ★★★

児玉数夫著「キートン!キートン!!キートン!!!」(ブロンズ社、1980) から。

Keatoncollege

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2011年9月20日 (火)

1978年9月第3週に見た映画

9月18日(月) スター・ウォーズ (新宿プラザ) 5点
9月19日(火) 世界大戦争 (フジテレビ) 1点
9月19日(火) 事件 (並木座) 3点
9月19日(火) 点と線 (並木座) 2点
9月21日(木) 恋はすばやく (フジテレビ) 3点
9月22日(金) カプリコン1 (三鷹オスカー) 5点
9月22日(金) ダラスの熱い日 (三鷹オスカー) 2点
9月22日(金) 大統領の陰謀 (三鷹オスカー) 4点
9月22日(金) 我等の仲間 (東京12) 4点
9月23日(土) 華岡青洲の妻 (東京12)  4点

この週は10本。前2週の14本と比べると、ずいぶん少なくなった感じで、振り返るのが楽。

この年は、春休みにスピルバーグの「未知との遭遇」が公開され、夏休みにジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」が公開されたようです。私は「スター・ウォーズ」のほうが単純に楽しめて好きでした。「キネマ旬報ベスト・テン80回全史1924-2006」によると、ビスコンティの「家族の肖像」が1位だった1978年に「未知との遭遇」は4位、「スター・ウォーズ」は9位でした。読者は「スター・ウォーズ」が1位、「未知との遭遇」が3位。興行成績は「スター・ウォーズ」が44億円で1位、「未知との遭遇」が33億円で2位でした。

題名だけなら「世界大戦争」も「スター・ウォーズ」に負けていない。でも、実はショボい日本映画。水爆戦争の恐怖を描いた1961年の東宝映画で、円谷英二の特撮があるらしいのですが、記憶にあるのはフランキー堺演じるタクシー運転手の庶民的な様子だけ。脚本八住利雄、監督松林宗恵。

「世界大戦争」が火曜になっていますが、本当は月曜の深夜です。というのも、火曜には銀座並木座に行っており、そこにはいつも朝一番に乗り込んで、自分のお気に入りの席を確保していたからです(前から4番目ぐらいの左端)。「事件」は1978年の松竹映画で、原作大岡昇平、脚本新藤兼人、出演永島敏行、松坂慶子、大竹しのぶ、渡瀬恒彦。キネ旬ベストテン4位。前にも書きましたが、この年1位の「サード」でデビューした永島は5位の「帰らざる日々」にも出ており、ベストテンに3本入っているという大活躍。しかも、読者選出では、この三本がトップスリーを独占しています(「帰らざる日々」「事件」「サード」という順)。でも主演男優賞は「鬼畜」の緒形拳。「事件」は、脚本賞と助演女優賞(大竹)と助演男優賞(渡瀬)をもらっています。お腹が大きくなった大竹がたくましく去っていくラストシーンのみが記憶にあります。どんな話だったか、あらためてgooであらすじを読むと、松坂と大竹の姉妹と永島との三角関係のもつれによる殺人事件のようです。ほかの出演者は、佐分利信、中野誠也、芦田伸介、丹波哲郎、山本圭、西村晃、北林谷栄、森繁久彌、乙羽信子、佐野浅夫、浜田寅彦、夏純子、丹古母鬼馬二、穂積隆信と豪華。撮影川又昂、音楽芥川也寸志で、監督も含めたスタッフは1973年の「砂の器」や1977年の「八つ墓村」と同じらしい。この年6位だった松本清張原作の「鬼畜」も同じようなスタッフですね。

これ当時書いた感想がありました。つたない部分があるけど、そのまま転載します。

「事件」は、あまりに期待しすぎたため、失望してしまった。思ったより、金をかけずにこじんまりした作品だが、一つピリッとしない。裁判に緊迫感がないためか。

普通、裁判ものというと、真相を明らかにするとともに、弁護側と検事側のかけひきで見せていくのが多く、ほとんどは弁護側に焦点をあてている。つまり、いかに主人公は無実であるということを証明するのがポイントになっている。

「事件」では、まず被告は犯行を認める。だから、明らかにするのは殺意があったかどうかになっている。初めのうちは弁護側が検事側の証拠をくずすという形になっている。しかし、大竹しのぶが証人台に立つあたりから、この形はどこかに行ってしまい、弁護側、検事側、裁判所(判事)が一体となって、あるいは媒介となって、真実を追求するという形になる。このあたりの構成があいまいなかんじで、もっと各人のとる態度を明確にした方が良かったんじゃないかと思う。

裁判所の追求のだらしなさをのぞいて、殺人のお話を考えると、これも平凡でつまらない。さらに、それを環境のせいにするとかいう人物がでてきたりして、シラケる。が、この先生も中途半端な出かたである。また、被告もだらしのないおとこでハッキリしない。松坂慶子の姉もミス・キャストじゃないのか。もっと、それらしい人を使えばいいのに。

思い出せば思い出すほど悪いところばかりで、一体どこがいいんだろう。登場人物の中では、大竹しのぶがよく、しかし、彼女のキャラクターは嫌いだ。あんなベットリした女はいやです。第一、裁判所でうそをつくような女なんですから。そういえばクリスティの「情婦」がありましたが、こっちはスッキリしている。次いでいいのは、渡瀬恒彦です。が、それほどよくはないけど、まわりがパッとしないから、よく見えたのかなァ。

「点と線」は少々古い作品。1958年の映画で、監督小林恒夫、脚本井出雅人、出演高峰三枝子、山形勲と記録しています。松本清張の有名な推理小説を東映が映画化したもの。原作は「旅」という雑誌の1957年2月号から1958年1月号まで連載され、翌月単行本として発売。映画公開は11月11日。カラー。2007年にビートたけし主演でテレビドラマが作られ、二夜にわたってテレビ朝日で放送され、24%という高視聴率だったし、いろいろ賞をもらっているようですね。有名な小説のわりに、この間の50年に何も作られていないというのが意外。

「恋はすばやく」は1958年のイタリア映画で、レジナルド・デナムという監督で、ジーナ・ロロブリジーダとビットリオ・デ・シーカ出演と記録しています。日本で公開されたのは1961年だから、双葉さんの「ぼくの採点表1960年代」に載っています。「ロロとデ・シーカの組合せは「パンと恋と夢」以来、大いにぼくたちを楽しませてくれていた」とあるので、これまでにも二人共演のお色気コメディは何本かあったのでしょう(ロロブリジーダはロロと呼ばれていたらしい)。未亡人となってアメリカからイタリアの小村に戻ったロロに、男たちが言い寄ってくるという話。少し前にクライテリオンから発売されたラファエロ・マタラッツォ監督の50年代初期イタリア大ヒット映画集で主演していた、エロール・フリンを庶民的にした感じのアメデオ・ナザリも言い寄ってくる一人(60年代終わりの「シシリアン」でジャン・ギャバンの友人を演じた人)。デ・シーカは牧師役としてロロを見守る役で、特に二人のからみはないらしい。プロデューサーはロロの夫のミルコ・スコフィック。音楽はアレッサンドロ・チコニーニ、撮影はジュゼッペ・ロトゥンノ。レジナルド・デナムという監督名がイタリア人ぽくないなあと思ったら、IMDbによると Carlo Lastricati が監督で、デ・シーカも協力しているようです。レジナルド・デナムは英語版監修者になっています。

この週は、なぜか日曜ではなく金曜に三鷹オスカーで三本立てを見ています。「カプリコン1」「ダラスの熱い日」「大統領の陰謀」と政治スリラー三本立てですね。「カプリコン1」はこの年の4月に見ています。その時を振り返った今年4月の記事を転載します。

「カプリコン1」(1978, Capricon One) は面白かった。ずっと月への宇宙船の話だと記憶していたのですが、本当は火星への宇宙旅行でした。その計画がウソっぱちで、すべて砂漠の中での撮影。それを知ったジェームズ・ブローリン、サム・ウォーターソン、OJシンプソンの三人の宇宙飛行士は自分たちが殺される運命にあることを知り、砂漠を逃げるという話。さらに、疑問を感じた新聞記者のエリオット・グールドやカレン・ブラックらによる真実の追究も始まり、面白さ倍増。脚本監督ピーター・ハイアムズ、音楽ジェリー・ゴールドスミス、撮影ビル・バトラー。ワーナー配給。1977年キネ旬11位、読者8位。

ただし、二度目見たときの感想によると、一度目よりはるかにつまらなかったらしい。ただ、ヘリコプターのイメージが素晴らしかったのと、最後の墓場の場面が痛快で、涙が出るほどうれしくなるらしい。今はまったく思い出せないんだけど、「これがあるから、この映画は忘れがたいを味をもっている」そうです。

「ダラスの熱い日」は、ケネディ暗殺を扱った作品。私の記録によると、監督デビッド・ミラー、脚本ダルトン・トランボ、出演バート・ランカスター、ロバート・ライアン。1973年の "Executive Action" という原題のアメリカ映画。期待していたより面白くなくて、点数が低い。1974年のキネ旬18位。"5001 Nights at the Movies" のポーリン・ケイル女史によると、「どのようにケネディ大統領が右翼の大掛かりな陰謀の犠牲者となったかについて描いた、説得力がなく、鈍感な映画化。時代遅れ。バート・ランカスター、ロバート・ライアン、ウィル・ギアを含むキャストの演技は、この上なく退屈。」

「大統領の陰謀」も二度目。感想によると、1977年の5月に中野武蔵野館で見たときよりも、いくらか話がわかってきて、その分面白かったようです。そういえば、白い背景の映像が多くて、白抜きの日本語字幕が見えにくいという不満が多かったのはこの映画だったような。

映画館で三本見て、テレビでまだ映画を見ようという元気と暇がうらやましい。「我等の仲間」は、ジュリアン・デュビビエ監督、デュビビエとシャルル・スパーク脚本、ジャン・ギャバン、シャルル・バネル、ビビア-ヌ・ロマンス出演の1936年のフランス映画。1937年のキネ旬でフェデーの「女だけの都」に次ぐ2位。これも当時の感想があるので、そのまま転載します。

田舎のレストランとまわりの風景、そこに集まってくる人たち、のどかな楽しいムードが素晴らしい。その他にもホノボノとしたムードがあり、きっと最後もみんな楽しくやって行こうじゃないか、という形になると思った。まず、屋根からトトという仲間の一人が死ぬ。アッケなく。それが伏線だったのだ。ラストはジャン・ギャバンが突然シャルル・バネルを殺してしまう。5人の仲間のうち初めに姿を消す若者の消え方からして、突然すぎて、何の必然性もなかった。トトが死ぬのもシャルルをジャンが殺すのも意味がないじゃないか。

まず作者の頭には5人の仲間をバラバラにしてしまうことが頭にあったのだと思う。マリオが結婚のため仲間を離れるのは、まだいい。しかし、あと4人の別離は、あまりに不自然すぎる。特にジャンがなぜポケットにピストルを忍ばせていたか、わからない。シャルルが女を信じて、ジャンを信じないというのも、イライラしてくる。この5人組は、あとから考えると欠点だらけの仲間たちだ。よく今まで続けてこられたものだと思う。特に、一番こわいのはジャンで、なにしろカッときて人を殺しちまうんだから。

デュビビエもひどい人だ。話の方にばかり気がいって、人間の方はただダシにしているだけなんだ。人間性を利用して話を面白くしようとしている。

こういう途中まで喜ばしておいて最後の方になってわけもなくシュンとさせる映画には石を投げたくなる。唯一の救いは、マリオと恋人、そのおバアちゃんだろうが、この作者たちが彼らを追っていたら、と思うとゾッとする。

最後の部分が何のことやらサッパリです。

この週の最後は、東京12チャンネルで夜10時ごろから放映していた邦画番組の「華岡青洲の妻」。キネ旬では1967年の5位。増村保造監督の大映映画。原作有吉佐和子、脚本新藤兼人、撮影小林節雄、音楽林光、出演市川雷蔵、若尾文子、高峰秀子、渡辺美佐子、伊藤雄之助、浪花千栄子。読者は男子が2位、女子が4位。雷蔵がこの作品と「ある殺し屋」の演技で男優賞、若尾は「智恵子抄」「あかね雲」「女の一生」の岩下志麻に敗れました。キネ旬の「日本映画作品全集」によると、初めて全身麻酔による手術をおこなった医師が主人公で、若尾と高峰が嫁と姑の女の葛藤を展開するドラマです。白黒、100分。

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2011年9月19日 (月)

映画構造と感情システム (59)

(木曜の続き)

「カサブランカ」は、調和のとれた一連の合図を観客に送って、直後の出来事を予測するように促したあと、さらに主な筋の出来事を予測するよう促す。殺人者の逮捕について初めのほうでヒントを提示したのち、一気に逮捕劇を見せる。観客は、ウガルテが問題の文書を持っていることに気づくので、誰が逮捕されるかわかる。警察署長ルノーは、リックとストラッサー少佐に対して、逮捕について自慢げに話している。警察が逮捕の準備をしている。最終的にウガルテが拘束され、店からひきずり出される。「カサブランカ」は、どんな場面が次に起こるかを予測するよう観客を仕込む。その後、ウガルテの逮捕のような、筋書き上のより大きな出来事を予期するよう促す。それから、観客は映画全体の結果を予期するための適切な準備を行う。リックとイルザは一緒になるのだろうか?ビクターはカサブランカから脱出するのだろうか。

こうしたことは、物語戦略として、さほど驚くことではない。これらは、ノエル・キャロルが問答による語り口(erotetic narration) と呼ぶもののかなりわかりやすい例である。古典的な語り口では、一連の質問が提示され、それらの答えが出て、そこからさらに別の質問が出される。デビッド・ボードウェルが論じているように、古典的な語り口は一連の目標を提示し、観客は、それらの目標が達成されるかどうか仮説を立てながら、今後の展開を予測する。「カサブランカ」のはじめのほうのシークエンスにおける予測の物語戦略は、いくぶん標準的だとしても、念入りに仕上げられている。(David Bordwell (1985) Narration in the Fiction Film (University of Wisconsin Press))

はじめのほうのシークエンスで求められている物語上の期待の切迫感は、素早い編集によって高められている。クレジットタイトルが終わってからリックの店に入るまでの数分間は、ショットの長さの平均が5.3秒しかない。これらのシーンは観客の期待に対して結果を見せてくれるだけでなく、素早く結果を示していることで進行に切迫感を与えているし、映画の筋を理解し続けるには相当な警戒を怠らないようにしなければならないことを教えてくれる。観客の予測を促すという慣習は、かなり標準的なことである。初めのほうは、この慣習を前面に押し出している。

