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2011年8月31日 (水)

キートンのサイレント長編集 (8): 「キートンのラスト・ラウンド」

いくらなんでも活動しなさすぎのあややは見限って、別の歌のうまいアイドルを物色中の今日この頃でしたが、四年ほど前から体調がすぐれなかったそうで、ごめんなさい。同じ病気で苦しまれていた平松愛理さんの曲を歌っているのは、単に曲が好きだからというだけの理由でしょうか。これだけだと寂しいので、口パクくそくらえの「愛は勝つ」の熱唱はどうだ(声が聞こえないのに口パクしているたいせいが笑えますが)。

さて、キートン・プロダクションズでのキートンの長編7作目は「キートンのラスト・ラウンド」。原題は "Battling Butler" で、アメリカでは1926年8月ごろ公開。日本での70年代のリバイバル・シリーズは途中で打ち切られて、公開されませんでした。「キートンのラスト・ラウンド」はその時の邦題。1927年に日本で公開されたときの邦題は「拳闘屋キートン」。1985年にお茶の水のアテネフランセで見たことがあって、その時のタイトルも「拳闘屋キートン」でした。

大規模な仕掛けがないのでキートンの長編の中で一番地味だろうと思います。でも、最初からそう思ってみると悪くないし、話をちゃんと語っています。舞台劇が原作だということもあるのだろうけど。キートンが単独で監督しているのですが、最初のシーンの画面の奥行きはオーソン・ウェルズも真青です。

「海底王キートン」同様、甘やかされて育って何もできない金持ちのボンボンが主人公で、キートンが一番ピッタリくる役柄だと私は思います。男らしくなってほしい父親は、キートンに山暮らしを経験させますが、そこでも従者に身の回りのことをやらせて、都会での生活とあまり変わらない。「セブン・チャンス」で弁護士を演じた小男のおじさん、スニッツ・エドワーズがここでも従者として好演しています。

山で暮らすサリー・オニールを見染めて、二人は結婚します。サリー・オニールは親しみやすい感じだし、恋愛についてウブなキートンとシビル・シーリーを初めとする素朴な女性とのラブシーンは初々しくて、いつも胸キュンとなります。自分を強く見せようとするキートンが成りすます同姓同名(アルフレッド・バトラー)のボクサーの妻マリー・オブライエンもけっこういい感じで、互いを知らないサリーと彼女が屋外の同じテーブルに座っていると、ウェイターが「バトラー氏からです」とチョコーレとの入ったお盆をテーブルに置いたので、自分のためのものを何で相手が食べているのだろうと二人が心理的に火花を散らすあたりも大人のコメディとして上出来。もっとも、これは原作の舞台劇にもあるのかもしれませんが。

  1. キートンの恋愛三代記 Three Ages (1923) ★★★★★
  2. 荒武者キートン Our Hospitality (1923) ★★★★★
  3. キートンの探偵学入門 Sherlock Jr. (1924) ★★★★★
  4. 海底王キートン The Navigator (1924) ★★★★★
  5. セブン・チャンス Seven Chances (1925) ★★★★★
  6. キートンのゴー・ウェスト! Go West (1925) ★★
  7. キートンのラスト・ラウンド Battling Butler (1926) ★★★

最後にあややの復活を願って、もう一曲紹介させてください。ミキティとのデュオGAMの "Melodies" を一人で歌っているもの

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2011年8月30日 (火)

1978年8月第4週に見た映画

8月28日(月) 高校大パニック (岡山日活) 2点
8月28日(月) 帰らざる日々 (岡山日活) 4点
8月30日(水) 家庭の事情 (テレビ) 3点
8月31日(木) 燃える大陸 (テレビ) 3点
8月28-31日  マネーチェンジャーズ (NHK) 4点
8月?日(?)  不倫の報酬 (テレビ) 3点
9月01日(金) 楽しき我が家 (テレビ) 3点
9月03日(日) 戦略空軍命令 (テレビ) 3点
9月03日(日) 侠客列伝 (テレビ) 3点
9月03日(日) 巴里の屋根の下 (NHK教育) 4点

暇にまかせてよく見ていることよのお。

岡山には兄夫婦がアパートに住んでいて、この前日の日曜の夜にNHK教育で放映された「オペラハット」をそこで見た記憶があるので、一泊して次の日に映画を見に行ったのでしょう。日活の映画館で封切られていた二本立てで、普段はロマンポルノを上映していたけれど、夏休みだから一般映画を上映していたんですかね。「高校大パニック」は、ほとんどおぼえていないのですが、gooであらすじを読むと、受験地獄に嫌気がさしていた高三の生徒がライフル片手に学校をハイジャックする話のようです。監督は沢田幸弘と石井聰亙。後者が日大芸術学部で自主制作した8ミリが評判となって、それを映画化したものです。主演の山本茂って人は顔も思い出せないんだけど、女子生徒役で浅野温子さんが映画デビューしたようです。

「帰らざる日々」は藤田敏八監督の青春映画で、江藤潤と永島敏行主演。江藤潤は黛ジュンと結婚していた名ベーシスト江藤勲の実弟で、「祭りの準備」も良かったけど、この映画も良かった。永島敏行は、この年のキネ旬1位「サード」のオーディションで主演に抜擢され、4位の「事件」にも出演し、「帰らざる日々」は5位。読者選出では「帰らざる日々」1位、「事件」2位、「サード」3位と、新人永島敏行の大当たり年。今では野菜づくりが似合うおじさんの印象しかありませんが。二人が汗をかきながら山道を走っている映像しか思い浮かばない。共演している浅野真弓という女優さんがきれいだった気がします。レコードも何枚か出されているようです。当時聴いたことがないのに、こういう曲調の歌を聴くと70年代にタイムスリップしてしまいます。この6年後に広川太一郎さんと深夜番組をしていたときは、かなり色っぽいお姉さんになっています。柳ジョージさんと結婚されたようで。アリスが主題歌を歌っていました。「バイ、バイ、バイ、私の貴方」のところだけ口ずさめます。あと、桃尻娘の竹田かほりさんも出ていたようです。

「家庭の事情」は、源氏鶏太原作、新藤兼人脚本、吉村公三郎監督の1962年の大映映画。55歳でサラリーマン生活を退職したやもめの山村総が退職金を娘四人に分配して、彼女たちが結婚にからめてそのお金をどう使うかという話らしい。そうか、私も退職する年になったのか。でも、あの頃の男性の平均寿命は65歳少々だったらしいですよ。娘四人は、若尾文子、叶順子、三条魔子、渋沢詩子。ほかに船越英二、藤巻潤、川口浩、川崎敬三、田宮二郎、根上淳、藤間紫、杉村春子、小沢栄太郎と、けっこう豪華。1月3日に封切られているので、オールスターの正月映画だったのだろうか。

「燃える大陸」は、西村昭五郎監督、渡哲也、松原智恵子主演の1968年の日活映画。オーストラリアが舞台だったとおぼえている程度。

「マネー・チェンジャーズ」は当時のベストセラーをテレビ映画化したもの。たしか銀行が舞台のドラマで、原作は誰かというと、「大空港」のアーサー・ヘイリーですね。NHKで3夜か4夜連続で放送されたようです。出演はカーク・ダグラス、クリストファー・プラマー、アン・バクスター、ラルフ・ベラミー、ティモシー・ボトムズ、ジョーン・コリンズ、ヘレン・ヘイズら。監督ボリス・セイガル、音楽ヘンリー・マンシーニ、撮影ジョセフ・ビロック。390分。

「楽しき我が家」は、ノーマン・タウログ監督、ビクター・ヤング音楽としか記録していません。goo によると、主演はローズマリー・クルーニーとイタリアのソプラノ歌手アンナ・マリア・アルバゲッティらしい。ポーランドの孤児アルバゲッティがアメリカに密入国し、歌手クルーニーらがかくまうが、当局に発見されてしまう。しかし、「素人芸大会」に出たアルバゲッティのソプラノが全米で評判となり、入国が認められるという話らしい。そんな映画を見た記憶はないんだけどなあ。原題 "The Stars Are Singing" という1953年のパラマウント映画。

「不倫の報酬」(Paid in Full) という題名は最近見つけたもの。私の記録には、ロバート・カミングス主演で、男と二人の姉妹の話で、姉は子供が産むことができず、男は最初妹を愛するが、最後には姉を愛すると書いてあるだけでしたが、なんとか見つけました。日本では劇場未公開で、邦題はテレビ放映時のもの。謙虚な姉はリザベス・スコット、わがままな妹はダイアナ・リン。監督ウィリアム・デターレ。ハル・B・ウォリス製作のパラマウント映画。音楽はまたもやビクター・ヤング。

「戦略空軍命令」(1955)は、前年の「グレン・ミラー物語」と同じアンソニー・マン監督、ジェームズ・スチュアート、ジューン・アリソンのトリオ。撮影のウィリアム・ダニエルズも同じで、カラー作品。原題は "Strategic Air Command"。音楽は、またまたビクター・ヤングで、パラマウントには彼しかいないのかね。

「侠客列伝」は、マキノ雅弘監督、高倉健主演、桜町弘子共演の1968年の東映任侠映画。「列伝」シリーズの第1作目。1971年まで全部で5作あり、ほかは小沢茂弘監督「博徒列伝」「渡世人列伝」「遊侠列伝」、山下耕作監督「任侠列伝・男」。「遊侠列伝」も健さん主演ですが、ほかは鶴田浩二主演です。「任侠列伝・男」には健さんも出ているようですが。桜町弘子は、同じ1968年の「総長賭博」で強く印象を残したようです。

「巴里の屋根の下」はルネ・クレールの1930年の下町人情話で、彼のトーキー第1作。出演アンドレ・プレジャン、ポーラ・イルリ、ガストン・モド。原題は "Sous les toits de Paris"。キネ旬では1931年に「モロッコ」に次いで2位。

あー、疲れた。義務感じゃなく、楽しみでやっているからいいんですけど。

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2011年8月29日 (月)

映画構造と感情システム (53)