「カサブランカ」は、出来事が規則によって拘束されているような世界を観客に見せ、正確な予測を観客が行うのを手助けすることで、観客の予測をさらに促す。「カサブランカ」は、リックの店の規則を素早く確立している。ウェイターのカールが銀行家に対して、リックは客と酒を飲まないと説明しているのが聞こえてくる。ウガルテは一緒に酒を飲んでほしいとリックに頼むが、リックの禁制を思い出したので、リックが拒絶する前に自分のへまをわびる。ビクターがイルザと三人で酒を飲もうとリックを誘うと、すぐにルノー署長がリックの代わりにリックの方針を説明する。これによって、リックの世界ではみんながこの規則を理解していることがわかる。リックの店がどのように営業しているのか気づかせる必要があるのは、ビクター、銀行家、観客といった新人だけである。

ルノー署長は、リックの店を支配する他の規則を観客が知るのに貢献している。ストラッサー少佐がリックに質問すると、ルノーは「リックはすべてについて完全に中立で、女性に対してもそうなんだ」と少佐に教える。リックを好きなフランス人女性にリックだけが魅せられていなことがすでに示されている。ストラッサーがリックの政治的信条を封じこめておこうとすると、リックは相当な政治的外交手腕を発揮する。リック自身は、別の中立性の原則を観客に示す。「俺は誰に対しても余計なことをして自分を危険にさらすことはない。」彼は、この原則をウガルテの逮捕の直前に述べ、ウガルテの逮捕を邪魔しないことによって原則を実行する際に再び示す。いったん店の規則を理解すると、リックのカフェは予測可能な世界となり、そこでは十分に確立され、あからさまに述べられる規則に従って人々がふるまう。あるいは、そのようにふるまうよう告げられる。

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2011年9月18日 (日)

日曜はトリュフォーだ!:Francois Truffaut at Work (2)

ももち、大活躍の巻 (岡村からの強引なマイクのもぎとり!自分の仕事をやり遂げた最後の満足そうな顔!)

実は正統派アイドル

Carole Le Berre の "Francois Truffaut at Work" (2005, Phaidon Press) の二回目。序文の続き。本日は「自由のシステム」という見出しの部分。

トリュフォーが完全に自由に映画を作るシステムを作り出したことについて。第一は、自分の製作会社レ・フィルム・デュ・キャロッスを持ったこと。彼が製作会社を立ち上げたのは、1957年の短編映画「あこがれ」を作ったときで、その後結婚するマドレーヌの父親で大手映画配給業者のイニャス・モルゲンステルヌがトリュフォーの資金調達を手助けするためにマルセル・べルベールを送り込み、べルベールは25年間トリュフォーの右腕としてキャロッスで働くことになります。この会社によって、トリュフォーは芸術的かつ財政的な独立性を保つことができました。多くのトリュフォーの企画は資金をえることが困難で、たとえば、「野性の少年」や「アデルの恋の物語」がそうだし、「アメリカの夜」や「終電車」でさえもそうだったようです。フランス国内で資金を回収できないこともしばしばありましたが、外国での興行収入のおかげで何とか採算がとれました(「自分の創造の自由はアメリカ、日本、スカンジナビア諸国の観客たちの忠誠のおかげです」)。必要でない映画を作る義務を負ったことはなかったけれど(たぶん「逃げ去る恋」を除いて)、自分の製作会社を黒字に保つために適度な予算に自ら限定したため、「アデルの恋の物語」のように、より贅沢な映画を作りたい気持ちを抑えざるをえませんでした。

ル・キャロッスの事務所はトリュフォーにとって隠れ家にもなったようです。そこはトリュフォーの職場であり、撮影していないときは毎日通い、ドアを閉め、手紙の返事を書き、次の映画の構想を練り、尊敬する映画監督や作家の著作を貯蔵する場所でした。また、彼を取り巻き、彼を守り、彼に付き添う映画仲間から成る代理家族の安心が得られる場所でした。1971年、トリュフォーが「恋のエチュード」の製作中に経験した非常に重いうつ状態から回復しつつあるとき、彼はマルセル・べルベールに手紙を書きます。「今年初め、ル・キャロッスは瀬戸際にあったが、君は、黙々と、だが力強く、状況を是正するのを手伝ってくれた。すべてがうまくいき、「恋のエチュード」を作るという冒険を公開しないことを願っている。」

シュザンヌ・シフマンはトリュフォーにとって欠くことのできない協力者であり、シネマテークで最初に出会い、二作目「ピアニストを撃て」でスクリプトガールとして彼女を雇うことができました。トリュフォーが初期の作品を撮影中に脚本を書き直す際、一緒に作業を行ったのは彼女でした。彼女が正式にトリュフォーの助監督になったのは「野性の少年」からで、「アメリカの夜」で初めて共同脚本家としてクレジットしました。その後、ル・キャロッスで事務室が彼女に与えられ、次回作を構想中、彼女が必要なときはいつでも呼べるようにしたそうです。トリュフォーは、自分自身が他人に言いたくないことを彼女に言ってもらうことがしばしばで、正当に評価することが難しい貢献を彼女は常に行っていました。こうしたことは口頭で為され、書面になっていないし、シフマンは自分のことを話すのが好きじゃないので、彼女を正当に評価するのが難しいということです。

トリュフォーはスタッフをよく映画に出演させます。クロード・ミレール、ジャン・フランソワ・ステブナン、ロラン・テノ(プロダクション・マネジャー)、モニク・デュリ(衣装デザイナー)、クロディーヌ・ブーシェ、ヤン・デデとマルチーヌ・バラク(編集)、クリスティーヌ・ペレなど。シュザンヌ・シフマンも「恋愛日記」でほんの少し出てくるそうです。

ジャン・ルイ・リシャール、クロード・ド・ジブレー、ジャン・グリュオーといったトリュフォーの共同脚本家は彼の友人でもあるのですが、作品の種類ごとに彼らを分類しているし、撮影監督も、ていねいに撮影する必要がある時代物はネストール・アルメンドロス、素早い撮影が必要なテンポの速い映画はピエール・ウィリアム・グレンと使い分けています。

もうひとり重要な人物はアメリカ人のヘレン・スコットです。彼女はフレンチ・フィルム・オフィスの広報担当で、トリュフォーが「大人は判ってくれない」でニューヨーク批評家賞を受賞したとき、ニューヨークで彼を出迎えました。彼女はトリュフォーが何でも打ち明ける代理母のような存在になったし、トリュフォーによるヒッチコックのインタビューで通訳を務めました。二人の間で交わされた手紙は、トリュフォーの人生と野心の動向を示す貴重な指標であり、トリュフォーの保管文書に示された製作過程を理解するのに重要な役割を果たしています。

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2011年9月17日 (土)

夜明けのモンキーズ

本日は番外編で、いつもの英国音楽から離れて、60年代米国ポップスの集大成みたいなモンキーズの特集です。ただ今、朝の3時半、散歩に出かける5時すぎまでおつきあい願いましょう。

まず、余計な解説ぬきで、「パパ・ジーンズ・ブルース Papa Gene's Blues」から。メンバーのマイク・ネスミスが作った曲で、彼自身が歌っています。演奏ははほとんどスタジオ・ミュージシャンで、ジェームズ・バートンがリードギターを弾いています。ファーストアルバムに入っている曲で、ネスミスはこういうカントリー風なのが特徴です。

今度はまたネスミスの曲で、1969年7月にビルボードの63位まで上昇した「すてきなミュージック Listen to the Band」。私が中1の夏で、私が買ったモンキーズのシングルといえば、これと「モンキーズのテーマ」だけでした。

私が初めて買ったLPは「小鳥と蜂とモンキーズ The Birds, the Bees, and the Monkees」で、たぶんこれも中1のとき。1968年に出た5枚目で、初めてモンキーズは1位を獲得することができず、3位どまりでした。その中から、甘い声のデイビー・ジョーンズによる、この上なく甘い「気の合う二人」。原題は "We Were Made for Each Other" で、「僕たちはお互いのために生まれてきたんだ」という歌詞。作ったのはキャロル・ベイヤー・セイガーとジョージ・フィショフ。ここまでやられると脱帽。

次は「涙の街角 Tear Drop City」。1969年3月に56位どまりだった曲。この頃、地元のラジオで日曜の朝にRCAビクターの曲ばかりかける番組があって、そこで聴きました。曲の感じはデビュー曲で大ヒットした「恋の終列車 Last Train to Clarksville」に似ていて、たぶん昔録音してお蔵入りになっていたのを、あとになってから発売したんじゃないかと思います。作ったのは「恋の終列車」と同じトミー・ボイスとボビー・ハート。ピーター・トークが1968年12月に脱退して初めてのシングル。

次は「ランディ・スカウト・ギット Randy Scouse Git」。ミッキー・ドレンツが作って歌っています。もともと彼らの3枚目「灰色の影 Headquarters」(1967)に入っていた曲だったのですが、題名がイギリスではやばいスラングらしく、"Alternate Title" という題名でイギリスで1969年ごろ発売されてヒットしたので、たぶん日本でもシングルが出たのでしょう。上記のラジオ番組で聴いたことがあります。

あっという間に4時半になってしまいました。あまり有名ではない自分にとって懐かしいものばかりかけてきましたが、ここからは代表的なもの。まず、なんといっても懐かしいのが「デイドリーム・ビリーバー Daydream Believer」。カラフルなセットとデイビーの体のくねらせ方が焼きついています。曲は元キングストン・トリオのジョン・スチュワート。1967年暮れに4週1位。

彼らの一番のヒット曲はこれではなく、ニール・ダイアモンド作の「アイム・ア・ビリーバー I'm a Believer」が1966年暮れから1967年2月にかけて7週間1位になりました。

では、先ほど言及した彼らのデビュー曲「恋の終列車」。これは、1966年11月に1週だけ1位になっています。彼らの曲がアメリカで1位になったのは、この3曲だけなんでしょうかね。

最後は「すてきなバレリ Valleri」で、1968年3月に3位まで上昇。トミー・ボイスとボビー・ハート作。この映像のバージョンはシングルと違って珍しい。シングルはこちら

ああ、楽しかった。

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2011年9月16日 (金)

フィルムノワール入門 (23)

やっと第3章です。「フィルムノワールのスタイル」。

まず序文があって、それから「フィルムノワールのスタイルの進化-実験期間 1940-1943」「映画スタジオの表現主義 1944-1947」「修正された表現主義:バル・リュートンの影響」「野外撮影時代とセミドキュメンタリー 1947-1952」「分裂と衰退 1952-1958」と続きます。本日は序文のみ。

フィルムノワールについてよく強調されるのは視覚スタイル。明暗のはっきりした照明がフィルムノワールのスタイルの議論を支配するようになってはいるが、雑多なものから構成されているためにスタイルについて語り尽くされることはない。

以下で述べる四つの時期は前章で述べた製作の時期と一致しているが、1944年から1952年という主要な時期に起った明確なスタイル上の変化を加えている。ほとんど議論されることはないが、音もフィルムノワールのスタイルの一部であり、独特で革新的なジャズの音楽と、引用に値する気のきいたセリフを含む会話とナレーションによってフィルムノワールが変化した。(名セリフ集は Peggy Thompson と Usukawa Saeko の The Little Black and White Book of Film Noir (1992) と Hard-Boiled: Great Lines from Classic Noir Films (1995))

どの美学的革新もそうだが、フィルムノワールは支配的なハリウッドの古典的スタイルと違う特徴を持つ必要があった。古典的スタイルは多くの観客が理解できる映画を作り出そうとする試みだった。その明快さは、スタイルに関する工夫を、登場人物の動機や彼らの行動の結果に従属させることから生まれた。明快さを作り出すために、ハリウッドの製作者たちは、カメラワークと編集を体系化し、観客を「理想的な傍観者」にするために、一番有利な位置から出来事を見たり聞いたりできるようにした。観客は常にスターが演じる主人公と筋の重要な要素に注意を向けるように促された。(このあと、古典的な映画スタイルの例を挙げていますが、割愛します。)

「透明な」スタイルには出しゃばらない照明が含まれる。明るい照明を当てることで登場人物は最大限に強調される。俳優の上からの強い直接的な照明によって作られた影は、横からの柔らかく、拡散された、間接的な照明によって消される。この照明は登場人物の顔を魅力的に見せる役目もする。また、背後からの光が注意深く俳優を背景から際立たせる。このバランスのとれた三点照明は、よく考えた上での美学的な選択だった。というのも、電気代が高くついたし、細かいセットや装飾品が必要だったからだ。また、役者とセットを明瞭に見せるために、カメラの角度が狭くなり、あまり動かすことができなかったし、非常に予測可能な編集を必要とした。レンズの絞りが最大限に開かれたので、深度が浅くなり、ソフトフォーカスになった。この抑制されたスタイルは、1936年から1939年までの後期撮影所時代に支配的となり、中流の嗜好に合わせて中流知識人のベストセラーを体裁よく脚色した「良質の映画」を作り出した。(M. Cormack (1994) Ideology and Cinematography in Hollywood (Macmillan))

Janey Place と Lowel Peterson は、フィルムノワールの独特の外見は「反伝統的な」照明とカメラワークに由来すると主張している ("Some Visual Motifs in Film Noir" in Film Noir Reader (1996))。照明は暗く、補助的な照明の使用は故意に控えられており、あらく照らされた狭い場所と真っ暗な影で不明瞭になった周囲との間に厳しいコントラストを作り出している。補助的な照明がまったく使われないことがあり、その場合、かなりの部分が完全な暗闇になる。撮影監督は、伝統的な照明の配置を行うかわりに、考えられる限りいろんな場所にライトを置いて、最も印象的で風変わりな光と影の構成を作り出そうとした。主演女優のクローズアップは、レンズの工夫によって、柔らかくして美化していたが、フィルムノワールではめったに行われることがなく、主演女優はくっきりと撮影され、魅力的で不可解なものにしている。室内のセットはいつも暗く、不幸を予感させる影が壁に縞模様を作っている。屋外での夜のシーンは、実際に夜間に撮影されており、昼間撮影された場合の灰色の空ではなく、真っ黒の空になっている。ディープフォーカスと広角レンズの使用によって、すべての被写体にピントが合うことで閉鎖的で「不注意な」世界を作り出しているだけでなく、クローズアップの顔が膨れ上がり、建物が傾くゆがんだ世界をも作り出している。広角レンズは観客を映画に引きこんで、劇的な出来事をより直接的なものにしている。

(第3章の序文の途中までです。技術に関することが苦手なので、あまりはかどりませんでした。)

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2011年9月15日 (木)

映画構造と感情システム (58)

これ、おじさん、メロメロ。今度のシングルは二曲目が楽しい。「自分が一番可愛い」とか「練習のときは手を抜いているから後輩に慕われない」とかテレビで言っている娘は、けっこうガンバリ屋さんだし、後輩は彼女のことがぶち好きじゃけえ

では、月曜の続き。

最初の20分間で求められている第一の認知と感情の方向は不確かさだと主張することができるかもしれない。どのように映画を終わらせるかについての製作者側の優柔不断さによってもたらされた不確かさではなく、映画のジャンルについての観客側の当初の不確かさである。最初のほうのシークエンスでは、いくつかのジャンルの最小台本を混合させることによって、映画を見る際に観客が使用する適切な感情の方向について不確かさを持続させている。

この解釈によると、不確かさという気分によって、観客はリックの行動について確信を持つことが困難になっている。リックはイルザをカサブランカに引きとめて、ビクターをリスボンに旅立たせるのか。ビクターをナチに引き渡して、イルザとともにカサブランカから旅立つのか。この不確かさの気分は、リックの行動についての観客の疑いを補強する一連のシーンによって維持されている。リックは、ビクターを売り渡す寸前まできているように見えるときもあるし、イルザに復讐するために問題の手紙を手元に置いたままにしているように見えるときもある。最後の場面の不確かさは、映画の初めのほうで確立された不確かさによって確立されており、この状態は、物語の情報の真実性を判断するように観客を仕向ける認知的な志向と、映画の進行をサスペンスに満ちたものにするのに貢献している感情的な志向の両方を含んでいる。

古典的なハリウッド映画のほとんどは、観客が一度しか見ないことを念頭に作られているが、「カサブランカ」は当時としては比較的まれな例の映画で、何度も見に来る「カルト」的なファンが数多くいる。ウンベルト・エーコによると、「カサブランカ」が他の映画を引用したり喚起させたりすることがカルト的な地位を獲得したことの鍵であり、他の映画との相互関係が非常に濃いために多くの解釈が可能である。だが、より濃密に作品が相互に関連しているメディア時代においては、作品の相互関連は、映画が繰り返し喜びを与えることをさほど指し示すものではない。ディスニーの「ヘラクレス」のように相互関連が濃厚な映画が、「ライオン・キング」のように何度も見られるものになるとは限らない。他の作品との相互関連とジャンルの最小台本の混合は重要だが、ここでは「カサブランカ」の合図について少々異なる力点から解釈してみる。

「カサブランカ」は、映画の最初のほうのシークエンスを通じて、今後の展開を予想するように合図を送る。「カサブランカ」は、話の展開を予想するよう観客を訓練しながら、これから起ることのヒントを与えることによって、ある時間と場所から別の時間と場所に観客を見事に導く。高官が「疑わしい人物を全員検挙して、盗まれた文書を探し出せ」と警官に命令すると、すぐに市場での手入れの場面に変わって、警官が命令を実行している。警察が射殺された容疑者の持ち物を調べて自由フランスのビラを発見すると、すぐに、次のシーンが起る裁判所の上の「自由、平等、友愛」のモットーに切り替わる。ある男が財布をすられたことに気づいたあと、彼は見上げる。飛行機が着陸しようとしているところで、亡命者の群れがそれをじっと見つめている。これは、ストラッサーが到着する空港への移行を助けている。空港では、ストラッサーとルノーが急使の殺人者の逮捕が差し迫っていることを話し合っている(「今晩、彼はリックの店にいるだろう。みんなリックの店に行くから」)。これによってリックのカフェ・アメリカンの外見を確立するショットに切り替わる。リックの店では、カサブランカからの脱出を計画している客たちの会話が耳に入ってくる。

リックを紹介するとき、ギリシャ悲劇の昔からある工夫を利用して観客の期待を促す。主人公を見せるのを遅らせるのである。リックが登場する前に、リックは客と一緒に酒を飲まないし、客の地位には興味がないとウェイターが客たちに言っている。映画は、リックを見たいという観客の欲望をもて遊んでおり、小切手にサインしている彼の手を最初に見せ、次に彼のカクテルグラス、チェスの駒を動かしている指、タバコを見せて、やっとカメラが上方に動いて顔を見せる。最初は言葉によって、次に視覚によって、映画は、主人公の登場を予期するよう観客を促している。

(続き)

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2011年9月14日 (水)

キートンのサイレント長編集 (9): 「キートンの大列車追跡」

70年代のキートンのリバイバルシリーズは客の入りが悪いらしくて、第5弾までは順調に公開されていたのですが、第6弾「大列車追跡」は第5弾から3年近くたった1977年4月にやっと公開。で、さらに2年半ぐらいして第7弾「荒武者キートン」が公開。当初10本公開される予定が、これで中止になったんじゃないかと思います。

「キートンの大列車追跡」(1926, The General)は、10年ごとにサイト・アンド・サウンド誌が世界の批評家の選出によって決める映画史上トップテンの1972年版で8位に入っており、監督でも8位で、チャップリンの10位より上位にいました。

南北戦争が舞台で、前半は機関士のキートンが北軍に奪われた列車と恋人を別の列車で追いかけ、後半は取り戻した列車に恋人とともに乗って、北軍から逃げるというお話。とにかく、お金がかかっています。本物の列車を使ってオレゴンの山中で何十日もロケしたとかで、燃える橋から列車が落ちるシーンも実際に撮影しています。エンジンは今でも川の中で眠っているとか。北軍と南軍のエキストラの数も多いし(同じ人たちが北軍と南軍を交代で演じているのかもしれませんが)、馬も多い。

ただし、私が好きかどうかは話が別で、最後まで話をうまく語っている分だけ私には面白くない。話とギャグがうまく融合している傑作と言うこともできるのだろうけど、話は便宜上そこにあるだけで、途中から異次元の世界に突っ走る初期の長編のほうが好き。キートン自身、わりとまとも。

恋人マリオン・マックは、単なる飾りじゃなくて、後半一緒に活躍します。彼女演じるアナべル・リーは女の子すぎてキートンの足を引っ張ることもあります。必死で追手から逃げているときに、機関車の中を掃除している彼女を見てカッときたキートンが彼女の首をつかんで激しく揺さぶったあと、ちょっとキスする場面が最高。当時をそのまま再現した服装や髪型が野暮ったいですが、短編時代のシビル・シーリーの流れをくむ愛らしいキートンの相手役です。

キートンの恋愛三代記 Three Ages (1923) ★★★★★
荒武者キートン Our Hospitality (1923) ★★★★★
キートンの探偵学入門 Sherlock Jr. (1924) ★★★★★
海底王キートン The Navigator (1924) ★★★★★
セブン・チャンス Seven Chances (1925) ★★★★★
キートンのゴー・ウェスト! Go West (1925) ★★
キートンのラスト・ラウンド Battling Butler (1926) ★★★
キートンの大列車追跡 The General (1926) ★★★

"Silent Echoes" から。休み時間に犬と遊ぶマリオン・マック。見物人が線路沿いに撮影を見ています。

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2011年9月13日 (火)

1978年9月第2週に見た映画

9月11日(月) うず潮 (月曜ロードショー) 4点
9月12日(火) 曾根崎心中 (並木座) 4点
9月12日(火) はなれ瞽女おりん (並木座) 5点
9月13日(水) 巴里の屋根の下 (新宿アートビレッジ) 4点
9月13日(水) ル・ミリオン (新宿アートビレッジ) 4点
9月15日(金) 海の牙 (東京12) 4点
9月16日(土) 操行ゼロ (早稲田松竹) 5点
9月16日(土) 恐るべき子供たち (早稲田松竹) 5点
9月16日(土) PULP悪の紳士録 (TBS) 2点
9月17日(日) 日本春歌考 (三鷹オスカー) 2点
9月17日(日) 太陽の墓場 (三鷹オスカー) 3点
9月17日(日) 白昼の通り魔 (三鷹オスカー) 2点
9月17日(日) 恋愛日記 (三鷹文化) 4点
9月17日(日) バレンチノ (三鷹文化) 4点

いやはや、またしても14本か。

「うず潮」は、「城の生活」や「コニャックの男」のジャン・ポール・ラプノー監督、イブ・モンタン、カトリーヌ・ドヌーブ主演のフランス映画 "Le sauvage" (1975)。音楽ミシェル・ルグラン、撮影ピエール・ロム(「影の軍隊」)。4点だから面白く見ることができたらしい。でも、モンタンとドヌーブが共演した映画なんて見た記憶ないなあ。goo の解説によると、「根無し草のようにさすらう女と、文明を嫌って自然の中に生きようとする男の心のふれあいを描く」映画だそうです。マルコ・フェレーリ監督、ドヌーブ、マストロヤンニ主演の「ひきしお」、フィリップ・ラブロ監督、モンタン、キャサリン・ロス主演の「潮騒」とこんがらがってしまう。

「曽根崎心中」と「はなれ瞽女おりん」の二本立ては良かった。「曽根崎心中」は、サングラスを外した気弱そうな眼の宇崎竜童とギラギラした眼の梶芽衣子が溝口健二の「近松物語」のようなドラマを演じます。原作は近松門左衛門、脚本白坂依志夫、増村保造、監督増村、撮影小林節雄、音楽宇崎竜童。1978年のATG映画で、「サード」に次ぐキネ旬2位。梶が主演女優賞。読者は8位。

「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」は、篠田正浩監督、岩下志麻主演の1977年の映画。製作した表現社というのは、この夫婦のプロダクションなんでしょうかね。1977年のキネ旬3位で、2位の新藤兼人の「竹山ひとり旅」と同じような題材。両方とも目の不自由な三味線芸人が旅する話。この二作を抑えてトップに立ったのは「幸福の黄色いハンカチ」でした。岩下が主演女優賞。原作水上勉、脚本長谷部慶次、篠田、撮影宮川一夫、音楽武満徹。

「巴里の屋根の下」は、この月の3日にNHK教育で見ています。その時にここで書いたのは「ルネ・クレールの1930年の下町人情話で、彼のトーキー第1作。出演アンドレ・プレジャン、ポーラ・イルリ、ガストン・モド。原題は "Sous les toits de Paris"。キネ旬では1931年に「モロッコ」に次いで2位。」

10日しかたっていないのに同じ映画を見に行ったのは、きっと同時上映の「ル・ミリオン」が見たかったからです。1931年のキネ旬で「巴里の屋根の下」が2位で、「ル・ミリオン」が4位。「巴里の屋根の下」に次ぐトーキー二作目にして、ミュージカル。作り物めいた感じがして、あまり好きになれなかった記憶があるのですが、点数からすると退屈はしなかったのでしょう。5001 Nights at the Movies のポーリン・ケイル女史によると、クレールのベスト作品であり、精巧で夢のような必然性でコメディの動きを作り出せる者はほかにいない。ルネ・ルフェーブルの若く貧しい画家が宝くじを当てたが、宝くじがどこにあるのかわからない。古着屋に売ったコートのポケットにあるのだ。舞台ミュージカルからクレールが脚色した映画全体が主人公による宝くじの追いかけになっており、彼の債権者、恋人(アナベラ)、友人、警官が彼を追いかける。(オペラハウスでのシークエンスは、あきらかにマルクス兄弟の「オペラは踊る」の一シークエンスにインスピレーションを与えている。)この映画は叙情的で、舞踏のようで、目がくらむ。この時代で最高のフランスのミュージカルである。撮影はジョルジュ・ペリナル、美術監督はラザール・メールソン。うーん、あらためて見たくなってきました。クライテリオンから出ています

「海の牙」はルネ・クレマンの映画。植草甚一さんの本「映画だけしか頭になかった」の最初に登場するのが「シネマディクトJ・Jと「海の牙」を見る」で、それについて2008年11月19日にここに書いています

土曜日は早稲田松竹でジャン・ビゴの「操行ゼロ」とコクトー原作、ジャン・ピエール・メルビル監督の「恐るべき子供たち」を見ています。この二本の組合せで1977年正月に三百人劇場で上映されたのを見に行っています。両作品とも日本で正式に公開されたのは、そのときが初めてだったと思います。ジャン・ビゴ全集が先月末にクライテリオンから発売されました。「恐るべき子供たち」も何年か前にクライテリオンから出ました。

やっと半分すぎましたか。「PULP悪の紳士録」は、マイケル・ホッジス監督、マイケル・ケイン主演の1972年のイギリスの犯罪映画で、原題は "Pulp"。ミッキー・ルーニー、ライオネル・スタンダー、リザベス・スコット共演。音楽はジョージ・マーティン。たぶん日本劇場未公開。ホッジス監督、マイケル・ケイン主演で前年に「狙撃者 Get Carter」というのを作っており、こっちはイギリス映画協会(BFI)のイギリス映画100選の16位に入っています。マイケル・ケインが上品で、サディスティックで、セクシーな悪党を演じているのが評判らしい。本当は、そっちが見たいのだ。「狙撃者」の予告編はこちら

さて、日曜日は三鷹でハシゴして計5本。まずは大島渚の三本立て。昨年5月にクライテリオンから大島渚の60年代の5本入りDVDが出て、その中に「日本春歌考」と「白昼の通り魔」が入っていたのだけど、なぜかいまだに見ていません。佐藤慶の通り魔が印象的な「白昼の通り魔」は、1975年に一度見ていて、そのときは4点だったから、今でも面白い映画だと思っているのですが、このとき2点だったのは、三本目にして疲れたのかな。生命力の強い女性が主人公で、川口小枝(さえだ)という女優さんが演じました。武田泰淳原作、田村孟脚本、高田昭撮影(白黒)、林光音楽。1966年のキネ旬9位。

日曜の朝一番に「日本春歌考」かあ。これは1967年の11位。この年、大島渚は「忍者武芸帳」が10位、「無理心中日本の夏」が14位で、実験的な年なのでした。「日本春歌考」は近いうちにDVDを見て、あらためて何か書くことにしましょう。「白昼の通り魔」についても、今見ると違った感じがするかもしれません。