ほとんどすべての回想は、以前訪れたことのない時間と場所に観客を連れて行く。このことは観客に感情面での困難を特に与えない。ただ、新たな場所各々において、観客は新たな登場人物たちを紹介される。観客は現在のパーティーのシーンで大人のリンド、インイン、アン・メイ、レナ、ローズを知っているが、回想によって彼らの子供時代に連れて行かれる。観客は、リンドの話を見たり聞いたりするとき、彼女の母親、暴君的な継母、夫となる子供を紹介される。アン・メイの話では、目もくらむような一連の登場人物が出てくる。母親、死の床にある祖母、継父、その三人の妻である。これらの人間関係を理解するには観客の時間と努力を要するし、これを何度も観客は強いられる。

そうした登場人物を紹介し、彼らの基本的な人間関係を明確にすることは、一般的に「提示部 exposition」と呼ばれる過程であり、ほとんどの映画で行われている。デビッド・ボードウェルが書いているように、この初めのほうの提示部は、古典的映画の語り口がとりわけ饒舌になりがちな瞬間の一つである。主流の映画は、登場人物が誰なのかをなるべく凝縮して観客に伝えようとする。観客は、この初めのほうで提示される知識がなければ、登場人物に関心を持つのが難しくなるので、映画は提示部を素早く効果的に行おうとする。残りのほとんどの間、古典的な語り口は手の内を見せない傾向があり、十分かつ効率的には情報を教えてくれないが、観客の興味を持続させるために少しずつ情報を分配する。(David Bordwell, Narration in the Fiction Film (University of Wisconsin Press, 1985))

映画の最初の饒舌な部分は、筋の情報がすばやく伝達され、映画を理解するのに重要なので、観客は注意深く見なければならない。観客が映画から感情に関する喜びを得ようとするならば、まず、提示部の分析を行わなければならない。これは観客による投資であり、観客と映画との暗黙の契約の一部として比較的自由に行われる。もし映画を楽しみたいのであれば、登場人物の性格、動機、人間関係を知らなければならないということは過去の経験から観客は知っている。映画は、登場人物に関心を持つよう観客を促す何かを最初に行うことがある(たとえば、「レイダーズ/失われたアーク」の最初でインディアナ・ジョーンズを危険にさらす)。だが、一般的に、映画作家は、最初の提示部の間、観客によるある程度の基本的な作業に頼ることができる。物語映画が約束する報酬を得るために、観客は何らかの感情に関する作業を行わなければならない。

この現象を説明するのに「作業」「投資」「契約」「報酬」といった経済的な用語を使用しているのは、これらの用語が観客と映画とのギブ・アンド・テイクのやりとりを明確にできるからである。提示部の分析作業は、少々退屈な作業であり、通常、映画は最小限に抑えようとする。映画が、感情面での報酬なしに長い提示部に注意を向けることを観客に要求すれば、ほとんどの観客は当初の好意をなくしてしまうだろう。提示部を理解することは、あまり楽しくないかもしれないが、楽しみや他の感情の状態の可能性を開いてくれる。主流の映画の魅力の一つは、感情面での観客の投資を最大にしてくれることである。観客にとって、少しの「感情作業」(たとえば、登場人物の説明を傾聴すること)が、感情の経験において大きな配当を受ける助けとなる。(「感情作業」において、ある程度の努力(純粋に感情的な努力か、純粋に認知的な努力か、その両方)が使用され、成功した場合の感情作業に対する報酬が感情経験(望んでいた感情的な状態)である。)

(続く)

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2011年8月28日 (日)

日曜はトリュフォーだ!: 「まとめ 1975-1984」(その2)

高校生のとき、地元の名画座で「爆笑20年」というローレルとハーディの短編集を見て、呼吸困難になるほど笑いすぎて死ぬかと思いました。それはサイレント中心でしたが、彼らのトーキー作品が中心のDVD10枚組が来月終わりごろにアメリカで出るようです。彼らがチームを組んだのは遅く、20年代後半で、トーキーになってからも人気がありました。残念ながら、字幕はないみたいです。詳しいことは届いてから書きます。ファンタシウムで本体7千円ぐらいで、速達料金でも合計1万円少々。

William K. Everson の "The Complete Films of Laurel & Hardy" (1967, Citadel Press Book) の表紙とアカデミー短編賞をもらった "The Music Box"。

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それにしてもサキチィーはもったいない。この英語字幕付きの映像をアップロードしたのはアメリカのヲタさんかと思ったらレバノンの人でした。ワールドワイドだなあ。引退を惜しむコメントが英語で寄せられる変な時代です。

では、「トリュフォーの映画術」の続き。先週は「紅はこべ」に言及したところまで読みました。ただ今、創元推理文庫の「紅はこべ」を読んでいる途中。100ページぐらいしか読んでいないので、何が大胆なテーマなのか、まだわかりません。

トリュフォーは、カラーがあまり好きじゃないみたい。カラーは映画と現実との最後の障壁を取り除いてしまったと言っており、まるで、映画の魅力は現実との差にあると主張したルドルフ・アルンハイムみたいです。映画に何も偽りのものが存在しなくなれば、ドキュメンタリーと同じになって、虚構の世界が好きなトリュフォーにとって、それは退屈きわまりない。「ドキュメンタリーこそわたしが個人的に愛する映画ジャンルの敵にほかならない」。

ネストール・アルメンドロスなどフランスの数名のカメラマンは「昼の光を嫌い、人工の光をつくりだそうと苦心しています。白黒時代のキャメラマンの秘密をあらためて発見し、それをカラーの撮影に応用しようと努めています。」

同時代のフランスの映画作家で好きなのは、まずエリック・ロメール。それからクロード・ミレール。さらに、「アメリカの夜」と「思春期」に出ていたジャン・フランソワ・ステブナン(「思春期」で中心となっている先生役)。そして、「アメリカの夜」でスチール写真を担当したピエール・ズッカ。みんなトリュフォーに関係している人たちばかりだ。ズッカの「ロベルトは今夜」(1977)はエロチック文学系の洗練された映画で、とても美しいそうです。ステブナンはこれまで3本しか監督しておらず、この1979年のインタビュー時にはまだ1本しか監督作がなかったようです。トリュフォーは俳優としての彼のほうが好きで、実際、現在までコンスタントに映画出演を続けています。現在まだ67歳。

映画を作り始めてから誰かの影響を受けているかもしれないが、深い部分の影響は、「感情の面でいえば8歳から15歳のあいだ、スタイルの面では15歳から25歳のあいだに決まる」と言っています。

トリュフォーが描く男性が孤独なことについて。トリュフォーが特に好きなのはナレーションが入った映画で、観客である彼に直接監督が話しかけているように思えるからです。主人公に友人や相談相手がいると、この楽しみが奪われてしまいます。主人公に友人がいると知ったとたん、トリュフォーは主人公に感情移入できなくなります。自分の好きな監督の作品でもそうで、その例としてブレッソンの「スリ」とミレールの「愛しているとお伝えください」(1977)を挙げています。「アデルの恋の物語」のアデルにも相談相手がいないようにして、彼女といるのは自分だけという感覚を観客に持たせようとしています。でも、アデルは特殊すぎて、あまり感情移入できる人物ではないと私は思うのですが。

とにかく、トリュフォーは主人公と一体になれる映画が大好き。自分が一人っ子だったことが大きな要因だと自己分析しています。兄弟のいない子供は競争心がないので、自分がほかの監督よりすぐれているというようなことは考えたことがないそうです。

トリュフォーの次の発言は、メッセージ性の強い映画が好きでない私と意見が一致しています。「昔の洒落たハリウッド映画のほうが、これこれの社会的悪習を告発すると称する映画よりも、当時のアメリカ社会について多くのことを教えてくれますよ。」「意図しようがしまいがどうしてもそうなってしまうからです。」ダリが次のように言ったそうです。「わざわざ現代的であろうとしてはいけない。残念ながらきみたちが何をしようと、きみたちは現代的になってしまうのだから。」

「映画をつくるのは楽しみであるべきで、義務であってはならない。」観客ならなおさらですね。ここでこうやって毎日書いているのも、楽しいからという理由以外見当たらない。

一応「トリュフォーの映画術」はこれで終わり。来週からは何をしようかな。

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2011年8月27日 (土)

夜明けの英国音楽 (7)

今朝は涼しくて、散歩に出かける時間までぐっすり寝たので、「夜明けの英国音楽」ではなくなってしまいました。昼間はずっと仕事だったので、「夜更けの英国音楽」になってしまいました。

リチャード・トンプソンの2003年のアルバム The Old Kit Bag を聴いているわけですが、今は全体の9曲目、第2章の3曲目「パーリー・ジム Pearly Jim」のわけのわからない歌詞を読んでいます。

先週書いたのは最初の部分で、つぎのとおり。

「私の脚本は競売にかけられている」と始まるので、ハリウッドの脚本家が主人公か。2行目「トスカーナの別荘はパーリー・ジム氏の借金のかたにとられている」と合わせて考えると、主人公はまあまあ売れている脚本家だが、パーリー・ジム氏の策略か何かで困窮しているらしい。ハリウッドの暴露映画でありそうな設定。ジム氏は「真珠で飾られたような」キラキラした人物なんだろうけど、何か胡散臭さを感じてしまいます。おかげで妻と子供に逃げられてしまう。彼らは、ジム氏のせいで電話が通じないと言う。主人公とジム氏は、何らかのことで、しょっちゅう電話で話しているらしい。

本日は二番目の部分から。

He dresses up in rags
He's mister money bags
They call him Pearly Jim
He'll show you Paradise
At least some place quite nice
They call him Pearly Jim

最初の行を直訳すると「彼はぼろ服で正装する」となり、主人公の脚本家を自分の部下にしている大物プロデューサーのイメージではない。「安物で着飾っている」という意味になるのであれば、下品で精力的なプロデューサーをイメージできるのだけど。次の行では「強欲な金持ち」と表現されているから。彼は楽園を見せてくれる。少なくとも、けっこう素敵な場所を見せてくれる。彼は「真珠のようなジム」と呼ばれている。pearly king とか pearly queen というのは、祝祭などで真珠貝ボタンをつけた商人のことらしいので、派手で安っぽいイメージがどうしても思い浮かんでしまいます。