「太陽の墓場」は、かなり強烈な印象があるのに、3点かあ。1960年の松竹映画。「愛と希望の街」「青春残酷物語」に次ぐ大島渚の三作目。1960年のキネ旬では四作目「日本の夜と霧」が10位で、これは11位。意外にも「青春残酷物語」は18位。「太陽の墓場」は、二つの異なる映画の印象があります。ドヤ街での話と不良少年の話と。炎加世子という女優さんが強烈だったのと、ロカビリー歌手で後年「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲を歌う佐々木功が初々しかったです。津川雅彦や川津祐介も出ているし、ほかにもたくさん名脇役が出ている映画ですね。大島、石堂淑朗脚本、川又昂撮影、真鍋理一郎 音楽。カラー。

「恋愛日記」は9月8日に見たばかりなのに、また見てます。点数が3点から4点に上がったのは、見方がわかったからか。「アデルの恋の物語」とか「緑色の部屋」とか、最初見たときはピンとこなくて、二度目見たときのほうが良かったってことが、ままあります。でも、まあ、詳しいことは別の機会に。

ケン・ラッセルの「バレンチノ」は1977年の作品で、題名どおりルドルフ・バレンチノの伝記映画で、バレンチノを演じるのはバレーダンサーのルドルフ・ヌレエフ。ちゃんとしたバレンチノの伝記を見る気はさらさらなく、ケン・ラッセルの悪趣味ぶりを楽しみたかったのです。点数からすると、満足できたのでしょう。ほとんど記憶にないので、またポーリン・ケイル女史に頼ることにします。「ケン・ラッセル監督は、彼のSMファンタジーに実際の人物の名前をくっつけることで、不快な内輪受けジョークのような魅力を映画に与えている。唯一欠点を補う要素はルドルフ・ヌレエフである。彼はバレンチノをほうふつとさせてくれないが、彼自身の魅力的で、とても愉快な気質をときどき見せてくれる。セリフを読むのに慣れていないが、演技者として初心者ではないし、自分自身に対する笑い方を知っている。彼の楽しませることの熱心さはラッセルの悪意と衝突している。ラッセルは、偉大なアラ・ナジモバ(レスリー・キャロン)を安っぽく執念深い恐喝女に変えるし、バレンチノの妻で超一流のアートヌーボーのデザイナーのナターシャ・ランボバ(ミッシェル・フィリップス)に対していかなる感情も示さない。みんなバレンチノの男らしさを中傷するために出演しているようだし、バレンチノは、女々しいという非難に対して自分を守ろうとすると、こてんぱんにやっつけられる。カリフォルニアにおけるスペイン風の現代的な室内装飾の中で美しく着飾った切れ長の眼のラテン系という、記憶の中のバレンチノのなめらかな感じを出そうという試みがほとんどなされていない(あるいは、ほとんど成功していない)。」

ふぅ、疲れた。1日1本ペースでお願いしますよ。

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2011年9月12日 (月)

映画構造と感情システム (57)

本日から第9章「 「ウソを教えられた」:「カサブランカ」におけるノスタルジアと不確かさ」です。

「カサブランカ」の初めのほうで、観客がどのように映画に向き合えばいいか合図を送る。「カサブランカ」の導入部は異常に長い。映画が始まって20分後に、やっとイングリッド・バーグマンのイルザがハンフリー・ボガートのリックのカフェ・アメリカンに入ってくる。この20分の目的は何だろう。

この導入部は、どのジャンルの台本を適用すればいいかに関する合図を観客に送っている。クレジット・タイトルで流れる音楽には東洋の感じが含まれているし、いくつかの構図ではセットのエキゾチックな感じが際立っている。たとえば、ストラッサー少佐(コンラッド・ファイト)が空港に到着するのを東洋風に曲った門を通じて見る。こうした合図に注目する観客は、この映画がエキゾチックな冒険映画になる可能性があると感じる。クレジット・タイトルでのフランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」の使用は、歴史に基づく愛国映画だと思わせる。このジャンル台本は、自由フランスの印刷物を抱えた容疑者がペタンの大きなポスターの下で警察に射殺される場面でさらに強調され、戦争の宣伝映画だとみなすのが適切じゃないのかと観客に予感させる。さらに、回転する地球儀と亡命者がカサブランカにやってくる様子を詳述する公式的なナレーションはニュース映画を思い起こさせる。

また、「カサブランカ」はアクション映画だとみなすのが妥当だとする合図も送っている。盗まれた書類を捜しに警察が市場を手入れするシークエンスは、動きがダイナミックだし、編集も素早い。20分の導入部は、はっきりとアクション映画を喚起させるシークエンスで終わる。ウガルテ(ピーター・ローレ)を逮捕するための罠を仕掛けている様子を詳細に描いている。急使を殺した者の逮捕が近いということを数回言及しているし、警官を配置につかせる命令が聞こえてくるし、ドアに配置する警官隊を見せる。素早く編集されたアクション場面では、ウガルテは罠に気づくのが遅かったために、逃げようとするものの捕まってしまう。この場面は、市場での手入れと合わさって、「カサブランカ」がアクション映画だとみなすのが最も適切なことを観客に知らせる。

たぶん最も強力で持続力のある一連のジャンルの合図によって、観客は「カサブランカ」がスパイ物語だとみなすよう促される。映画が始まってすぐに、殺された二人のドイツ人急使と盗まれた文書についての発表が聞こえてくる。カメラが初めてリックのカフェ・アメリカンに入ったとき、多くの亡命手配師たちの秘密の会話が耳に入ってくる。ドイツ兵が通り過ぎると、会話が止まる。別の会話で、亡命者たちが現金を持って夜会いに来たと手配師が過度に強調しているが、これは、彼のたくらみがペテンだということを内緒で観客に教えているのである。人々はカサブランカで売買される一番の商品だということを観客はフェラーリ(シドニー・グリーンストリート)から知らされる。観客は、急使を殺したと思われる、ずる賢く卑怯なウガルテがドイツの文書を持っていることと、彼が多額のお金で文書を売却しようとしていることを知る。観客は、リックの店が怪しい場所だということを見聞きし、その店でのメインコースはペテンとひそかな暴力だということを知る。

警察署長ルノー(クロード・レインズ)がリックと彼の事務所で会う場面で、「カサブランカ」のスパイ物語の基盤が仕上がる。観客は、ビクター・ラズロ(ポール・ヘンリード)がフランスの地下組織のために奮闘してきたことや、ナチの追手から数回逃げたことを知る。ルノーは、リックについても少し話し、彼がかつて銃の密輸業者であり、スペイン内戦で雇われ兵だったことも観客は知る。これによって、彼が単なるバーの所有者ではなく、スパイの世界の不正な取引に参加するのに十分な資格があることがわかる。紛失した文書、怪しい人物、地下の英雄、汚職役人と、観客がスパイ物語のために必要とするものすべてがここにある。ここまではロマンスの気配がほとんどなかったが、イルザがリックの店に入ってきて、ロマンチックな筋を本格的に導入する。

(続く)

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2011年9月11日 (日)

日曜はトリュフォーだ!:Francois Truffaut at Work (1)

本日から Carole Le Berre の "Francois Truffaut at Work" (2005, Phaidon Press) を読んでいきます。もともとフランスで2004年にカイエ・デュ・シネマから出版された本の英訳です。これも古いものから作品ごとに論じているので、また最初からトリュフォー作品をたどっていくことになります。「トリュフォーの映画術」は気楽にやりましたが、今度はもっと真剣に読んでいこうかなと考えています。でも、週に一度だから。

まずは序文から。1980年代の終わり、著者はマドレーヌ・モルゲンステルヌに会いに行きます。先週書いたように、マドレーヌはトリュフォーの元の奥さんで、死後にトリュフォーの作品や資料を管理しています。何時間かの会話のあと、マドレーヌは事務所の裏の部屋に筆者を連れていきます。そこには資料の入った大きな段ボール箱が壁に並べられており、マドレーヌは「好きなときに、自由に調べていいわ」と言います。

トリュフォーは、たくさんのことを書き、すべてをメモし、自分が送った膨大な数の手紙のコピーを残し、脚本を手書きのコメントで埋め尽くていました。トリュフォーはすべてを保存するのが好きだったので、筆者は作品が発展していく過程を再構成することができました。筆者は最初のトリュフォーの本を1994年に出版し、その10年後に再び調査を開始します。その間、アントワーヌ・ド・ベックとセルジュ・トゥビアナの伝記「フランソワ・トリュフォー」(原書房)が出て、トリュフォーの人生の秘密を完全に暴露したので、筆者は深いところで作品ごとに変わっていく秘密を把握したいと思います。とりわけ、トリュフォーが試行錯誤の末に自分の望んだ映画にたどり着く道筋や方法、どのように自分の能力や特異性を発揮するのか、どのように例外的で革新的でさえある一貫性を保ちながら全作品を組み立ててきたのか、について理解したいと思ったのでした。

トリュフォーは共同脚本家と仕事をすることが多く、彼らに最初の草案を書かせました。トリュフォーはその草案に、疑問、要求、怒り、拒否、新たな提案など、多数の注釈を加えました。これらの草案を連続して読むと、映画作家が作業している様子を見ているようだと筆者は述べています。ただ、トリュフォーの生存中、彼はこうした資料を人に見せるためではなく、自分の映画を豊かにするための源泉として使用したようです。たとえば、「大人は判ってくれない」を製作中に書きとめたセリフの断片や人物の特徴が「トリュフォーの思春期」や「恋愛日記」の場面を豊かにすることになったり、1970年代の初めにページの片隅に書いたいくつかの語句が10年後に「隣の女」の脚本を書いているときに突然意味を持つようになったりします。

トリュフォー自身、自分の作業方法についてよく語っているのですが、これらの資料を調べることで、彼が語ったことを再確認できるし、彼の方法の執拗さや一貫性を直接経験することによって、さらに推し進めることができます。

本日は序文の初めのほうだけ読みました。序文は、このあと「自由のシステム」「反応を通じての考案」「映画作家の自己批評」「密売買の技術」といった見出しが続きます。最後の見出し「密売買の技術」の原文は "The art of contraband" で、ざっと目を通しただけだと意味がわからない。何週か後にじっくり読んで、理解に努めましょう。結局わからなかったら、わからなかったと白状すればいいだけだし。

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2011年9月10日 (土)

夜明けの英国音楽 (9): RTの一問一答 (2011年9月)

9月4日にリチャード・トンプソン (RT) のサイトに掲載された8月分のQ&A。例によって、興味のない部分、内容が分からない部分、英語が分からない部分は省略しています。

練習したり曲を作ったりするのに時間を多く費やされていると思うのですが、なぜ多くのジャンルの曲やミュージシャンについて事典のような知識をお持ちなんですか。

1972年以降、新しい音楽についていくのは無理になった。ほかの人々の推薦に頼らざるをえない。企画コンサートの「ポピュラー音楽の千年」については、新たに曲を加えるために、意識的に調査に時間を割いている。

7月25日の午後、ストックホルムで、夕方のコンサートまで時間があったので私と妻がレストランの屋外で食事をとっていると、あなたが一人で歩いているじゃありませんか。とても驚いたので「トンプソン氏ですか」とおずおずと言うことしかできませんでしたが、あなたは少し微笑み、うなずいて、行ってしまいました。もっと早く気づいて、少し会話が交わせたらなあと自分を呪いました。写真を撮らせてもらったり、ビールをおごったりできたらなあ。そこで質問ですが、どこの国でもファンに気づかれずに歩き回ることができるのですか。

どこでも自由に歩き回ることができるし、ほとんど気づかれることはないし、もし気づかれたとしても、ほっておいてくれる。他の街よりもニューヨークで呼び止められることが多い。たぶん、ニューヨーカーは引っ込み思案じゃないし、自分が思っていることを人に言いたくてしょうがないのだろう。

ほかのことをしながら "Haul Me Up" を聴いていたら、突然ディランの "A Hard Rain's a Gonna Fall" に似ていることに気づきました。盗作を非難しているのじゃなくて、理由のない観察でしかないのですが。

自分じゃ気づかなかった。自分の意見では、この二つの曲は他のことに関連しているが、互いに関連してはいない。でも、君の観察はおぼえておくよ。("Haul Me Up" は2010年の最新作 Dream Attic 収録。)

パオロ・ヌティーニPauolo Nutini が歌う "Beeswing" は聴いたことがありますか。どう思いますか。彼のスコットランドなまりのせいかミュージックホールでこっけいに歌っているように聞こえます。

あのなまりは彼の本当の声だ。彼はとても才能があるので、私の曲を歌ってくれて非常にうれしい。

60年代後期から70年代初期にアイルランドのフォークで生まれた非常に独創的な音楽についてどう思いますか。たとえば、プランクシティ Planxty やボシーバンド Bothy Band について。Micheal O'Domhnaill や Daithi Sproule といった当時のDADGAD(変則チューニング)の先駆者についてはどう評価されますか。

プランクシティやボシーバンドは好きだが、君が言及したギタリストはよく知らない。

"Guns Are the Tongues" をコンサートで演奏したことがありますか。もし演奏していないなら、なぜですか。あの曲をどうやって作ったか少し教えてもらえませんか。("Guns Are the Tongues" は2007年のアルバム Sweet Warrior 収録)

アルバム Sweet Warrior のためのバンドツアーを行ったとき、演奏した。ときどきソロでも演奏するが、変な構造なので他のミュージシャンが色づけしてくれたりダイナミックにしてくれないとキツイ。最初のコーラス部分の前に多くの詩節があり、ストーリーの展開の仕方のために、変更するのが不可能なんだ。歌詞を先に書いたので、そうなったのだと思う。

私は "Willy O'Winsbury" や "Tear Stained Letter" を演奏してほしいとコンサートで叫ぶ困った奴です。きっとコンサートのための完璧な曲目リストを何時間もかけて作られているのだろうから、少し気がとがめます。

私のコンサートで聴衆がリクエストを叫ぶぐらいリラックスできることは喜ばしい。リクエストを叫ばれても特に困らない。雰囲気を和らげてくれるし、舞台と聴衆との距離を縮めてくれる。

"Beeswing" の歌詞に Vashti Bunyan の影響はありますか。

彼女とはウィッチシーズンの事務所で一度会っただけだ。彼女は伝統的な社会からドロップアウトした当時の典型的な人物で、それは "Beeswing" のテーマの一つなので、その点で関連がないとは言えない。(ウィッチシーズンはジョー・ボイドのプロダクションで、フェアポート、インクレディブル・ストリング・バンド、ニック・ドレイクなどがいました)。