Why did you wait so long?
Can you help him sing his song?
"Alms for the poor,
Ailms for the poor"
We need ketchup on our bangers and mash
This self-denial brings us out in a rash

ここも視点が変わらずに、脚本家の一人称で歌われているのでしょうか。「なぜ君はそんなに待ってたんだい?彼が「貧しい者に施しを、貧しい者に施しを」と自分の曲を歌うのを手伝ってくれないか。我々にはソーセージとマッシュポテトにかけるケチャップが必要だ。この自制が我々に発疹を生じさせる。」ああ、さっぱりわからない。パーリー・ジムは、うさんくさい宗教の教祖みたいな人なんだろうか。

眠くなってきたので、後半は来週にします。このわけのわからない代物を早く片付けて、次に進みたい。

島田紳助の引退以上にショックだったスマイレージの小川紗季ちゃんの引退。5月あたりに彼女から相談があったので、新メンバーの募集をすることになったらしいのだけど、それにしては卒業の発表が唐突すぎる。箸が転がってもおかしいお年頃の彼女がいつも笑っているのを見るのは楽しかった。スマイレージのCDなどは買ったことがなかったけれど、おはガール・メープルの「マイ・スクール・マーチ」は楽しかったので、DVD付きCDを買いました。向かって左端の赤いスカートの女の子がサキチィーです。

一日で100万枚売りあげるグループは私の想像を超えた別世界の代物と考えることにして、じゃあ今のヒット曲は何かといえば「マル・マル・モリ・モリ」です。これ、よく聴くと、ボー・ディドリー風リズムの元気な部分と少し哀愁のある部分が交互に出てきて、なかなか良い曲です。もちろん、二人のあどけなさも大きな魅力です。DVD付きのCDが欲しくなったけど、ちょっと恥ずかしいので、娘のために買ってやる父親のふりをして、または孫のために買ってやる祖父のふりをして、近所のCDショップで買おうかな。

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2011年8月26日 (金)

フィルムノワール入門 (20)

【検閲】

40年代と50年代のハリウッド映画が扱うテーマや問題の幅が狭いのは主に検閲の結果である。映画は大衆に公開されるものだから、素朴な者や影響を受けやすい者も含まれており、文学、劇、新聞のような表現の自由を許されていなかった。表現の自由という憲法上の保護を欠いた映画産業は、たえず外部の規制におびえていた。連邦の法律、州や市の検閲委員会の気まぐれな判断、宗教グループのロビー活動などによって規制が課せられた。映画産業は、外部の介入を防ぐために、自らの規則によって映画を管理しようと試みた。映画製作倫理規定は、ハリウッド映画の影響に対する関心が高まったために、1930年代初めに二人のカトリック教徒によって起案された。1934年に倫理規定管理局の局長に就任したジョセフ・ブリーンは、憎悪に満ちた反ユダヤ主義者であり、ユダヤ人に支配された巨大娯楽産業の商業的貪欲さから伝統的な道徳性を守らなければならないと信じていた。(F.G. Couvares (1996) Movie Censorship and American Culture (Smithsonian Institution Press))

倫理規定には次の一般原理があった。映画は「正しい生活基準」を見せること。犯罪は必ず罰せられること。セックスや暴力の描き方も細かく規制された。「不倫と不法な性行為」は、あからさまに描いてはならないし、正当化してもならない。みだらな抱擁やヌードは禁止。犯罪者への同情を禁止し、犯罪手法を細かく描くことも禁止。ようするに、倫理規定は、家庭の価値を推進し、アメリカの法律、政治、宗教の制度を支持するよう映画を促すことで、1931年以後のハリウッド映画における物語の構成と登場人物の描き方に決定的な力を及ぼした。(R. Maltby (1993) "The Production Code and the Hays Office" in Grand Design: Hollywood as a Modern Business Enterprise 1930-1939 (Scribners))

大会社は、倫理性の高い健全な娯楽を送り出す、責任感の強い会社だと主張できるので、そのような制限的な規則に従った。大会社は、倫理規定に従うことによって、地方の検閲や連邦の介入というリスクなしにアメリカ中の映画館で自社の映画を上映することができた。それに、映画産業は、全体的に、保守的で順応主義であり、挑戦的な主題よりも利益に関心があった。

だが、多くのコメンテイターが指摘するように、戦時中に一般市民の態度がより進歩的になったので、こうした制限もゆるみ始めた。フィルムノワールの映画作家は、省略や暗示的な演出によって、倫理規定を出し抜くのがうまくなった。しかし、犯罪、セックス、暴力、不安な心理状態、不義の関係の強調というフィルムノワールの挑戦の規模と範囲によって、フィルムノワール作品は、倫理規定が疑問視されて最終的に放棄されるに至った過程のかなりの部分を占めた。

この変化が複雑だったことは、代表的な作品を調べてみればわかる。1943年9月、ブリーンは「深夜の告白」に許可を与えた。1935年10月、ブリーンは、不倫関係と詳細な殺人計画のために「深夜の告白」を禁止していた。ブリーンは、不倫と殺人の物語の暗い調子に警告を発し、若者や影響を受けやすい観客が犯罪に無感覚になってしまうので、この原作のいかなる脚色も却下するとしていた。この意見は映画化権を持っていたMGMへの手紙で示されたが、興味を示していたパラマウント、フォックス、ワーナー、コロンビアにもコピーが送られた。パラマウントのためのビリー・ワイルダーの脚色は、こうした問題に配慮しており、いくつかの要素を和らげている。ブリーンは、言葉とスタンウィックの衣装について些細な批判をしただけで映画化を許可した。だが、「深夜の告白」のセックスと暴力に対する大人の取り扱いと、不倫と殺人を犯すカップルへの同情の程度は、観客と映画産業の両方から重要な転機とみられ、よりあからさまな映画が発展する契機となった。この中には同じジェームズ・ケイン原作の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」も含まれており、MGMは1935年に映画化の権利を得ていたが、「深夜の告白」が手本を示すまでMGMは映画化できないと思っていた。(L.J. Leff and J.L. Simmons (1990) The Dame in the Kimono: Hollywood, Censorship and the Production Code from the 1920s to the 1960s (Weidenfeld & Nicolson))

大会社が新たに発見した大胆さは、独立系の会社が議論を呼ぶ素材を扱うきっかけにもなった。ルビッチは30年代にルノワールの「牝犬」のリメークを試みたが、うまくいかなかった。1944年、ブリーンは、ダイアナ・プロダクションズによる「牝犬」の脚色「スカーレット・ストリート」を許可した。ジョーン・ベネット演じるキティは、あきらかにヒモと住む売春婦なのに。いくつかの地方の検閲委員会が激怒しただけだった。当初、この映画はニューヨーク、ミルウォーキー、アトランタで即座に上映禁止となった。上映禁止が解けたのはワンガーとユニバーサルの重役が映画を緩和したのちである。(M. Bernstein (2000) Walter Wanger: Hollywood Independent (University of Minnesota Press))

「スカーレット・ストリート」の成功も倫理規定の封じ込めに一役買ったが、州の規制を通過するための険しい道のりは、フィルムノワールが呼び出すことのできる力を強く思い出させてくれる。

(この項続く)

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2011年8月25日 (木)

映画構造と感情システム (52)

仕事が忙しく、夜8時半にやっとこれを書くことができます。眠いし、「ジョイ・ラック・クラブ」の中盤はあまり思い出せない。

続くいくつかの話は、回想の最初で聞こえる言葉を通じてジューンとスーユアンのジレンマに対してテーマ上のつながりを作りだすという同じパターンをとっている。リンドと娘ウェバリーの話が終わると、現在のパーティーに戻り、会話を通じて「双子の赤ちゃんを失い、彼女たちが生きているかどうかを知らないことはスーユアンにとってどれほどむごいことか」という映画全体の筋に関する質問を観客に思い起こさせる。次にインインが自分の子供を殺したことを語り始める。現在のパーティーでジューンが双子の姉たちに会いに中国に行くことが再び話題になったあと、次の母と娘の回想が始まる。アン・メイがナレーションで「小さい頃、いつも不思議に思っていた。最悪なのは、不思議に思っていたことを秘密にしなければならなかったことだ。母は自分が4歳のときに家を追い出されたので母の記憶はない。」アン・メイの話は、母親を知らずに育った子供はどういうふうなのだろうという考えを観客にもたらす。再び、映画全体の筋の関心に対するテーマ上の変形を提示されるが、映画全体の筋の知識は提供されない。

「ジョイ・ラック・クラブ」のような普通でない構造の物語を直線的なものとして期待することは公正なことではないかもしれない。テレビの連続メロドラマのような構造だと考えたほうがいいかもしれない。相互に関連しているものの各々別個の筋が、一個の主要な筋を進ませるというよりも互いにさえぎっているからである。たぶん、「ジョイ・ラック・クラブ」の進行は、主要人物の苦境に関する知識を増やしていくよりも、様々な視点から全体の物語の状況を深く理解することに依存しているのかもしれない。だが、映画自体は、いつもスーユアン、ジューン、双子の姉たちの話題に戻り、これが中心の質問だということを観客に思い出させる。会話の中でこのことが短く言及されるにつれ、いかに全体の筋の状況が変化しないかを観客は気づく。しばらく前に双子の姉たちが言及されてから彼女たちに関する知識が増えることはない。

映画は断続的に全体の筋の質問を取り上げるが、新たな情報を観客に与えることなく、すぐに置き去りにしてしまう。すなわち、観客の感情の方向を強調させ続けるために古典的な映画が発展させてきた主要な工夫の一つを多少とも捨てている。主流のハリウッド映画は、最終的に全体の質問の答えにつながるように整理された一連の局所的な質問によって構成されることが多い(たとえば「このカーチェイスで犯罪者たちは警官から逃げることができるだろうか」)。このような小さな質問に対する答によって、映画全体の質問の答えに観客は近づく(たとえば「カップルは幸せな再会を果たすだろうか」)。この古典的な型に「ジョイ・ラック・クラブ」をはめ込む必要はないが、この映画が全体的な質問ではなく、局所的な質問を強調するようになっていることを観客は知る必要がある。

(ただ今、夜9時半。眠い。もう少しがんばろう。)

「ジョイ・ラック・クラブ」で最も気がかりな質問は、個々の話の内部で提示される質問である。ウェバリーとリッチ、レナとハロルド、ローズとテッドは各々一緒になるのだろうか。リンドと少年との結婚はどうなるのだろう。アン・メイの母親は彼女を見捨てるのだろうか。これらの質問は、ジューン、スーユアン、双子の姉たちに対する断続的で変化のない注目と反対に、感情的に最も集中した物語上の焦点を与えられているので、最も気がかりなのである。観客は映画の進行に対して全体的な見解を組み立てるかもしれないし、そうするように映画自体が形式的な励ましを行っている(初めのほうのカメラの動き、回想を結びつける短い会話による合図)。しかし、映画は
話から話へとよろめきながら進み、そうした移行に対する心構えを観客に整わせる感情の合図がほとんどない。「ジョイ・ラック・クラブ」が局所的な話、質問、回想で構成されているという単純な事実が必ずしも映画の感情への訴えを損なわせてはいないが、この構成を選ぶことで、感情を整理するための映画の強力な工夫の一つを放棄している。この映画の感情に関する作業は、回想による構成のために、より困難になっており、かなりの感情の作業を観客に任せている。

(続く。10時近くなったので、ダウンタウン司会の番組を見ながら寝ることにします。それにしても初日で100万枚売るフラゲっていったいなんだ!スマイレージを増やそうとしたからサキチィーが辞めたのか、サキチィーが辞めるから増やそうとしたのか?ベリーズ工房のアルバムを買ったら全曲同じ人が作っていてウンザリ。メンバーをあれこれ入れ替えるよりも曲作りスタッフを豊かにしようという気はないのか!)

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2011年8月24日 (水)

キートンのサイレント長編集 (7): 「キートンのゴー・ウェスト!」

YouTube で見ることができますが、YouTubeに登録していない人は見ることができないのかな。

キートン・プロダクションズでの長編6作目で、原題は "Go West"。アメリカでは前作「セブン・チャンス」から半年後の1925年11月に公開。日本では「キートンの西部成金」という邦題で1927年4月公開。児玉数夫さんの「キートン!キートン!!キートン!!!」(ブロンズ社、1980)によると、1938年に東洋シネマで見たときは「当り屋キートン」という邦題だったようです。1970年代の日本でのキートンのリバイバル・シリーズは不入りのためか、10本上映されるはずだったものが7本しか上映されず、この作品は上映されませんでした。でも、1979年6月に新宿アートビレッジで見ているので、正式にはリバイバルされなかったものの、古い16ミリフィルムがレンタルされていたのでしょうかね。

そのときもあまり面白くなかったのですが、あらためて英盤DVDを見ても面白くない。孤独なキートンが西部へ行って牧童になるが、へまばかりで、同じくへまな牛ブラウン・アイズと仲良くなる。ブラウン・アイズが他の何百頭もの牛とともに売られることになったので、キートンは一緒に列車に乗ってついていく。途中列車強盗に襲われて、牛の群れは自由になり、ロサンゼルスの街に押し寄せる。

キートンには珍しくチャップリン風のペーソスが漂います。ただ、チャップリンと孤児という組み合わせではなく、キートンと牛というのがシュールといえばシュール。キートンが孤独な人間であるということを前面に出さなくても、これ以前の作品で奮闘するキートンに孤高さを感じていたので、なにかキートンの作品が自意識を持ったような感じがします。笑わないことで有名なキートンが銃を突きつけられて「笑え」と迫られるシーンにもそれを感じます。

牛の群れが街を練り歩くのがクライマックスですが、視覚的にさほど大勢いるような感じがしないし、牛の歩みがのろいし、印象に残るギャグがないしで、「セブン・チャンス」や「蒸気船」のようなダイナミックさを感じません。David Robinson の "Buster Keaton" によると、キートンはもっと歩みを速めたかったんだけど、本当に暴走したら大変なのでそれができなかったとか。

理由は知りませんが、短編時代から脚本やギャグを担当していたチーム、クライド・ブラックマン、ジャン・ハベッツ、ジョセフ・ミッチェルがこの作品から抜けてしまいます。クライド・ブラックマンは「キートンの大列車追跡」(1926)で共同監督として戻ってきます。その後、彼はロイド映画などを監督しますが、1955年にピストル自殺します。キートンから借りたピストルで。

  1. キートンの恋愛三代記 Three Ages (1923) ★★★★★
  2. 荒武者キートン Our Hospitality (1923) ★★★★★
  3. キートンの探偵学入門 Sherlock Jr. (1924) ★★★★★
  4. 海底王キートン The Navigator (1924) ★★★★★
  5. セブン・チャンス Seven Chances (1925) ★★★★★
  6. キートンのゴー・ウェスト! Go West (1925) ★★

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2011年8月23日 (火)

映画構造と感情システム (51)

ジューンの説明的なナレーションによって登場人物間の基本的な関係が観客に伝えられ、マージャンでの会話によって主要問題の一つが提示される。母親たちは、娘たちが中国の伝統を知らないし、尊敬していないことを心配している。ここでは、映画が始まってから観客が期待するよう導かれているように、合図が密度の濃い言葉によって伝えられており、明確な感情の合図はほとんどない。観客は、最初の寓話と中国の伝統についての議論によって、過去が重要となり、たぶん漠然とした郷愁の気持ちを求めているのだろうということに気づく。だが、パーティーの場面の最初のカメラの動きのように、最初、映画は感情から遠ざかっており、感情に対して特定の態度をとっていない。

最初の回想で、はっきりした感情の合図が初めて出てくる。ジューンは、ナレーションと過去を描いた映像を通じて、子供の頃のピアノ演奏会での失敗を語る。彼女の母親スーユアンは、親友でライバルのリンドと子供の自慢合戦をしていたので、ジューンの屈辱はさらにひどいものとなる。リンドは、娘ウェバリーのチェスの才能を自慢しており、スーユアンはジューンの音楽能力を自慢することで対抗していた。回想の最初から観客は真実を知る。ジューンは、ドボルザークの「ユーモレスク」を台なしにする下手なピアニストだという真実を。

ひどい困惑のシーンが用意される。スーユアンが自慢するので、観客はピアノ演奏会での屈辱を予期する。ジューンが最初は上手に弾き、それから自滅するとき、母親たちと娘たちのショットを挿入することによって、登場人物たちの心理的な動きを強調する。各登場人物のショットを挿入することで、各々の感情の状態を知ることができる。ジューンとスーユアンは屈辱感が高まり、ウェバリーとリンドは自己満足的な勝利感を得る。このシーンは古典的な構成によって屈辱を展開しており、中心人物ジューンの困惑を感じるよう観客に仕向けている。

この回想の終わり近く、映画全体にわたる筋の関心事が初めて言及される。中国でスーユアンが双子の赤ちゃんを死なせざるをえなかったことを観客は聞く。回想から現代に戻ると、観客は双子の子供が生きていることを知り、パーティはジューンが双子の姉たちに会いに中国へ行くための送別会だということを知る。次に、叔母たちが母親スーユアンの死亡を双子に知らせていないことを観客は知る。この一連の情報は、映画を構成するより大きな筋の疑問を提起するために必要である。ジューンは、母親の死亡を双子の姉たちに知らせる役目を叔母たちが彼女に負わせていることに気づくだろうか。双子の姉たちが母親の死亡を知ったら、どういう反応をするのだろうか。

この時点までに、「ジョイ・ラック・クラブ」は、うまく構成された感情的シークエンス(困惑を喚起させる)を観客に提供しており、映画が最後に答えるであろう映画全体の疑問を提示している。ここまで、映画の合図は、古典的な物語の慣行の基準内に十分収まっている。難しくなってくるのは、古典的な映画がほとんどやらないことをこの脚色作品が行い始めてからである。異なった複数の話を連続して語り始めるのである。

もちろん、各々の話を語るために集まる "Dead of Night" のようなオムニバス映画はある。登場人物たちは応接間に集まって、怖い話を語る。ある話が終わると、応接間に戻って、いくらか会話が交わされ、次の話が始まる。恐怖心への一貫した訴えと映画全体の構造によって全部の話がまとめられる。しかし、「ジョイ・ラック・クラブ」は、より挑戦的な物語構造を試みている。

観客がジューンの回想から戻り、新たに見つかった双子の姉たちについて知ると、観客はジューンから離れ、リンドの話を聞くことになる。この話は、ジューンの主たる関心事(ジューンの母親が置き去りにした双子の赤ちゃん)とはまったく関係ないわけではないが、直接関係してもいない。リンドのナレーションが始まると、その前の話とこれから語られる話のつながりがあきらかになる。リンドは、「なぜスーユアンは赤ちゃんを置き去りにすることができたのだろう?なぜ私の母は私を捨てることができたのだろう?」と熟考する。このナレーションは、新たな話と語り手への移行を示し、スーユアンの状況とリンドの母親の状況との比較を設定して、移行をなめらかにするのを助けるはずの一貫性を提供する。

しかし、二つの話の関係はテーマに関するもので、直線的なものではない。両者とも過去に起こった喪失と不可能に思える母親の選択を扱っている。だが、リンドの話は、スーユアンが双子の赤ちゃんを置き去りにしたことに関する中心の筋の疑問に関する知識を広げてくれない。どのような状況によって愛情深い母親が子供を捨てることができるのかに関する理解を深めさせてくれる程度だ。何がスーユアンに赤ちゃんを捨てさせたのかに関して観客が理解することを手助けすることは何も行っていない。ジューンの話によって生まれた好奇心は、その直後に提示された話の間中、見捨てられる。

(続く)

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1978年8月第3週に見た映画

8月21日(月) 最後の顔役 (テレビ) 2点 
8月22日(火) まっぴら社員遊侠伝 (テレビ) 1点
8月23日(水) 緋ぼたん浪人 (テレビ) 3点
8月24日(木) 男なら夢を見ろ (テレビ) 3点
8月27日(日) オペラハット (NHK教育) 5点