Townes Van Zandt の音楽についてどう思いますか。彼はアメリカの偉大なソングライターの一人だと思うし、あなた自身素晴らしいソングライターなので、彼について何か意見をお持ちではないかと思うのです。

彼の演奏を二回見たよ。二度とも、とても酔っぱらっていた。"Pancho and Lefty" が好きで、過去30年間で最も優れたアメリカの歌の一つだと思っている。

あるホテルで、スプリングフィールズのTim Feild と会いました。Google で調べてみると、彼は Reshad Feild という名前で、スーフィ教の作家や教師をしています。彼と会ったことがありますか。(RTもスーフィ教の信者。スプリングフィールズは、トムとダスティのスプリングフィールド兄妹と Tim Feild が作ったグループ。)

スプリングフィールズと関係があるなんて気づいたことがない。なんて奇妙なんだ。Reshad Feild は知っているが、彼の本を読んだことがないし、会ったこともない。

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2011年9月 9日 (金)

フィルムノワール入門 (22)

【観客】

1930年代、ハリウッド映画の観客は週平均5000万人から6000万人だった。戦時中にかなり増加し、1944年には8400万人になった。その後急激に減少し、1950年には5500万人という戦前のレベルになった。その後さらに急激に減少し、50年代半ばに一時的に増加したものの、1959年には3200万人にまで減少した。(J.W. Finler (1988) The Hollywood Story (Octopus, London))

これは、若く、裕福で、車を持った中流階級の生活様式が大きく変わったからで、彼らは都会の中心から急激に発展つつあった郊外に移動したために、地元の映画館に行くのが難しくなったのである。家族映画やB級映画が収益を上げていた多くの小さな映画館が閉館し、そうした映画が衰退が加速した。観客の中心だった若者は戦後結婚し、子供をもうけ、郊外に居を構え、長くなった休日や増えた給料を利用して、より手の込んだ、時間を使う趣味を行うようになった。ガーデニング、キャンピング、ゴルフ、釣り、船遊び、日曜大工などである。日曜大工の人気は、多くのアメリカ人が家庭志向になったことを示しており、彼らは家でテレビを見るようになった。1950年、390万世帯(全世帯の9%)がテレビを持ち、1959年には4400万世帯(86%)に増えた。

映画の観客数の減少はテレビの普及よりも前のことである。したがって、テレビの普及は、生活様式や消費パターンの根本的な変化の原因というより徴候であった。にもかかわらず、1950年代半ばまでに、テレビは郊外に住むベビーブーム家族の大衆娯楽となった。テレビ番組は十分に多彩で魅力的になっており、昔映画を見に行っていた家族を吸収した。(D. Gomery (1992) Shared Pleasures: A History of Movie Presentation in the United States (BFI, London))

観客の構成と好みも大きく変わった。終戦直後に行われた調査によると、女性が観客の大半を占めるというのは間違いである。男女はほぼ半々だった。若者のほうがよく映画を見ているというは、いつの時代でも同じだが、高い教育を受け、裕福な者が最も頻繁に映画を見ていた。 (L.A. Handel (1950) Hollywood Looks at its Audience: A Report of Film Audience Research (University of Illinois Press))

1947年以後、平均的な観客は映画の選択にこだわるようになった。 (B. Wilinsky (2001) Sure Seaters: The Emergence of Art House Cinema (University of Minnesota Press))

したがって、フィルムノワールの消費は、こうした広範囲に及ぶ変化の文脈の中で始まり、当初はそうした変化がフィルムノワールにとって有利に働いた。フィルムノワールの「大人の」内容と洗練された楽しさは、一般的に男性志向なことと合わさって、この鑑賞環境の変化において成功する可能性が非常に高かった。フィルムノワールは、より「大人」の映画を求めていた見識ある観客のより国際的で、局所的でない性向を喜ばせた。こうした見識のある観客は主に若者で、彼らの両親たちと違って、ぜいたくな舞台装置や「エキゾチックな架空の世界」を求めておらず、自分自身や社会を理解させてくれる映画を求めた。(R. Sklar (1999) "'The Lost Audience': 1950s Spectatorship and Historical Reception Studies" in M. Stokes and R. Maltby (eds) Identifying Hollywood's Audiences: Cultural Identity and the Movies (BFI, London))

1940年に観客研究所を設立したジョージ・ギャラップは、大会社のために何千もの詳細な調査を行ったので、大会社は特定の観客をターゲットにすることができた。(S. Ohmer (1999) "The Science of Pleasure: George Gallup and Audience Reseach in Hollywood" in M. Stokes and R. Maltby (eds) Identifying Hollywood's Audiences: Cultural Identity and the Movies (BFI, London))

Motion Pictures Producers Association によって1946年に Motion Picture Research Bureau が設立され、映画製作者がより正確に映画のターゲットを定めるのに貢献した。より詳細な情報を得ることができるようになったため、大衆よりも選ばれたグループのために映画を仕立てるのがより簡単になった。フィルムノワールは、大人の娯楽を提供するための製作会社による明確な戦略として理解される必要がある。製作会社の歴史に記録されたフィルムノワール作品の多さと数多くの作品の成功によって、大人の中身を持った犯罪スリラーを楽しむ若い男性中心の観客をターゲットにしていたと言うことができる。そのため、女性志向のゴシックなフィルムノワールが戦時中に人気だったのに対し、戦後は犯罪スリラーが支配した。もちろん、フィルムノワールが特定の好みを満足させたと主張することで、そうした映画のみが当時享受されたと言っているわけではない。実際、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を例外として、1940年から1959年の期間における大ヒット作品のリストを作るに十分なほど人気のあるフィルムノワールはなかった。1944年から1956年の大ヒット作298本のうち、フィルムノワールは9本のみで、3%しか占めていない。フィルムノワールが頂点にあった終戦直後でさえ、最も人気のあったのは「イースター・パレード」などのミュージカル、「サムソンとデリラ」などの聖書に基づく歴史もの、「聖メリーの鐘」などの感傷的なメロドラマだった。((J.W. Finler (1988) The Hollywood Story (Octopus, London)) (モーション・ピクチャー・ヘラルドによると、最もヒットしたフィルムノワールは、「Gメン対間諜 The House on 92nd Street」 「ミルドレッド・ピアス」「ギルダ」「汚名」「白い恐怖」「愛情のすきま風 Nora Prentiss」 「キーラーゴ」「探偵物語」である。最初の作品を例外として、すべて大スターが主演している。J. Nachbar (1988) 'Film Noir" in W. Gehring (ed.) Handbook of American Genres (Greenwood Press))

フィルムノワールの宣伝方法によってわかるのは、ハードボイルド映画と同じ観客をターゲットにしていることである。すなわち、都会の労働者である。「ブロンドの殺人者」 (Murder, My Sweet) のタイトルカードは、「元気旺盛で、非情で、猛烈な!」と宣伝している(タイトルカードとは、映画館のロビーに飾られるポスターらしいです)。タフで無精ひげをはやしたディック・パウエルがファム・ファタールの白々しい目を凝視している写真と彼が大男のムース・マロイと争っている写真の間には「今年最大の映画の驚き...ディック・パウエルが新たな役を演じる...新たなディック・パウエルと同じぐらい迫力のある殺人ミステリーで!」と宣伝文句が続く。(L. Bassoff (1997) Crime Scenes: Movie Posters of the Film Noir - The Classic Period: 1941-1959 (Lawrence Bassoff Collection Inc.)(E. Muller (1998) Dark City: The Lost World of Film Noir (Titan Books)) (Eddie Muller には Art of Noir: The Posters And Graphics From The Classic Era Of Film Noir というポスターの本もあるようです。)

「恐怖のまわり道」 (Detour) は非常に低予算の映画だが、ポスターはかなり典型的なものである(下の写真参照)。セックスと死を描いたいくつかの画像を組み合わせたものに、次のキャプションがついている。「彼は愛を求めて出かけた。だが、運命は彼にまわりり道をさせてバカ騒ぎ、暴力、ミステリーへと向かわせた!」ポスターの右側には、アン・サベージとトム・ニールが街灯柱に寄りかかっており、トムはまっすぐに立って警戒しているが、アンはクールで、生意気で、意味ありげに柱に体をもたらせている。アートワークと色彩がハードボイルド小説の表紙に似ている、これらの映画ポスターにおけるセックスと暴力の組合せは、長年にわたって継続している。「東京暗黒街・竹の家」(1955, House of Bamboo) は、ロバート・ライアンが手に拳銃を持ち、殴打をよけているようである。彼のうしろには、ほとんど何も着ていないシャーリー・ヤマグチがいて、そのうしろには日本を象徴するものが組み合わされている。

だが、フィルムノワールの観客について、こうした一般的な推論を行うことができる一方で、特定の映画の魅力に関する詳細な情報は不足している。思慮深い研究者である James Naremore でさえ、「フィルムノワールが映画産業で稼ぎ頭でなかったときでも、かなり人気があったし、広範囲に配給されていた。ほとんどのフィルムノワール作品は大衆紙で好意的に批評されていた」と大まかに述べているだけである。(J. Naremore (1998), More Than Night: Film Noir in its Contexts (University of California Press)

映画製作のパターンを確立しようとする際には映画会社の製作史を頼りにできるが、配給、マーケティング、上映の慣行に関して比較しうる研究はない。それらは消費の背景であり、収入、階級、性別、年齢、性的指向、民族性の影響を評価できるかもしれない。(R. Maltby (1998) "Sticks, Hicks and Flaps: Classical Hollywood's Generic Conception of its Audiences" in M. Stokes and R. Maltby (eds) Identifying Hollywood's Audiences: Cultural Identity and the Movies (BFI))

そのような歴史学が行われるまでは、Mary Beth Haralovich による「ミルドレッド・ピアス」のマーケティングの事例研究のように、特定の映画の正確な魅力を確立することは、たいてい、大衆紙、雑誌、業界紙などの批評に基づく推測でしかない。だが、そうした資料もしばしば不足している。(M.B. Haralovich (1997) "Selling Mildred Pierce: A Case Study in Movie Promotion" in T. Schatz, Boom and Bust: American Cinema in the 1940s (University of California Press))

観客の反応に関して考察すべき事柄はほかに二つあり、これらの資料は多い。批評と回顧的な再評価である。Richard Maltby は、たとえ検閲がゆるくても、観客に対するハリウッド映画の効果に関して「気づかう風潮」が戦後にあったと主張している。(R. Maltby (1993) "The Production Code and the Hays Office" in T. Balio (ed.) Grand Design: Hollywood as a Modern Business Enterprise 1930-1939 (Scribners))

フィルムノワールは「倫理的な行動力の完全な欠如と無気力で運命論的な絶望感」を理由として批判されることが多かった。。そうした映画は、知識人の一部から無責任で破滅的だとみなされていた。そうした心配性の自由主義者はフィルムノワールを「地位の低い作品であり、改革者や自由主義者が最も心配している都市市場の最下層を主にターゲットにしている」と非難した。フィルムノワールは、「破壊的な」大衆文化を憎む知識人によって病んだ社会の徴候として論争的に解釈されていた。

多くのフィルムノワールがかなり人気があったことは、この批評的な憎悪が広く共有されていなかったことを示しているし、たぶん映画を見に行く人々にさほど影響を与えなかったであろう。映画産業自体は、批評よりも興行収入に敏感であり、かかる憎悪はほとんど無視していた。ときどき、フィルムノワール作品は芸術性によって高い評価を受けることがあった。ロバート・シオドマクの「殺人者」(1946)は、監督部門と脚本部門でアカデミー賞にノミネートされた。セミドキュメンタリー作品は、製作に対して当局の承認や協力を得ているので信頼できる映画製作だとみなされた。たとえば、「十字砲火」(1947)は、その視覚スタイルと疎外感によって他のフィルムノワール作品同様に暗いが、責任を持って反ユダヤ主義問題を扱っているために賞賛された。

前章で述べたように、フィルムノワールの擁護はフランスで始まり、Borde と Chaumeton の著作 "Panomara du film noir americain" (1955) で最高潮に達した。それ以来、真のフィルムノワール作品が掘り起こされ、「復讐は俺に任せろ Big Heat」「三つ数えろ The Big Sleep」「深夜の告白 Double Indemnity」「拳銃魔 Gun Crazy」「狩人の夜 Night of the Hunter」「孤独な場所で In a Lonely Place」といった作品が再評価された。フィルムノワールに対する学術的な熱狂が冷める兆候は見えないし、大衆の場においても安定した地位を得ている。「暴力団 The Big Combo」は1955年の公開時には Monthly Film Bulletin に取り上げられなかったかもしれないが、34年後に City Limits がフィルムノワールのトップテンで1位にしている(City Limits はニューヨークの雑誌らしい)。(C. Hugo (1992) "The Big Combo: Production Conditions and the Film Text" in I. Cameron (ed.) The Movie Book of Film Noir (Studio Vista))

この回顧的な再評価は非常に選択的であり、イデオロギー色が強いので、疑い深く分析する必要がある。

ロバート・アルドリッチは、「キッスで殺せ!」のセットに上記の Borde と Chaumeton の本を持ち込んでいたものの、製作会社や監督はフィルムノワールという言葉を知らなかったり、使用していなかったかもしれない。だが、あきらかに、困難な性心理や社会問題を探求する「大人の」スリラーの製作は、戦争の初期に次第に出現し、「深夜の告白」の成功に続く重要な作品群へと発展した意図的な方針であった。規範とされるフィルムノワール作品には、型どおりに作られたものが多く含まれるが、確立された慣行に挑戦するやり方で議論を呼ぶ題材を探求するために開かれた激戦地を意識的に利用している作品もあり、そうした作品は今日の観客にも力強く語りかけてくる。Naremore によると、フィルムノワールは境目にある作品であり、一般的なスリラーと芸術映画との間の境界地を占めるようになっている。(J. Naremore (1998) More Than Night: Film Noir in its Contexts (University of California Press)

Film Posters of the 40s (Taschen) から「恐怖のまわり道」

Detour2

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2011年9月 8日 (木)

映画構造と感情システム (56)