B級というよりZ級じゃないのかと思えるような題名の作品が含まれています。たぶん夜中じゃなくて午前中か昼間に放映されたんじゃないかと思います。この頃、東京ならテレビ朝日が午前10時ごろから60年代の日本映画を毎日放映していましたが、このときは広島に帰っていました。

「最後の顔役」はまだまともな題名で、私の記録によると、1963年の日本映画で、佐々木康監督、村尾昭脚本、片岡千恵蔵、高倉健、梅宮辰夫出演です。脚本家の村尾昭氏は、「日本侠客伝」「昭和残狭伝」「網走番外地」シリーズなど1960年代半ばから1970年代半ばまで東映のヤクザ映画の脚本を数多く書き、その後テレビの必殺シリーズを手掛けた人で、2008年に亡くなられています。佐々木康監督は1930年ごろから松竹でメロドラマや歌謡映画を作り、1952年に東映に移籍して東映時代劇の黄金時代を支えた監督。1964年の「忍び大名」というのが最後の映画作品で、その後テレビの時代劇に移られたようです。だから、「最後の顔役」は映画監督時代の末期の作品。goo のあらすじはこちら

「まっぴら社員遊侠伝」は、1968年の日本映画で、長谷部利朗監督、牧伸二、なべおさみ、立川談志出演と記録しています。松竹映画です。ウクレレ漫談の牧伸二は小学校の頃の日曜の昼飯時にバラエティショーの司会をしていて、いつも見ていたので、1968年ごろは人気があったのでしょう。長谷部利朗という監督は因島市生まれ(因島市は尾道市に合併されました)。松竹でこの作品と「昭和元禄ハレンチ節」「極道社員遊侠伝」を監督したあと、監督の機会をえられずに助監督を続けているって1976年のキネマ旬報の「日本映画監督全集」に書いてあります。goo のあらすじはこちら。藤本義一氏が脚本を書いたようです。ほかの出演者も面白そう。ジェリー藤尾、曾我廼家明蝶、藤村有弘、石井均、真理アンヌ、シリア・ポール、由利徹、清川虹子、姫ゆり子、春川ますみ、久里千春、財津一郎、コント55号。今なら、この人たちを見ているだけで退屈しそうにない気がするのだけど。

「緋ぼたん浪人」は、藤純子の「緋牡丹博徒」のパロディかと思いきや、記録によると1960年の作品で、内出好吉監督、高田浩吉、花園ひろみ主演です。花園ひろみは山城新伍と1965年に結婚した人で、この1978年ごろはテレビの司会者として人気だった山城が、よく浮気するのでいつも奥さんに叱られるというようなことをネタにしていたので、それで花園ひろみを知ったような気がします。その後、二人は離婚して、再婚して、また離婚。山城さんは二年前に亡くなったのですね。まだ70歳だったのか。山城新伍が出演しているわけでもないので、話が脱線してしまいました。鳳八千代という女優さんも出ています。gooのあらすじはこちら。高田浩吉はずっと東映で時代劇をやっていた人かと思ったら、松竹の時代劇俳優で、この1960年に移籍してきたんですね。東映は1964年あたりから任侠路線に移行するので、高田浩吉が東映の時代劇に出たのは4年ほど。でも年平均10本ほど出ているので作品数は多い。彼が松竹にいた1955年に「白鷺三味線」という映画に出ていて、その主題歌のあまりの思想のなさにタモリが深夜放送で絶賛してました。1980年代のことだったでしょうか。前述の佐々木康監督同様、この作品の内出好吉監督も東映の時代劇量産のために松竹から1955年に引き抜かれてきた人。十年後に東映が任侠路線に移行したので、テレビの時代劇を作るようになったというのも佐々木監督と同じ。こういう日本の娯楽映画史を手際よく描いている本ってないのかな?

「男なら夢を見ろ」は、石原裕次郎、葉山良二、芦川いづみ主演の1959年の作品。監督は牛原陽一。葉山と石原は戦争孤児だったが、葉山は刑事に育てられて検察官になり、石原はヤクザとなる。刑事の娘芦川は葉山とお似合いのカップルだが、石原のやさしさに引かれる。石原はヤクザであることを自覚し、二人のために自分を犠牲にする。芦川いづみ様は葉山良二と共演した恋愛ものも多く、二人のロマンスが噂になったこともあるらしい。その点で面白い配役。ただ、私は現代的に見えない葉山良二が好みじゃないので、この映画の中では石原裕次郎と一緒になってほしかった。この一ヵ月前に見た「あした晴れるか」で終始メガネをかけたコメディエンヌの芦川様が気になっていて、この作品での清純派ぶりにグラッときちゃったように記憶しています。再見したい。

フランク・キャプラ監督、ゲイリー・クーパー、ジーン・アーサー主演の「オペラハット」(Mr. Deeds Goes To Town, 1936) はとても面白かったです。時間がなくなったので、詳しいことは別の機会に。

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2011年8月22日 (月)

映画構造と感情システム (50)

昨日書いたように、さっそく本日「紅はこべ」を買いました。バロネス・オルツィ原作ですが、そうか、バロネスというのは男爵夫人のことで、女性が書いたものなんですね。それにしても、創元推理文庫は、外装こそ違え、中味は40年前と変わらない。

Greg M. Smith の "Film Structure and Emotion System" (Cambridge University Press, 2003) を読んでいます。本日からは第8章「感情作品:「ジョイ・ラック・クラブ」と感情システムの限界」(Emotion Work: The Joy Luck Club and the Limits of the Emotion System)。

私は米盤DVDを購入しましたが、わりと安い日本盤も出ているようです。中心の女性の亡くなった母について最後に語られるエピソードが強烈で、泣いてしまいました。その印象が強すぎて、それ以前に他の登場人物が語るエピソードを忘れてしまうほどです。

「気分と合図の研究法 mood-cue approach」は、一貫した感情の調子を持続させようとしている映画に味方しているように思える。「ピクニック」が証明しているように、映画監督は、調子の変化を期待させる合図を観客に送ることによって効果的に調子を移行させることができる。しかし、そのような移行を操作するのは難しい。感情システムの連続性を利用するほうが簡単に思える。いったん気分を確立すると、調和した感情の合図を着実に送り続けるだけで、うまくいくように思える。

でも、映画作家は単純に合図を送り続けることができるのだろうか。短い感情と長く続く気分が互いを支えあうためにどのように相互作用を行うかを考察してきたが、この一貫性を持続させる観客の能力に限度はないのだろうか。映画の感情への訴えは、時間の経過とともに感情を喚起しすぎることによって消耗することはないのだろうか。「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の観客は、「レイダース:失われたアーク」と同じ密度の合図を期待することはできない。だが、密度の濃い感情の合図を送ってくれる映画の好きな観客でさえ、基本的な感情システムを頼りにしているし、どのシステムでもそうだが、その感情システムには限界がある。映画作家が一貫した気分を持続させるには、感情の合図を送るペースを適切なものにしなければならない。間隔を開けすぎると、観客の感情を失う危険がある。感情の合図に一貫性があっても、でたらめに積み上げると、観客が圧倒されてしまう危険がある。

人によって感情システムが異なることから考えると、ある映画がすべての観客を疲れさせると言うことは不可能に近い。しかし、熱狂的なファンでない限り、ほとんどの観客に対して特定の映画が全体にわたって感情への訴えを持続させることがいかに難しいかを論じることはできる。合図の構成とペースに注意を向けることで、ある映画がどのように一貫した調子を保ちながら感情システムの限界を試しているかを考察することができる。

ウェイン・ワンの「ジョイ・ラック・クラブ」(1993)が労作だということは認めざるをえない。エイミ・タンの複雑にからまった小説を脚色して、主流の映画に仕上げている。古典的なハリウッド映画の語り口は個人主義的で、個々の主人公の話にする傾向がある。登場人物は主人公と脇役に区分される。数人の主人公を均等の重要さで描くことはまれである。タンの原作を完全に脚色するために、ワンは4組の母と娘の話を語らなければならなかったし、各登場人物は自分の声で自分の要約した話を提示している。「ジョイ・ラック・クラブ」は8つの回想から構成され、各登場人物がナレーターを務めている。全体の枠組となっている話は現在形である。そうするために古典的な語り口を使用することは不可能な作業ではないが、難しい作業ではある。

開巻からワンは小説が原作であることをあからさまに示している。一人の語り手の声にフルートがかぶさり、ある寓話を語る。すぐに観客は、この映画における言葉の重要性に順応する。導入部は、語られている話と語り手の声に観客は注意を向けるべきだと告げている。タイトルクレジットのあと、混雑したパーティのシーンとなる。カメラは最初、通路の遠くにいる人々をとらえている。カメラはゆっくり移動し、中国語で会話を交わしているビジネスマンやテレビでフットボールを見ている人たちを通り過ぎる。誰が中心人物かわからないかのように動き回っているが、そのうちジューンを追い始める。カメラは、マージャンをしている場所まで彼女を追っているとき、古典的な語り口で育った観客に、ここでの中心人物はジューンであることを告げている。だが、中国系アメリカ人の母たちと娘たちがペアになって写真を撮ってもらうとき、カメラはジューンから離れ、ある人物から別の人物へと移動し、母と娘のペア各々の会話を前面に出す。

通常の編集ではなくカメラの移動を使用することで、観客が映画を通じて取るべき軌道をカメラによって具体的に描いている。観客は、各女性が映画の語りを短い間支配することを許可するよう求められ、その後、次の語り手に興味を移さなければならない。観客はジューンの話に最も強く注意を払わなければならないが、他の登場人物各々にも順番に注意を払うよう準備しなければならない。映画は、最初のいくつかのシーンで洗練された形式上のひな型を提示しているが、その後、この道筋をたどるよう観客の感情を鼓舞しなければならない。

(続く)

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2011年8月21日 (日)

日曜はトリュフォーだ!: 「まとめ 1975-1984」(その1)