映画版の「ジョイ・ラック・クラブ」は物語を凝縮しているので、次にやってくる感情の密度が濃い場面のために観客が準備をする余裕がない。登場人物の提示を理解するという感情作業を行ったと思ったら、すぐに、子供を失う悲しみや母の自殺に対する悲しみなど、通常の映画ならクライマックスにふさわしい感情を起こすよう、求められる。この悲惨な感情への訴えがいったん行われると、映画は別の登場人物の話に移り、別の一組の登場人物たちを提示し、別の感情的クライマックスが訪れる。この映画は、中心となるクライマックスを作る代わりに、個々の筋のクライマックスを作り出するのだが、これは観客の感情システムを疲れさせる。あらゆるシステムは限界まで達すると停止してしまうのだが、「ジョイ・ラック・クラブ」は、感情システムの能力の限界まで進むよう観客に求めている。

この困難さは長編映画の時間に束縛された構造によってもたらされている。本と違って、映画は監督が設定したペースで一度に見るように作られている。映画と本は、感情システムに対する訴えの点で異なる難点と利点を持っている。小説を脚色した映画は、原作に含まれている事柄を削除していることで非難されることが多いが、「ジョイ・ラック・クラブ」の場合は削除が原作との主たる違いではない。小説の「ジョイ・ラック・クラブ」の第一の利点は、より良く筋の流れをコントロールできるので、適切なペースで感情への訴えを処理することができることである。映画の観客はこれができない。映画版は、次の一連の調整された感情の合図に進む前に一息つく余裕を観客に与えない。すなわち、多くの観客の感情システムは圧倒されてしまうのである。

感情システムは個人によって異なるし、感情の合図を評価する速さも異なる。また、メロドラマのようなジャンルで感情の合図を速いペースで送ることにどれくらい喜びを感じるかにも違いがある。観客の中には「ジョイ・ラック・クラブ」の速いペースの感情への訴えを十分に処理できる者もいるだろう。感情システムの柔軟性を考えたら、すべての観客の感情反応を完全に遠ざける主流の映画を想像するのは難しい。にもかかわらず、どのように「ジョイ・ラック・クラブ」が観客の感情システムに並はずれた要求を行うよう構成されているかを分析するのは可能である。この映画は、全編を通じてかなりの感情作業を要求することによって、また、短い時間内に感情の充満した出来事を多く凝縮することによって、観客に筋の理解を失わせることなく、感情システムを叩きのめす。「ジョイ・ラック・クラブ」は、内面的に一貫しているが感情の構造と調和しない感情への訴えを映画がどのように作り出すことができるのかに関する事例研究となっている。

第8章終り。第8章の題名 "Emotion Work: The Joy Luck Club and the Limits of the Emotion System" を「感情作品:「ジョイ・ラック・クラブ」と感情システムの限界」と訳していましたが、「感情作品」ではなく「感情作業」と訳したほうが良いようです。Greg M. Smith の "Film Structure and Emotion System" (Cambridge University Press, 2003) の第9章は「カサブランカ」を取り上げており、これで作品研究は終わり。第10章に「解釈の勧め An Invitation to Interpret」というのがあって、さらにオマケとして "The Neurological Basis of Psychoanalytic Film Theory: Metz' Emotional Debt to Freud the Biologist" というのがあります。「精神分析的映画理論の神経学的基盤:生物学者フロイトに対するクリスチャン・メッツの感情面での恩義」という難しそうな題名で、わかりそうになければ飛ばします。

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2011年9月 7日 (水)

蔵原惟繕のゆがんだ世界

今週はキートンをお休みにして、先月下旬に発売されたクライテリオンのイクリプス・シリーズ第28弾 "The Warped World of Koreyoshi Kurahara" に収録されている5作品について簡単な感想を書きます。

Intimidation (1960)
「ある脅迫」。1時間ほどの添え物。金子信雄と西村晃が主演するなんて添え物ならではの利点。金子信雄が銀行の地方支店から東京に栄転する際に、どこからともなくやってきたサングラス姿の草薙幸二郎から横領をネタにゆすられる。金子は草薙に払うお金欲しさに自分の銀行に忍び込み、宿直当番の部下西村晃をおどして金庫のお金を盗もうとするが、途中で西村に正体を見破られる。金子は、銀行の警備が不安なので転勤する前に強盗の実験をしてみたんだとごまかす。まだ話は続くのですが、ここまでにしておきます。原作は多岐川恭。金子にべったりくっついている疫病神のような西村晃が好演。ノワールなムードを漂わせた草薙が田舎町にやってきて、浜村純の雑役係をおどして銀行に押し入り、ピストルを浜村に発射するとライターだったという開巻から引き込まれます。

The Warped Ones (1960)
「狂熱の季節」。あきらかに「勝手にしやがれ」へのオマージュ。キネ旬の「ベスト・テン全集1960-1969」によると、「狂熱の季節」は小林旭主演の「南海の狼火」とともに9月3日に封切られており、「勝手にしやがれ」は半年前の3月に日本で封切られています。最初の20分ほどのスピーディーさと川地民夫のベルモンドのような傍若無人さがたまりません。特に郷鍈治と出会う少年院での様子をタイトルバックだけで語り切ってしまう手際のよさには惚れぼれします(郷鍈治のデビュー作)。まったく悪びれることなく外人と寝て金を稼ぐ現代的な千代侑子(ちしろ・ゆうこ)もイカす。松本典子が川地に犯されるシーンが強烈でないことや、途中から話がさほど展開していかないのが残念だけど、川地の傍若無人さが最後までブレないし、川地と千代のカップルと長門裕之と松本のカップルの四角関係を川地が皮肉るオチが面白い。

I Hate But Love (1962)
石原裕次郎と浅丘ルリ子の「憎いあンちくしょう」。二人とも下着シーンのサービスがありますが、下着のデザインが古臭いのが残念。売れっ子タレントの石原がテレビの生番組でおんぼろジープを九州まで運ぶことを請け負い、ほかのスケジュールをおじゃんにして、九州まで運ぶ話。浅丘は石原のマネージャー兼恋人。二年間恋人を続けているが、キスもしないし関係も持たないという条件付き。このウソくさい恋人関係を楽しんでいた浅丘がスポーツカーのジャガーで石原を追いかけていくうちに、ジャガーも何もかもかなぐり捨てて、アデル・ユーゴーのように愛のためだけに生きる女性へと変わっていく様子に説得力がありました。芦川いづみ様はかなり地味になられてしまいましたが、浅丘に対して自分の恋愛は本当の愛だとか勝ち誇ったように言うシーンで一瞬輝いていました。でも、ラストでの扱われ方はひどい。うちの近所で、今は尾道大橋がかかっているあたりが出てくるのがうれしかったです。これのみカラー(下記の「愛の渇き」も少しだけカラーになります)。

Black Sun (1964)
「黒い太陽」。川地民夫は「狂熱の季節」と同じキャラクターのようです。でも、4年も自分勝手に生きていると、単に貧乏で変な人になってしまい、カッコ良さがなくなって、コッケイにさえ感じてしまいます。彼は都会にある廃墟の教会の上のほうに住んでいて、この教会が印象的。本当につぶれかけている教会を利用したのだろうか。最初からセットで作ったのならすごい。川地民夫は相変わらず黒人のジャズに夢中で、右足のももに弾丸をくらっている黒人の脱走兵チコ・ローランドが苦しんでいるのに、黒人ならみんなジャズが好きだと思いこんでいて、自分勝手にジャズの話しかしない。途中は川地が黒塗りの顔、チコが白塗りの顔で逃避行を続ける。ほとんど話に進展がないのでイライラしてきますが、最後に黒人がアドバルーンに宙づりにされて空高く舞い上がるイメージが強烈で、アドバルーンとともにイライラも吹っ飛んでしまいました。「狂熱の季節」で印象的だった千代侑子も同じ役で少し登場。最初の「ある脅迫」を除いた4作品すべて黛敏郎が音楽を担当しています。「狂熱の季節」と「黒い太陽」は主人公がジャズ好きだから、全編ジャズが流れています。「黒い太陽」で流れるドラムのマックス・ローチのバンド演奏とアビー・リンカーンの歌は、この映画のために録音されたものらしいです。この二作品を一緒にしたサントラが出ています

Thirst For Love (1967)
三島由紀夫原作の「愛の渇き」。小津作品で上品に下品なことを言う中村伸郎は、好色爺さん役も得意。ここでは、亡くなった次男の嫁浅丘ルリ子と関係を持っている。長男は週1回大学でギリシャ語を教えるだけの講師で、妻とともに居候している。長女は子供二人を連れた出戻り。だから資産家の父親である中村が一家を支配している。頭が弱いのか、少々つかみどころのない庭師を石立鉄男が好演しており、浅丘は若い石立に欲望を感じ、石立も浅丘に魅せられている。浅丘は中村と東京に移り住むことになり、その前夜、石立と密会するが、悲惨なことになってしまう。いくらか実験的なことをやっていますが、中心の物語から大きく外れることもないので、映画を豊かにする味つけになっています。予想していたように耽美的な映像が延々と続くことなく、面白く見ることができました。1967年のキネ旬7位。蔵原監督は、この作品で日活とトラブルを起こしてフリーになりますが、日活から与えられたジャンルの枠組みがなくなったとき、果たして、より芸術的に満足のいく映画を作れるようになったのかどうか。石立の子供を宿り、嫉妬心からか浅丘の命令で堕胎させられ、実家に戻されてしまう女中は紅千登世(くれない・ちとせ)という女優さん。武智鉄二監督がワイセツ罪で起訴された1965年の「黒い雪」で映画初出演し、全裸で米軍基地のまわりを走り抜けて話題になったとか。

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2011年9月 6日 (火)

1978年9月第1週に見た映画

9月04日(月) 緋牡丹博徒・お竜参上 (テレビ) 3点
9月04日(月) ヘルハウス (月曜ロードショー) 4点
9月05日(火) 日本女侠伝・侠客芸者 (テレビ)  3点
9月06日(水) 日本女侠伝・真っ赤な度胸花 (テレビ) 2点
9月08日(金) 恋愛日記 (高田馬場パール座) 3点
9月08日(金) ソドムの市 (高田馬場パール座) 0点
9月08日(金) 摩天楼 (東京12) 3点
9月09日(土) 情事の方程式(烏山) 1点
9月09日(土) 禁断の情事 (烏山) 1点
9月09日(土) たそがれの情事 (烏山) 1点
9月09日(土) さいはての情事 (烏山) 1点
9月10日(日) 黒衣の花嫁 (三鷹オスカー) 4点
9月10日(日) トリュフォーの思春期 (三鷹オスカー) 5点
9月10日(日) 暗くなるまでこの恋を (三鷹オスカー) 4点

14本も見ているので、最後のトリュフォーの三本立ては割愛させてもらいます。各々、別のところで詳しく述べたり、これから詳しく述べようとしたりしているので。この頃、私の住んでいる京王線の仙川からバスで20分か30分かけて朝早く中央線の三鷹まで北上するのが好きだったようで、毎週三鷹オスカーに見に行っています。

そのトリュフォー三本立ての二日前にもトリュフォーの「恋愛日記」を見ています。「アデルの恋の物語」や「トリュフォーの思春期」はロードショーで見ているし、このあとの作品もロードショーで見ているのに、題材の点で「恋愛日記」はロードショーを敬遠して、名画座にかかってから見たようです。それから併映のパゾリーニの「ソドムの市」も勘弁してください。

9月の初めにはまだ田舎の福山にいて、たぶん午前中だったと思うのですが、藤純子の作品を毎日放映してたようです。

藤純子の緋牡丹博徒シリーズは1968年から1972年まで全部で8作あり、3作目の「花札勝負」(1969)が傑作とされており、同じ加藤泰監督の6作目「お竜参上」(1970)も評判が良い。雪の中、お竜が流れ者菅原文太に橋でミカンを渡すシーンが有名。7作目の「お命戴きます」(1971)も加藤泰監督。全部挙げてみると、
 1作目「緋牡丹博徒」(1968、山下耕作監督、健さん共演)
 2作目「一宿一飯」(1968、鈴木則文監督、鶴田浩二共演)
 3作目「花札勝負」(1969、加藤泰監督、健さん共演)
 4作目「二代目襲名」(1969、小沢茂弘監督、健さん共演)
 5作目「鉄火場列伝」(1969、山下耕作監督、鶴田浩二共演)
 6作目「お竜参上」(1970、加藤泰監督、菅原文太共演)
 7作目「お命戴きます」(1971、加藤泰監督、鶴田浩二共演)
 8作目「仁義通します」(1972、斎藤武市監督、菅原文太共演)

藤純子の日本女侠伝シリーズは1969年から1971年まで全部で5本。その1作目と2作目を見たわけですが、この翌日あたりに東京に戻っているらしいので、もしかしたらシリーズのあとのほうの作品も放映されていた可能性あり。
 1作目「侠客芸者」(1969、山下耕作監督、健さん共演)
 2作目「真っ赤な度胸花」(1970、降旗康男監督、山城新伍共演)
 3作目「鉄火芸者」(1970、山下耕作監督、佐々木愛共演)
 4作目「血斗乱れ花」(1971、山下耕作監督、津川雅彦共演)
 5作目「激斗ひめゆり岬」(1971、小沢茂弘監督、菅原文太共演)

藤純子は1945年生まれだから、1970年に25歳。女渡世人シリーズというのも始まりましたが、1971年の「女渡世人」(小沢茂弘監督、鶴田浩二共演)と「おたの申します」(山下耕作監督、島田正吾共演)のみ。同年11月に尾上菊之助との婚約、引退を発表、翌年結婚。1971年には「緋牡丹博徒・お命戴きます」「女渡世人・おたの申します」などの演技でキネ旬の女優賞受賞。

「ヘルハウス」は1975年に自由が丘の映画館で見たことがあります。その時書いたことを転載します。

自由が丘推理劇場に行くのは、4月の「ワイルドバンチ」と「大いなる勇者」に次いで2回目。「ヘルハウス」(1973, The Legend of Hell House)は、死霊に取りつかれた大邸宅に、物理学者や霊媒師など数名が乗り込んで、退治しようとするお話。自分が地味だからか、目立たない人物が最後に活躍するという話が好きで、この映画はそれを満足させてくれたので、1点ぐらいオマケしています。「カレードマン大胆不敵」でロンドン警視庁の警部でスザンナ・ヨークの父親を演じ、「ラムの大通り」でおかしな海賊船の船長を演じたクライブ・レベルが超常現象を信じない物理学者を、美人インテリ女優ゲイル・ハニカット(「野良犬の罠」「スコルピオ」)がその妻を、パメラ・フランクリンが霊媒師を、20年前にこの邸宅を調査したチームの生き残りをロディ・マクドウォールが演じています。眼の大きなパメラ・フランクリンは一見清純派ですが、「ミス・ブロディの青春」で女教師マギー・スミスに意地悪する女学生とか変な役が多い。11歳ぐらいでデビューしたのはヘンリー・ジェームズの「ねじの回転」が原作の「回転」だし、「私は誘拐されたい」では暴行される妄想をする思春期の少女を演じる(両方とも未見)。俳優ハーベイ・ジェイソンと35年以上連れ添っているので、私生活はまともなんでしょう。監督のジョン・ハフは、「小さな目撃者」や「ダーティ・メリー/クレージー・ラリー」など、この頃は売り出し中って感じでした。原作脚本リチャード・マシソン。

少し前にDVDを買いましたが、ロディ・マクドウォールは記憶ほどは最後に活躍していませんでした。パメラ・フランクリンはやっぱりエロチックな場面あり。

「魔天楼」(1949、The Fountainhead) は、キング・ビダー監督、ゲイリー・クーパー、パトリシア・ニール主演。ロバート・バークス撮影、マックス・スタイナー音楽。ワーナーの白黒作品。理想主義的な建築家のドラマらしいです。パトリシア・ニールは、わりと最近DVDで見た1957年のエリア・カザン監督の「群衆の中の一つの顔」で好きになったので、機会があれば「魔天楼」をあらためて見てみたい。アカデミー主演女優賞をもらった「ハッド」(1963, Hud)の彼女も良かった。

最後は、京王線の仙川の隣の千歳烏山のアダルト専門映画館の4本立て。すべて1点なのがトホホで、欲望面でも芸術面でも欲求不満が高まったことでしょう。まだ暑い頃だったろうから、涼むのには良かったかもしれません。4本とも題名に情事が入っている粋な組み合わせ。こういう組み合わせは映画館が考えるのか、配給者が考えるのか。

「情事の方程式」は山口美也子主演とだけ記録しています。なんか懐かしい女優さん。今でも活躍されているんですね。正式な題名は「オリオンの殺意より・情事の方程式」。1978年の日活ロマンポルノで根岸吉太郎監督のデビュー作だそうです。

「禁断の情事」は向井寛監督とだけ記録しています。1965年から成人映画を作られている監督らしいです。インターネットで調べたら、ユニバースプロ製作の1977年の作品で、出演は山下洵一郎、藤真琴、上野山功一。

「たそがれの情事」は、西村昭五郎監督、白川和子主演。日活ロマンポルノ第一作の「団地妻・昼下りの情事」(1971)に次ぐ1972年のコンビ作。

「さいはての情事」は、1973年の作品で、小沢啓一監督、河辺和夫脚本、山崎善弘撮影、真鍋理一郎音楽、川村真樹、続圭子と詳しく記録しています。たぶん、1973年から買い始めたキネ旬を全部持っていたので、それで調べたのでしょう(その後、全部友人にあげちゃいました)。蟹江敬三も出ているようです。小沢啓一監督は渡哲也の無頼シリーズが有名で、何本かポルノ作品を手がけたあと、「太陽にほえろ!」や「大都会」などのテレビシリーズを演出し、1997年からはVシネマで「修羅がゆく」とか「修羅のみち」とかいうシリーズを監督しているようです。

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1978年9月に見た映画 (概観)

第1週

  • 9月04日(月) お竜参上 (テレビ) 3点
  • 9月04日(月) ヘルハウス (月曜ロードショー) 4点
  • 9月05日(火) 日本女侠伝・侠客芸者 (テレビ)  3点
  • 9月06日(水) 日本女侠伝・真っ赤な度胸花 (テレビ) 2点
  • 9月08日(金) 恋愛日記 (高田馬場パール座) 3点
  • 9月08日(金) ソドムの市 (高田馬場パール座) 0点
  • 9月08日(金) 摩天楼 (東京12) 3点
  • 9月09日(土) 情事の方程式(烏山) 1点
  • 9月09日(土) 禁断の情事 (烏山) 1点
  • 9月09日(土) たそがれの情事 (烏山) 1点
  • 9月09日(土) さいはての情事 (烏山) 1点
  • 9月10日(日) 黒衣の花嫁 (三鷹オスカー) 4点
  • 9月10日(日) トリュフォーの思春期 (三鷹オスカー) 5点
  • 9月10日(日) 暗くなるまでこの恋を (三鷹オスカー) 4点

第2週

  • 9月11日(月) うず潮 (月曜ロードショー) 4点
  • 9月12日(火) 曾根崎心中 (並木座) 4点
  • 9月12日(火) はなれ瞽女おりん (並木座) 5点 
  • 9月13日(水) 巴里の屋根の下 (新宿アートビレッジ) 4点
  • 9月13日(水) ル・ミリオン (新宿アートビレッジ) 4点
  • 9月15日(金) 海の牙 (東京12) 4点
  • 9月16日(土) 操行ゼロ (早稲田松竹) 5点
  • 9月16日(土) 恐るべき子供たち (早稲田松竹) 5点
  • 9月16日(土) PULP悪の紳士録 (TBS) 2点
  • 9月17日(日) 日本春歌考 (三鷹オスカー) 2点
  • 9月17日(日) 太陽の墓場 (三鷹オスカー) 3点
  • 9月17日(日) 白昼の通り魔 (三鷹オスカー) 2点
  • 9月17日(日) 恋愛日記 (三鷹文化) 4点
  • 9月17日(日) バレンチノ (三鷹文化) 4点

第3週

  • 9月18日(月) スターウォーズ (新宿プラザ) 5点
  • 9月19日(火) 世界大戦争 (フジテレビ) 1点
  • 9月19日(火) 事件 (並木座) 3点
  • 9月19日(火) 点と線 (並木座) 2点
  • 9月21日(木) 恋はすばやく (フジテレビ) 3点
  • 9月22日(金) カプリコン1 (三鷹オスカー) 5点
  • 9月22日(金) ダラスの熱い日 (三鷹オスカー) 2点
  • 9月22日(金) 大統領の陰謀 (三鷹オスカー) 4点
  • 9月22日(金) 我等の仲間 (東京12) 4点
  • 9月23日(土) 華岡青洲の妻 (東京12)  4点

第4週

  • 9月29日(金) 美女と野獣 (東京12) 4点
  • 9月30日(土) さよならの微笑 (高田馬場パール座) 4点
  • 9月30日(土) 男と女 (高田馬場パール座) 3点
  • 10月1日(日) 愛のメモリー (三鷹オスカー) 4点
  • 10月1日(日) ファントム・オブ・パラダイス (三鷹オスカー) 4点
  • 10月1日(日) 悪魔のシスター (三鷹オスカー) 4点

以前の鑑賞記録はこちら

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2011年9月 5日 (月)

映画構造と感情システム (55)

「ジョイ・ラック・クラブ」の最初の回想は規範どおりであり、調和がとれている。パーティーでのジューンから始まり、子供時代のピアノ演奏の大失敗となり、またパーティーに戻る。次に叔母のリンドが物語の主導権を握り、パーティーから中国での男の子との見合い結婚へと観客を案内する。現代に戻って、リンドの娘ウェバリーが結婚の用意をしている。今度はウェバリーが自分の話を語り始め、60年代のアメリカでチェスの天才少女だったことを回想する。回想が終わると、現代の結婚の準備へと戻り、ウェバリーと母リンドが美容室にいる。ウェバリーが再び回想を始めるが、より最近のことで、ウェバリーは母親と白人の婚約者リッチとの文化的な緊張をほぐそうとしている。ウェバリーのナレーションによって美容室に戻るが、すぐに母親のナレーションによって中国の子供時代の短い回想となる。美容室で母と娘がいくらか和解したのち、最初のパーティーへと戻る。

このとき初めて観客は、現代のウェバリーとリンドの場面がパーティーより数年前のことだとわかる。混乱する現代の時間枠と複雑で調和がとれていない回想の構造(不意に視点が別の人物に移行する)によって、映画の時間枠に関して観客は落ち着くことができない。

アン・メイと娘ローズの回想は、リンドとウェバリーの回想と比べると、単純に見える。パーティーに出席しているアン・メイから始まり、彼女のナレーションを通じて、彼女の母親がなぜ家から追い出されたかを思い出している思春期前の彼女へと戻るが、その彼女を見るのは数秒だけで、母親が熱いスープで4歳のアン・メイにやけどを負わせる場面となる。それから思春期のアン・メイへと戻り、彼女は祖母の家で母親についていくという選択をする。急に現代に戻り、大人のアン・メイが娘ローズと、ローズの夫との別居生活について議論している。ローズのナレーションが始まり、ローズと夫テッドとの関係が進展していく回想となる。大学時代の出会いから、結婚、別居へと進む。現代のローズと母アン・メイに戻ると、今度はアン・メイのナレーションによって彼女の回想となる。母親は金持ちの4番目の妻となり、思春期前のアン・メイはそこで一緒に住む。観客は、すべての妻を紹介され、邸宅での彼女たちの上下関係を知る。アン・メイの養育係がなぜ母親がうとんじられているかをアン・メイに話す。さらに昔の回想となり、母親が金持ちに強姦され棄てられる様子が描かれる。思春期前のアン・メイに戻り、母親が自殺しているのを発見する。母親の自殺によってアン・メイは邸宅で権力を握る機会を得る。映画は現代に戻り、アン・メイがこの話を教訓として娘に聴かせている。ローズは、別居中の夫テッドとの会話で、自分の失敗に対する責任を引き受ける。やっとパーティーに戻ると、ローズとテッドが幸せそうにしている。

このように複雑な時間枠を書面上で要約するとき、理解しがたいものであるかのようにするは簡単である。ただ、ウェイン・ワン監督が観客から理解を得ていないと論じるつもりはない。ワン監督は、この非常に複雑な物語をほとんどの観客が理解できるように語る努力をしている。話の順序が理解できなければ、なぜ観客が感情面でかかわることが困難なのかを説明するのは簡単だろう。にもかかわらず、話の順序は理解できるのに、多大な感情作業が必要なために感情面で困難な場面がある。

その場面を分析する際に観客が期待されている作業の一部として、アン・メイと娘ローズが誰であるかを観客は知る必要がある。だが、加えて、時代が変わるごとに新たな一連の登場人物を知る必要がある。観客は、アン・メイの祖母の家に慣れ、金持ちの邸宅を共有する母親と他の三人の妻に慣れ、母親を強姦した金持ちに慣れ、テッドの家庭状況に慣れなければならない。観客は、登場人物が誰なのかを知るのに忙しくて、犠牲的な自殺、強姦、差し迫った離婚、死の床での和解に関する話が要求する強い感情を持つ時間がほとんどない。感情作業を履行するのに忙しくて、出来事から十分な利益を得ることができない。

観客は、結局、提示部を分析して、さまざまな登場人物が誰であるかを理解する。観客は、いったん登場人物を知ると、彼らや彼女たちの苦境に対して何らかの感情を持つことができるのではないだろうか。それが困難なのは、ワン監督が小説の筋の多くを一本の映画に凝縮しようとしているからである。監督は、小説に詰め込まれた感情の起伏のほとんどを全部を観客に与えようと努力している。観客は、子供時代に人前で恥をかくことによるトラウマ、無理やり子供と結婚させられる苦境、上下関係のある邸宅で支配権を握るための生死をかけた陰謀を経験し、民族間の結婚のむずかしさや結婚の破綻と和解を目撃する。映画は、過度に要求する母親を喜ばすことができないことや母親による大きな犠牲を観客に見せる。母親たちは、見合い結婚や、事故死や、自分自身に迫ってくる死に直面して置き去りにすることによって、子供たちを失う。強姦、自殺、不実、長い間音信不通の親族との和解といった物語を観客は見せられる。どの映画にしてもこれだけの感情的な情況は多すぎる。登場人物の配役を頻繁に変える映画であれば、なおさらである。

(続く)

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2011年9月 4日 (日)

日曜はトリュフォーだ!: 晩年のトリュフォー

遺作「日曜日が待ち遠しい!」から亡くなるまで、伝記「フランソワ・トリュフォー」(2006、原書房)をもとに、整理してみます。

【病状】

  • 1983年8月12日、夕食の途中で「頭の中で爆竹が破裂したような感じ」がし、夜間に少量の血を吐く。翌日の診断は副鼻腔炎の激しい発作。
  • 8月16日、ひどい頭痛が続いていたので、眼性偏頭痛の治療を受ける。
  • 一週間後、眼科の検査を受け、精密検査を勧められる。翌日、CTスキャンを受け、右側頭部に影があるのがわかり、脳出血、動脈瘤破裂、脳腫瘍が懸念される。
  • 本人の希望でヌイィのアメリカン・ホスピタルに入院。検査の結果、脳腫瘍だと判明する。トリュフォーには脳腫瘍だとは知らされなかったが、元妻マドレーヌ・モルゲンステルヌには知らされる。余命は数ヵ月から1年。
  • 9月12日、3時間におよぶ手術を受ける。10日後の9月22日に退院。
  • 11月頃、マドレーヌは、トリュフォーとマドレーヌの娘ローラとエバ、そしてトリュフォー作品のプロデューサー、マルセル・べルベールに医師の診断を伝える。
  • 1984年1月、マドレーヌはクロード・ド・ジブレーに告げる。トリュフォーのプロダクション、レ・フィルム・ドゥ・キャロッスの一同にも告げたらしく、スタッフは外部には一切口を閉ざすことにする。
  • 1984年初め、トリュフォーは元気を取り戻す。恋人ファニー・アルダンと田舎に数日滞在したり、映画や芝居に行ったりする。
  • 3月4日、セザール賞授賞式に出席。
  • 4月半ば、オーブ県ロミーで、自分の名前を冠した映画館の開館式に出席。
  • 4月末、CTスキャンを受ける。結果は良くない。
  • 5月25日、再映画化を検討していた「革の鼻」をイブ・アレグレ監督、ジャン・マレー主演で1950年代に映画化したものをシネマテークで鑑賞。
  • 6月、トリュフォーは自宅の寝室で安静に過ごす。
  • 7月8日、身の回りの世話のために自宅からマドレーヌ宅に移る。
  • 7月10日、CTスキャンで腫瘍が大きくなっているのが判明。
  • 晩夏、歩くのが困難になり、頭痛が続く。
  • 9月28日、容態が急変し、再びアメリカン・ホスピタルに入院。
  • 10月21日日曜日、午後2時30分に永眠。
  • 10月24日、火葬され、モンマルトル墓地に埋葬。
  • 11月21日、サン・ロック教会でミサ。