いよいよ「トリュフォーの映画術」(水声社、2006)の最後の第30章「まとめIII 1975年-1984年」。1979年に英国のサイト・アンド・サウンド誌のために行ったインタビューのようです。トリュフォーの本を書いたことのあるドン・アレンがインタビュアーで、"Truffaut: Twenty Years After" という題名からすると、デビューから20年たったトリュフォーの今って感じでしょうか。ヌーベルバーグから20周年ということもあって、ヌーベルバーグの話題が最初に出てきます。「年齢とともに美しさを増している仲間はごくわずかです。」

インテリは、インテリのための知的な映画を好まず、単純で面白い映画を好む。ピエール・カストは「高度の文学的教養をもつ監督で、彼の書く台詞はじつによく構成されているて驚くほど説得力があります。そして彼のつくる映画はインテリについてのものばかりです。それでいながら彼の映画は同じインテリ仲間からは敬遠されるのです。」

世界中の最近の映画が抱えている問題は、高い野心を実現するだけの技術を持っていないということ。50年代以前のハリウッドには素朴な印象を与えるけれど、実際には非常に知的に作られた映画があって、ハワード・ホークスの「果てしなき蒼空」(1952)、「赤い河」(1948)、「空軍」(1943)を例に挙げています。

トリュフォーに映画の退廃を感じさせたのは1962年の007の一作目「ドクター・ノオ」で、「他の映画を貶めるだけの」パロディだからです。007はヒッチコックの「北北西に進路を取れ」(1959)の盗作のようなもので、007の大ヒットのおかげでヒッチコックは低予算での映画作りを余儀なくされたと語っています。「映画とは物語を語るものであり、観客はその物語を信じたいと思っていた」のに、007はそういう物語の伝統を茶化す流行を作ったと言うのです。007シリーズの二作目と三作目「ロシアより愛をこめて」と「ゴールドフィンガー」が好きな私としては少々複雑。「ドクター・ノオ」は見たことがないです。

パニック映画は嫌いじゃないようです。というのも、映画の起源に回帰したものだから。アトラクションとしての映画という意味でしょうか。そうすると007との違いがよくわからなくなってきますが、まあ、トリュフォーの私的な意見ですから。もともとヒッチコックがアメリカに渡ったのは「タイタニック」を撮るためだったと言っています。結局「レベッカ」を撮ることになるのですが。インタビューのあとのほうで、英会話は苦手だけど、英語の本を読めるようになったとき、とてもうれしくて、最初にセルズニックの覚書を読んで、実に素晴らしかったと言っているので、その中にそんなことが書いてあったのかなと推測します。

「あの大胆なテーマを扱った「紅はこべ」(H・M・ヤング監督、1934年)のリメイクにしても(「怪傑紅はこべ」、M・パウエル/E・プレスバーガー監督、1950年)、もう少しエロチックで性的にも説得力のある工夫が加えられたなら、じつにリアルでいい映画になりうると思うのです。」これらの映画を見たいとは思いませんが、原作を読みたくなりました。バロネス・オルツィが書いた小説で、1905年にイギリスで出版。創元推理文庫から出ているようなので、あした本屋さんで探してみよう。オルツィは「隅の老人」シリーズを書いた人なんですね。中学や高校の頃は推理小説ばかり読んでいたから懐かしい。

(第30章続く)

30数年前に購入した Don Allen の "Truffaut" (シネマワン・シリーズ24)

Truffautallen

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2011年8月20日 (土)

映画構造と感情システム (49)

批評家たちが「どん底」の最初の36分を「ほぼ純粋なルノワール」と評し、暗い安宿の場面を「ゴーリキーの劇がルノワールの映画を邪魔している」と主張しているのは不思議ではない。ほとんどの者は、この感情の移行を、ルノワールの世界観とゴーリキーの原作の悲観主義との緊張関係が原因だとしている。

アレキサンダー・セソンスクによると、「どん底」が1930年代のルノワール作品で最もむらのある映画なのは、「災難だけでなく変化や希望の可能性もあるルノワールの開かれた世界がゴーリキーの「どん底」の閉鎖的で絶望的な世界に不自然に押し付けられている」からである。(Alexander Sesonske, "Jean Renoir: The French Films, 1924-1939," Harvard University Press, 1980)

最初の36分を「ルノワールのもの」と呼び、次の場面を「ゴーリキーのもの」として、感情の移行を、暗い原作を脚色した概して楽観的な映画作家の問題に帰するのはたやすい。

これは、芸術家が作品のために使用した素材にとって明確に関連した外因を示すことで、「ピクニック」の魅力を「印象主義的な」特徴に帰するという批評家のやり方を思い起こさせる。この外面的な比較は、なぜ観客が「抒情性」を感じるかを説明することもできるが、映画の欠陥に関して非難すべき都合のよい隠れみのをもたらすこともできる。どちらの説明も直観的な適合感覚があるが、どの点で、ある映画の感情への訴えが念入りに仕上げられており、別の映画はそうではないのかに関する具体的な手引きを提供してはくれない。こうした事後の説明は、ルノワールとゴーリキーは違いすぎるが息子のルノワールは父のルノワールはそうではないという人格の厳格な一貫性に根ざし過ぎている。

ここでの分析において強調したのは、映画が以後の主たる感情の移行を合図する方法の違いと、ジャンルの要素を階層的に構成する方法の違いである。ルノワールが使用している方法が、いくつかの感情の方向を単一の映画に統合するために使用できる唯一の方法だとは提唱していない。この事例研究では、感情の慣性によってもたらされる問題に一人の映画作家が取り組む二つの方法を調べた。この章が論証しているのは、イメージの外因(印象主義派の影響やゴーリキーの作家主義的な構成)との漠然とした直観的な関連よりも感情の慣性という概念のほうが映画の感情への訴えに関してより具体的な洞察をもたらすことができるということである。

この章のもう一つの目的は、どのように映画的感情が時間とともに変化するのかを説明するための必要条件をどのように「気分と合図の研究法」が満たすことができるのかを示すことだった。次の章では、感情の慣性の限界を探り、どのように映画の感情への訴えが時間の経過の中で一貫したまま、感情システムの能力を使い尽くすことができるかを調べる。

(第7章「抒情性と、むらの多さ」終わりです。次回からは第8章「感情作品:「ジョイ・ラック・クラブ」と感情システムの限界」(Emotion Work: The Joy Luck Club and the Limits of the Emotion System) です。「感情作品」ではなく「感情の作用」かもしれませんが、読んでいくうちにわかると思います。)

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夜明けの英国音楽 (6)

すっかりご無沙汰してしまった「21世紀のRTを聴く」企画(RTはリチャード・トンプソン Richard Thompson)。1969年に中1だった私は、その秋に出たビートルズの「アビーロード」を、広島市内で看護婦として働いていた10歳年上の姉が帰って来るときにおみやげとして買ってもらい、あっという間に全体の構成や曲目をおぼえ、今でも、「カム・トゥゲザー」「サムシング」「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」「オー・ダーリン」「オクトパセス・ガーデン」とスラスラと思い出すことができます。でも、最近購入したCDは曲目さえもわからない。というわけで、せめて自分の一番好きなミュージシャンのアルバムだけでも全体を把握しようじゃないかと始めた企画です。

これまで書いてきことは私のウェブサイトでまとめて読むことができます

で、本日は2003年のアルバム The Old Kit Bag の第2章の3曲目 "Pearly Jim"。このアルバムはLPのA面B面のように2章に分かれているので、おぼえやすいです。前にも書きましたが、人がおぼえやすいのは7プラスマイナス2(すなわち5から9)の項目だと研究した人がいて、その点では2面に別れたLPはおぼえやすいが、10数曲ずらっと並んだCDだとおぼえにくい。

7月16日の「夜明けの英国音楽」第1回目に少し書いています。

こちらで聴くことができます。正直歌詞は全然理解できません。ハードでゴツゴツしたギターのリフで始まり、そのリフと同じ旋律で歌が入り、途中から親しみやすいメロディに変わります。全体的にはゴツゴツした部分が印象的。同年の自主製作アルバム Ducknapped! でテンポを少し速くしたライブ演奏を聴くことができます。」

本日は歌詞を読んでいこうと思います。といっても、あと30分しか時間がないので、途中で終わって、来週まわしになりそうです。

最初の部分

My screenplay's on the block
My Tuscan villa's in hock
To Mister Pearly Jim
My wife and kids have scrammed
They say my phone is jammed
By Mister Pearly Jim

「私の脚本は競売にかけられている」と始まるので、ハリウッドの脚本家が主人公か。2行目「トスカーナの別荘はパーリー・ジム氏の借金のかたにとられている」と合わせて考えると、主人公はまあまあ売れている脚本家だが、パーリー・ジム氏の策略か何かで困窮しているらしい。ハリウッドの暴露映画でありそうな設定。ジム氏は「真珠で飾られたような」キラキラした人物なんだろうけど、何か胡散臭さを感じてしまいます。おかげで妻と子供に逃げられてしまう。彼らは、ジム氏のせいで電話が通じないと言う。主人公とジム氏は、何らかのことで、しょっちゅう電話で話しているらしい。

5時です。あっという間に散歩に出かける準備をしなければならない時間となりました。これだけでは物足りないので、最後に一発。アシュリー・ハッチングスとジョン・カークパトリックを中心とした1973年のアルバム Morris On のメドレーをわりと最近演奏したもの。ベースのハッチングス以外のメンバーはわかりません。

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2011年8月19日 (金)

映画構造と感情システム (48)

(emotional orientation を「感情の方向性」と訳していましたが、「方向性」という言葉がよくわからなくなってきたので、「感情の方向」にします。)

「ピクニック」と異なり、「どん底」は、移行に対する心構えを観客が整えるのを手助けする合図をほとんど送らない。ペペルの留置所から安宿への移行は、音楽のおかげで、いくらかなめらかである。ペペルが釈放されるときに流れるロマンチックなオーケストラ音楽が消えると、ペペルが安宿に向かって歩いているときに虚構世界内の手回しオルガンの音が聞こえ、安宿でトランプをしている住人たちが歌っている。住人たちが紹介される安宿のシーンでは虚構世界外からの音楽は流れない。豪華なオーケストラ音楽から荒削りな歌や手回しオルガンへと徐々に移行することによって、観客は、ある物語の場から別の場へと移行することが容易になる。

しかし、この例で、ルノワールは、場所の移行以上のことを観客に要求している。住人の希望なき人生を紹介する場面の連続は、作品に対する感情の方向を修正するよう観客に求めるが、単純な音楽の変化だけでは、この移行の心構えを観客に整えさせるには不十分である。感情の慣性のために感情の方向を変えるには時間がかかるのだが、「どん底」はそうするのに十分な時間を与えてくれない(「ピクニック」では嵐のシークエンスによって十分な時間が与えられていた)。映画が絶望へと方向を変えることを観客に知らせる合図は十分でない。

他のルノワール作品のように、「どん底」は過度にコミカルだったりメロドラマチックだったりするエピソードが含まれている。「ピクニック」でオリバー・ハーディを思わせる無能な夫を演じたガブリエロが「どん底」では無能な求婚者を演じている。彼は巡査で、家主の妻ワシリーサの妹ナターシャに求婚しているが、ナターシャはペペルと恋に落ちる。彼はうぬぼれが強すぎるために、再びオリバー・ハーディのような結末に至る。ナターシャが彼と一緒にいるのを見て怒ったペペルは彼を殴る。彼の最後の登場場面では、彼はナターシャを避けており、額に大きな絆創膏を貼って、できる限りの威厳を保とうとしている。

ガブリエロが演じているのは「ピクニック」での無能なおしゃべり男の変形である。彼の役割は、映画を支配する混乱し絶望した感情の方向に下品な喜劇を投げ込むことである。「ピクニック」同様、「どん底」の下品な喜劇は中心の筋から離れており、一人の脇役に限られている。ルノワールは、主人公たちの展開に持続的な影響を与えない短く時折の登場に彼を限定することで、感情の方向の明確な上下関係を保ちつつ、ジャンルの混合を試みている。

コミカルな要素だけが「どん底」でジャンルとして使用されているわけではない。犠牲的な愛というメロドラマ風の物語に夢中になっている人物も登場する。安宿の住人たちはナースチャが「破滅の愛」という小説に没頭しているのをからかう。ナースチャが、若いカップルが愛の名のもとに高貴な犠牲を払うという小説の筋をナターシャに話していると、他の住人たちが皮肉や笑いでしばしば彼女の邪魔をする。彼らのコメントは、張りつめた物語の中の物語を皮肉という枠で区切る。世間に鍛えられた安宿の住人たちの皮肉は、メロドラマ風の内容を限定的なものにする視点を観客に与える。ナースチャが若く、理想的で、悲劇的な愛の話を語っても、それは皮肉なコメントで縁どられているので、映画全体の感情の方向をくつがえすおそれはない。

「どん底」の移行すべてが映画の「むら」に同等な責任を持つわけではない。喜劇とメロドラマの要素を使用するというルノワールのやり方は「ピクニック」と同じである。「ピクニック」は、限定的で、短くて、時折の場面は、全体的な感情の方向を危険にさらすことなく、他の感情の瞬間をもたらすことができることを証明している。「どん底」でこうした工夫を使用することが問題なのは、陰鬱な安宿での長い部分が、それ以前に確立しようとしていた一貫性のある方向を脱線させてしまうことである。全体的な気分が確立されていないと、異なる感情の瞬間を行き来することが分離した散漫なものに見えてしまう。感情の方向の一貫性が安宿のシーンの絶望感によって邪魔されてしまうと、喜劇やメロドラマの瞬間が、一貫した全体の中の短い挿入というより、むらのある、常軌を逸した感情への訴えのように見えてしまう。アンドレ・バザンは、ルノワールに特徴的な「喜劇と悲劇の並置」をいつも賞賛しているが、「どん底」の「寄席と悲劇との間のウソくさいかくれんぼ」を非難している。「ウソくささ」というのは、感情の移行に対して観客に心構えをさせることなく感情を並置した結果による予測不可能性である。

(続く)

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フィルムノワール入門 (19)

Andrew Spicer の "Film Noir" (Longman, 2002) を読んでいます。

【フィルムノワールの衰退】

フィルムノワールの衰退は1952年から。原因は、創造力の消耗、予算削減、大会社がテレビに対抗してワイドスクリーンで壮大な叙事詩を描くことに力を入れたこと。(I. Belton, "Widescreen Cinema," Harvard University Press, 1992)

1950年代半ばまでに、フィルムノワールのほとんどは、小さな会社か、RKO、コロンビア、ユニバーサル、ユナイテッドアーティスツという費用にうるさい大会社が製作するB級映画となっていた。(A. Lyons, "Death on the Cheap: The Lost B Movies of Film Noir," Da Capo, 2000)

しかし、B級映画の流行は若者向けのSFやホラーだった。(T. Doherty, "Teeanagers and Teenpics: The Juvenilization of American Movies in the 1950s," Unwin Hyman, 1988)

1957年の調査では、観客の72.2%は30歳以下で、彼らの好みは10代向け映画だった。低予算の映画製作はテレビ製作に取って代わられたので、B級映画は1960年までに完全に消滅した。コントラストの弱いテレビは、強い明暗の対比が特徴のフィルムノワールにとって不利だった。(P. Kerr, "Out of What Past? Notes on the B Film Noir" in Film Noir Reader, 1996)

だが、崩壊状態にあるジャンルでは、しばしば興味深い作品が生み出される。ロバート・アルドッチの「キッスで殺せ」(Kiss Me Deadly, 1955) とオーソン・ウェルズの「黒い罠」 (Touch of Evil, 1958) は、評価が高く、広く議論されているフィルムノワールである。

大会社はますます高級映画に専念しつつあったので、中級映画は経済的に重要でなくなり、その結果、かつてはB級映画のみが享受していた、重役たちの介入がない創造的な場が拡大した。「拾った女」 (Pickup on South Street, 1953) から「裸のキッス」 (The Naked Kiss, 1964) まで一連の革新的なフィルムノワールを作ったサミュエル・フラーのような新進監督によって、このジャンルは魅力を保った。

「非情の罠」 (Killer's Kiss, 1955) のスタンリー・キューブリックや "The Burglar" (1957) のポール・ウエンドコスは、フィルムノワールを野心的な演出による低予算映画を作る機会だと見ており、前衛的な技法を主流映画に盛り込んだ。「非情の罠」はキューブリック脚本・製作・監督で、無名の俳優ばかりだし、上映時間はたった67分で、7万5千ドルという低予算だった。(J. Howard, "The Stanley Kubrick Companion," Batsford, 1999)

キューブリックは、こうした制約によって、創造的な実験を行うことに駆り立てられた。フラッシュバックは意図的に鈍感だし、表現主義的な照明がシュールな悪夢のシークエンスと混ざり合っている。群衆シーンでの隠しカメラによるドキュメンタリー風の撮影が、黒を背景にしてバレーダンサーが練習している映像にナイトクラブのダンサーによるナレーションがかぶさる非常に抽象的なシークエンスと対比をなす。しかし、こうした試みは、革新的な試みを支持する観客には届かなかった。前衛的な映画製作としてのフィルムノワールを持続させるほど十分には芸術志向の高い映画館が発達していなかったからである。(B. Wilinsky, "Sure Seaters: The Emergence of Art House Cinama," University of Minnesota Press, 2001)

(「非情の罠」は未見なので訳がおかしいかもしれません。クライテリオンから2枚組DVD「現金に体を張れ」 (The Killing, 1956) が発売されたばかりで、その中に収録されています。来月末にクライテリオンからビクトル・シェストレムの「霊魂の不滅」が出るので、それと一緒に注文するつもりなので、見るのはもう少し先になります。)

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2011年8月18日 (木)

映画構造と感情システム (47)

「どん底」の初めの部分は、男爵の困惑に対して、ペペルの安宿でのわびしい生活が交互に登場する。安宿では、ケンカは生きるか死ぬかの問題であり、気晴らしでやっているのではない。ルノワールは、ジャンルの最小台本を通じて観客の期待を活発にしながら、今後起こりうる危機に対して観客に心構えをさせる。不倫相手のペペルから相手にされなくなったワリシーサは、自分を捨てたら監獄に送ってやるとペペルをおどし、ペペルも監獄送りの強迫でやり返す。妻ワリシーサがペペルといるのをコスチレフが見つけると、ケンカが始まり、ペペルはコスチレフを絞め殺しそうになる。安宿に住む人々は男爵の貴族的な困惑のぜいたくさを楽しむ余裕がない。彼らは、犯罪、裏切り、すりきれた愛に巻き込まれている。

ペペルの物語と男爵の物語が一緒になると、初めて感情の方向性が確立される。その方向性は、ペペルの物語よりも、貴族の部分の皮肉な困惑のほうに似ている。泥棒に入ったペペルに男爵は驚くが、男爵が飲み物と食べ物を勧めるので今度はペペルが驚く。この異常な勧めをペペルが受けるべきかどうかを二人は議論し、男爵は、食べ物をとることは単に別種の盗みであり、泥棒の礼儀作法には違反しないと言って、ペペルを納得させる。さらに男爵は、いずれにせよ家財道具はすぐに没収されるので、家の中にあるもので欲しいものがあれば、何でも持っていってほしいとペペルに提案する。階級は違っても互いに似ている二人はトランプをしながら一晩中会話を交わす。

このシークエンスは、二つの主要な筋と二人の主人公が一つになる点で構造的に重要である。この物語上の重要性によって、泥棒の適切な行為に関して二人が議論する、この映画で最も際立ったウィットのある会話が強調される。ペペルは、男爵の物質的な環境に対する無関心さによって改心したように見えるし、映画は、この会話を通じて、虚構世界に対して「悲惨な状況を楽しむ」という方向性の是認を示している。