【私生活】

トリュフォーはファニー・アルダンと恋仲で、1983年9月28日には二人の間の娘ジョゼフィーヌが生まれています。しかし、晩年の部分を読んでいて、一番印象に残るのは、1965年に離婚したマドレーヌ・モルゲンステルヌの献身です。ファニー・アルダンは当時売れっ子になっており、忙しかったからだろうけど、亡くなる三か月前にマドレーヌは自宅にトリュフォーを引き取っています。さらに、トリュフォーは、遺言で、死後のトリュフォー作品の普及業務を彼女に託しています。彼女は大手配給業者の娘だったので、実務能力があったのでしょう。「盗まれた肖像」というインタビュー中心のトリュフォーに関するドキュメンタリー映画での彼女は上品で素敵なおばさまです。

【予定作】

  • ラ・バランドの小説 "Nez-de-Cuir"(革の鼻)のリメイク。クロード・ド・ジブレーとの共同脚本。ジェラール・ドパルデューとファニー・アルダン主演。上述したように、亡くなった年の5月にシネマテークでイブ・アレグレ監督、ジャン・マレー主演の1952年の作品を見に行っています。ナポレオン時代の戦争で顔に損傷を負った男が女たらしの人生は終わったと思うが、革の鼻が魅力となって女性たちが寄ってくるという話のようです。
  • 「小さな泥棒」もクロード・ド・ジブレーとの共同脚本。これはクロード・ミレールがシャルロット・ゲンズブール主演で1988年に映画化。
  • ポール・レオトーの自伝的小説「情人」の映画化。レオトーの他の著作を組み合わせれば、20世紀初めのロレット界隈でのレオトーの子供時代を描くことができると考えたようです。レオトーは幼いころ母親に捨てられており、トリュフォーと境遇が似ている。ジャン・グリュオーとの共同脚本の予定でした。ただ、パスカル・トマもレオトー原作の映画化を進めていたので、トリュフォーは断念。パスカル・トマは「上級生」(1972)が印象的でしたが、レオトーの原作を映画化した形跡なし。ジャン・ピエール・ローソンという監督が1989年にミシェル・セロー主演で作った "Comedie d'amour" というのがあります。
  • ジャン・グリュオーとの共同脚本で「ベル・エポック」。20世紀初頭の万博から1914年の第一次大戦までの話。ミロス・フォアマンの「ラグタイム」とベルイマンの「ファニーとアレクサンデル」の中間に位置する作品になるはずでした。3時間の劇場版と数話のテレビシリーズで構成しようとしたらしい。これは、イギリスのギャビン・ミラー監督が1995年にフランスのテレビのミニシリーズとして作っています。何話かとか合計何時間かとか詳しいことはわかりません。「私のように美しい娘」のアンドレ・デュソリエが出ているようです。

Robert Ingram / Paul Duncan "Francois Truffaut" (Taschen) から妻マドレーヌと娘ローラとの1962年7月の写真。

Truffautfamily

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2011年9月 3日 (土)

夜明けの英国音楽 (8)

ただいま朝の3時半。めずらしくこっちに台風が来ていて、散歩に出ることができないので、6時すぎまでおつきあい願います。とはいえ、リチャード・トンプソン (RT) の「パーリー・ジム」の解釈に時間がかかりそうなので、曲をたっぷりかける余裕はないと思います。

「パーリー・ジム」をやる前に、ジューン・テイバー June Tabor とオイスターバンド Oyster Band が21年ぶりに組んだアルバム Ragged Kingdom がもうすぐ出るので、21年前のアルバム Freedom and Rain でカバーしていたベルベット・アンダーグラウンドの "All Tomorrow's Parties" を昨年のコンサートで演奏しているものを見てもらいます。

彼女が1980年に出した3枚目 Cut Above は June Tabor with Martin Simpson という名義になっており、全体的にマーティン・シンプソンのギターをバックに歌っています。RTの "Strange Affair" をその中でカバーしているのですが、いつのものかわかりませんが、この二人がBBCのテレビのために演奏しているものがあるので、見ていただきましょう。ちなみにRTの "Strange Affair" は、Richard and Linda Thompson の1978年のアルバム First Light でリンダが歌っているものがオリジナルです。

私がジューン・テイバーのことを知ったのは、スティーライ・スパンのマディ・プライア Maddy Prior と組んだシリー・シスターズ Silly Sisters の1976年のアルバムを通じてでした。その1曲目 Doffing Mistress をすっかり熟女になってしまった二人が歌っている映像があるので、見ていただきましょう。若い女性は誰なんでしょうか。

さっきのは断片的だったので、同じコンサートらしきもので二人が無伴奏で歌っている "Four Loom Weaver" を聴いていただきましょう。

ここであややが聴きたくなりました。今のところ最後になっている2009年秋のコンサートツアーから。2007年の傑作アルバム「ダブル・レインボウ」のタイトル曲

4時30分になってしまいました。そろそろRTの「パーリー・ジム Pearly Jim」にとりかからないと、台風が通り過ぎてしまう。よくわからない歌詞からなんとかストーリーを見つけようとしているのです。けっこう売れている脚本家が主人公で、偽善者の詐欺師にだまされて、別荘はとられるし、妻子には逃げられる。今回は4番目の歌詞から。

I'm rolling dice for gin
I'm getting sliced too thin
By Mister Pearly Jim
I mortgaged my des. res
He needs a boost, he says
Does Mister Pearly Jim

この部分は脚本家の一人称でしょうね。パーリー・ジムにお金をしぼり取られて、妻子にも逃げられて、ギャンブルと酒に溺れているようです。"des. res" というのは "desirable residence" の略で、「望ましい家」すなわち「高級住宅」という意味で、それまで抵当に入れちゃう。パーリー・ジムは「もっとてこ入れが必要だ」と言って、さらにお金をせがむ。なにか慈善事業を名目にしているようです。

He's got a compound down
The balmy side of town
The guards'll give you shits
He's got a pearly suit
For every new recruit
You'll feel so thrilled to bits

最初の二行は、中川五郎氏の訳では、「彼は街のいかれた地域の大邸宅を下落させてしまったんだ」となっており、パーリー・ジムが不動産に関係している人物であるかのように解釈しているようです。"balmy" は、「気候や空気がさわやかな」という意味もあるけど、俗語で「風変わりな」や「頭がおかしい」という意味もあります。私の解釈では「パーリー・ジムは、ある住宅地 (a compound) を、いかれた地区に堕落させてしまった」です。次の「警備員たちは君に悪態をつくだろうよ」は、高級住宅の警備員が職を失ってしまうので、パーリー・ジムに悪態をつくということなのだろうか。次の部分は「新しく雇い入れたみんなに彼は真珠をちりばめたスーツを支給する」となっているのですが、私の解釈では「新たに会員を入れるごとに彼は光輝くスーツを買った」です。"You'll feel so thrilled to bits" は警備員ウンヌンの行と韻を踏んでいて、意味よりも形式を重視しているためにわかりにくいのかもしれません。警備員の行の "you" がパーリー・ジムのことなら、ここでもそうだろうから、「君(パーリー・ジム)は、すごく興奮するんだろうね」。

When He grits that pearly smile
Will you that extra mile?
'Alms for the poor
Alms for the poor"
Chairman Mao's got a whole lot of thoughts
And R.D. Laing's got me tied up in knots

「彼が真珠のような微笑みをギシギシいわせて、「貧しい人たちに施しを」
と唱えると、あなたたちは彼のためにさらに骨を折るつもりかい?」ここでなぜか毛沢東主席と精神科医のRDレインが登場。「毛沢東はいっぱい考えを持っていて、レインは私を混乱に陥れる。」少し前のRTのサイトのQ&Aで、「RDレインといった言葉を完全に理解すべきでしょうか」という質問があって、それに対してRTは「ビートルズは「ペニー・レイン」に "fish and finger pie" という言葉を入れたし、ストーンズの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」はどういう意味なんだろうねえ。だから、少し不可解な言葉を入れてもOKだと思っている」と答えています。では、一番最後の部分。

Does your conscience ever scream
Between the chaos and the dream
"Alms for the poor
Alms for the poor"
To save time just pay us here on the street
The whole universe will be our receipt

ここはすべてパーリー・ジムが勧誘するときの言葉なんですかね。「君の良心が混沌と夢の間で悲鳴をあげたことがありますか。「貧しい人たちに施しを、貧しい人たちに施しを。」時間を節約するために今ここでお金を払ってください。全人類(の幸福)が私たちの領収書です。」

では、曲を聴いてもらって、「パーリー・ジム」を終えることにしましょう

ただいま5時30分。なんか、外が静かになりました。今は室戸岬にあって、北北西に進路を取っているようです。けっこう頭を使ったので、ごほうびに、英国から離れて、最近こういうのを見始めたら止まらなくなってしまうものを見てください。

まず、下手でもいい、生で歌ってほしい

彼女がいるグループの最新作。カラフルなのが好きなのでDVD予約しちゃいました。ここはツートップが互いに仲がいいのかどうか画面から伝わってこないし、この二人とほかのメンバーたちとの間に溝がある気がして、今まで興味がなかったのですが、最近みんな同じレベルになって仲が良いように見えてきました。

2年前のこれはカッコ良かった。歌を勉強中の上記の女の子は踊りがうまくて、うしろのほうでもパースペクティブの中心にいて、彼女に目が行ってしまいます。

本日はこれで終わり。来週もお楽しみに!

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2011年9月 2日 (金)

フィルムノワール入門 (21)

あややが歌う前にガンバリすぎて、歌詞を忘れる愉快な映像。驚くべきパワー。

【検閲】の続き

これらの例が示しているのは、30年代初期のギャング映画同様、許容範囲をフィルムノワールが拡大させたことである。特にナチや日本を性的にゆがんだ精神病の殺人者として描いた愛国的な戦争映画の登場によって(L.J. Leff and J.L. Simmons (1990) The Dame in the Kimono: Hollywood, Censorship and the Production Code from the 1920s to the 1960s (Weidenfeld & Nicoloson))、フィルムノワールの犯罪者たちは、「死の接吻」(1947, Kiss of Death)のリチャード・ウィドマークのように、同様の特徴を誇示することができた。だが、法律を遵守する人物の場合に問題が生じた。レイモンド・チャンドラーによる「青い戦慄」(1946, The Blue Dahlia)の最初の脚本では、ウィリアム・ベンディクスが友人アラン・ラッドの不貞な妻を殺すのだが、「それは強い正当な怒りに迫られてのことで、それから彼は頭が真っ白になり、すべて忘れてしまった」となっている。しかし、強迫観念に駆られる殺人者として帰還した水兵を描くことに海軍が反対したので、不自然で古臭い解決に替えられてしまった。暴力や残酷さが弱められ、警察の無能さに関する考察が削られ、主人公は昇進し、より世間に認められるような中流階級の映画となった(G.D. Phillips (2000) Creatures of Darkness: Raymond Chandler, Detective Fiction and Film Noir (University Press of Kentucky))

どこまでが許容範囲かに関する論争は終戦直後に盛んだったが、1950年代にはさほどでもなくなった。特に、1952年5月に最高裁判所が、映画は思想を伝える重要な媒体であり、自由を保障する憲法修正第一条のもとで出版物と同様の保護を受けていると判断してからは。映画の倫理規定は、次第に不適切で古臭いと認識されるようになり、一般大衆の許容範囲に対する基準としての役目を果たさなくなった。驚くべきことに、倫理規定が年齢制限の区分制度と交代するのは1968年になってからである。

【検閲】の項終わり。次回は【観客】。

Film Posters of the 40s (Taschen) から「青い戦慄」

Bluedahlia

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2011年9月 1日 (木)

映画構造と感情システム (54)

ほとんどの主流の映画と異なり、「ジョイ・ラック・クラブ」は、提示部を初めのほうの場面に集中させていない。この映画を見るには、何度も提示部を理解するという感情作業を行う必要がある。この提示部はエイミ・タンの原作ではさほど問題にならない。小説を読むには映画の上映時間2時間19分以上の時間を要するし、通常、一気に読んでしまうことはない。小説の続きを読もうという気になったときに新たな登場人物たちを紹介されても、さほどの負担にはならない。映画は一気に見せるもので、何度も新たな登場人物たちに適応しなければならないことはわずらわしいことに思える。

もし「ジョイ・ラック・クラブ」をテレビのミニ・シリーズとして放映したら、映画版とどう違うのか考えてみると面白いだろう。異なるエピソードが別々の夜に放送されたら、複数の提示部を理解する困難が緩和されるだろう。テレビのミニ・シリーズは、小説の各章を毎晩読むことに似ているかもしれない。だが、一気に見せてしまう映画だと、多くの登場人物たちに自分を適合させるために必要な感情作業はきつい。

登場人物が複雑にからみあった複数のエピソードから成る「ジョイ・ラック・クラブ」は、回想の処理のために別の困難さを観客にもたらせている。古典的なハリウッド映画は、虚構世界の空間と時間に混乱が生じないように発展している。いつ回想が始まっていつ終わるかを観客がわかるようにする手法を確立している(顔へのズーム、ディゾルブ、音による橋渡しなど)。最近のハリウッド映画はそうした手法をあからさまには使用しない傾向があるが、それでも映画作家は均整のとれた回想を作り出そうとする。虚構世界の現在における主要人物を紹介し、過去の時間と場所を訪れる(過去の物を見せることによって)。その時点から、直線的または飛び飛びに、現在に向けて話が進行する。現代の観客は、時間の移行を示すディゾルブのような明確な合図を必要としないが、最初に見せられた現在の主要人物に戻ることで回想が終わることは確信している。(Maureen Turim, Flashbacks in Film: Memory and History (Routledge, 1989))

だが、「ジョイ・ラック・クラブ」の回想は次第に複雑になっていき、観客が確信を持って予想することが難しくなる。現在に戻るのかどうか、突然別の登場人物の回想に移るのかどうか、確信が持てない。現在に戻ったと思ったら、別の時点での回想だったりする。凝った回想構造のために、観客は何層かの時間と空間を心に留めておかなければならない。これは、かなりの量の感情作業である。

(続く)

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