この複雑だが一貫した感情への訴えは、その後のシークエンスでも続く。男爵からもらった置物をかかえてペペルが街を歩いていると、窃盗の容疑で逮捕されてしまうが、彼は自分が無実だと知っているので、留置所でも楽天的な態度をとっている。男爵がやってきて、逮捕が間違いだと言うので、警官はやたらとあやまる。その間、男爵の所有物は没収される。男爵の従者との関係は最後まで尊厳と作法を保っており、いくぶんユーモアも感じられる。男爵が、礼儀正しく、未払いの給料を埋め合わせるほど十分にお金をくすねることができたかと従者にたずねると、従者は心配には及びませんと男爵を安心させる。その結果、困難な状況におけるひょうきんさが生まれる。これは、物語世界に対する典型的なルノワールの見方の一つである。

解放されたペペルが安宿に変えると、こうしたユーモアは突然消える。それまで二人の主人公を追っていた映画は、安宿の希望のない住人たちを紹介し始める。アル中の俳優が紹介されたあと、困窮した修繕屋が登場し、彼の仕事場が場所をとるので家主のコスチレフが家賃を上げると言う。住人たちは、「破滅の愛」という恋愛小説に夢中の理想家の若い女性ナースチャをからかっている。病気で死にそうなアンナと彼女の祖父ルカは、恐怖、死、苦痛について会話を交わしている。住人たちは、死ぬこと以外に安宿の貧困から抜け出すことができない。

これは、それまでの風俗喜劇からほど遠い。この変化は非常に際立っている。最も顕著なのは、二人の主人公が消えて、観客がほとんど知らない人物たちが登場することである。安宿の内部のカメラワークは、それ以前に特徴的だった長い移動撮影を避けている。視覚的にも、物語的にも、感情的にも、ペペルが帰ってからの安宿のシーンは根本的な変化を示している。上流階級と下層階級の並置は、「素晴らしき放浪者」の監督による映画であれば、驚くべきことではない。だが、二つの階層を単に対のものとして解釈する以上のことが観客に求められている。ルノワールは、困惑から絶望へと感情の方向性を変化させるよう観客に求めている。

(続く)

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2011年8月17日 (水)

キートンのサイレント長編集 (6):「キートンのセブン・チャンス」

YouTube で四つに分けてアップロードされています

キートン・プロダクションズの長編5作目で、1925年3月にアメリカで公開された。この年の11月には6作目「キートンのゴー・ウエスト!」も公開されています。1925年は、チャップリンが「黄金狂時代」を、ロイドが「ロイドの人気者」 (The Freshman) を作った年で、三大喜劇人の作品がそろった珍しい年。というのも、ロイドはキートンと同じぐらい20年代に長編を作っていますが、チャップリン監督主演の20年代の長編はほかに1928年の「チャップリンのサーカス」しかないからです(監督のみなら1923年の「巴里の女性」もありますが)。

1973年から日本で開始されたキートンのリバイバル・シリーズ「ハロー!キートン」で、短編「キートンの警官騒動」とともに最初に公開された作品です。私は高校1年だった10月10日の体育の日に福山ピカデリーという一般封切館で見ています。体育の日は今は第2月曜日となっているようですが、当時は10月10日に決まっていて、秋の中間試験の途中の水曜日だったので、うしろめたい気持ちで見に行ったのを憶えています。この頃から学校の成績が落ちる一方で、今思い返しても心苦しくなります。

このときの音楽は「ボルサリーノ」のクロード・ボーリンでしたが、最近購入した英盤DVDの音楽はロバート・イスラエルで、YouTubeにアップロードされているものと同じです。

この映画でのキートンは破産しかけている青年実業家で、前作の「海底王キートン」のようにバカ殿っぽくは登場せず、けっこうまとも。ただ、女性には弱く、彼女になかなか求婚できない。祖父が残した遺言には「27歳の誕生日の夕方7時までに結婚すれば財産を譲る」とあり、その日が誕生日なので、急いで彼女に求婚するが、それが誤解を呼び、彼女はご機嫌斜め。仕事のパートナーがせかすので、別の誰かと結婚しなければならず、その候補者としてリストにしたのが7人の女性で、彼女たちに次々に断られて、まわりから笑われるのが前半。

パートナーが新聞に花嫁募集の広告を出したものだから、何百人もの花嫁が教会に押しかけ、だまされたと思った彼女たちに追いかけられるのが後半。キートンはひたすら走る、走る。クライマックスは、なだらかな斜面を大きな岩石が大量に落ちてくる中をキートンが逃げまくるというもの。あきらかに岩石は張りぼてで、当たってもキートンが平気なのが、かえって可笑しい。シネマワン・シリーズのDavid Robinson 著 "Buster Keaton" によると、最初は岩石を3つしか使用していなかったのですが、試写会の観客が物足りなそうだったので、岩石を1,500に増やしたそうです。

キートンの意中の女性はルース・ドワイヤー Ruth Dwyer という女優さんが演じていますが、前作「海底王キートン」のキャサリン・マクガイアのように全編にわたってキートンとともに活躍するわけではなく、最初と最後に少し出てくるだけなので、特に興味を引きません。むしろ、若い頃のジーン・アーサーがチョイ役で出演しているということが話題になっていました。

もともとロイ・クーパー・メグルーという人が書いて、デビッド・ブラスコが演出した1916年のブロードウェイ劇です。キートンは原作をあまり気に入っていなかったらしいのですが、クライド・ブルックマン、ジャン・ハベッツ、ジョセフ・ミッチェルの脚色によってキートンもやる気になったようで、彼が単独で監督しています。オリジナリティあふれる後半部分は映画独自のものだと思います。

これまで見てきたキートンの長編。

  1. キートンの恋愛三代記 Three Ages (1923) ★★★★★
  2. 荒武者キートン Our Hospitality (1923) ★★★★★
  3. キートンの探偵学入門 Sherlock Jr. (1924) ★★★★★
  4. 海底王キートン The Navigator (1924) ★★★★★
  5. セブン・チャンス Seven Chances (1925) ★★★★★

John Bengtson の "Silent Echoes" から宣伝用の写真。

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2011年8月16日 (火)

1978年8月第2週に見た映画

8月14日(月) グライド・イン・ブルー (月曜ロードショー) 4点
8月20日(日) 最後の脱出 (テレビ) 3点

「グライド・イン・ブルー」は、ブラス・ロックのシカゴのプロデューサーとして有名だったジェイムズ・ウィリアム・ガルシオが監督した作品ということだけ強く記憶しています。オートバイに乗った警官の話だったような。遠くのほうに山が見えるだだっ広い砂漠の直線道路をオートバイが走っていくイメージが残っているのだけど、あれは最初のシーンだったのか最後のシーンだったのか。原題を "Electra Glide in Blue" という1973年の映画。主演はロバート・ブレイク。IMDbで調べてみると、ピーター・セテラやテリー・カスといったシカゴのメンバーが出ているのですね。プロデューサーも音楽もガルシオ。結局、彼の監督作はこれ一作だけらしい。撮影はコンラッド・ホール。どういう話だったか全然記憶にないので、goo であらすじを読んでみると、「アリゾナの砂漠地帯を取り締まる白バイ警官」の話。彼は殺人事件を解決する刑事にあこがれており、実際に殺人事件が起きたので、ベテラン刑事と組んで捜査するが、その刑事に幻滅する。その事件は老人の孤独を起因とするもので、主人公の警官も自らの孤独を感じてしまう。日本では1974年に公開され、キネ旬のベストテンを調べてみると、この年にはなぜか五木寛之氏が選考委員に加わっており、彼のみが選んでいます。「破壊!」「黒い砂漠」「戒厳令」に次ぐ4位の作品として選んでおり、この7点のおかげで55位に入っています。

「最後の脱出」は深夜に見た記憶があるので、日曜ではなく土曜の深夜と言ったほうが正確。これは、私が雑誌スクリーンを読み始めた1971年6月号で紹介されていたので、ずっと見たいと思っていたのでした。監督はアクション俳優のコーネル・ワイルド。すでに自分主演の「裸のジャングル」(The Naked Prey, 1966) などを監督したことがあります。「最後の脱出」ではプロデューサー兼監督で、出演はしていません。そのスクリーン1971年6月号はまだ手元にあり、それによると、出演はナイジェル・ダベンポート、ジーン・ウォーレス、ジョン・ハミル、リン・フレデリックら。原題は「草の葉もない」という意味の "No Blade of Grass"。1970年のアメリカ映画でMGM配給。地球汚染によって世界中で食糧不足に陥ったことを危惧したロンドンの生化学者が友人の一家とともに田舎の兄の農場に脱出することを試み、その道中さまざまなことが起るという話。ジョン・クリストファーという人が書いたベストセラー小説が原作。

スクリーン1971年6月号から

Photo

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2011年8月15日 (月)

映画構造と感情システム (46)

「ピクニック」は様々なジャンルの要素を混合している。ロマンチックな部分や憂鬱な部分が含まれているだけではない。ロマンチックな部分はコミカルな材料とロマンチックな材料が統合されている。コミカルな材料は、いかにして基本となるロマンチックな方向性を妨害することなく、からみあわされているのだろう。アンドレ・バザンは、この喜劇と悲劇の並置がルノワールの最良の作品の特徴だと述べている。ルノワールが「ピクニック」においてコミカルな材料を扱う方法を調べれば、ルノワールが他のジャンルからの材料を「どん底」に統合している方法との有用な比較が可能になる。

二人の登場人物が喜劇を担当する。デュフール氏とアナトールである。太った尊大なデュフール氏はオリバー・ハーディを思い起こさせる。やせていて、困惑すると大げさに振舞うアナトールはスタン・ローレル風である。アナトールは、しゃっくりが止まらないので、水を捜そうとあたふたし、デュフール氏は彼の間抜けぶりに仰天する。もっともコミカルなのは、二人が釣りに行って、川から靴を釣る場面だ。

この間抜けたちはあきらかにアンリエットとジュリエットにとっての愛の対象なのだが、彼らは物語の進行にほとんど無関係である。彼らは間抜けすぎて、ボート乗りたちが彼女らとロマンチックな関係を持とうとする計画を脅かす可能性がまったくない。ジュリエットは、寝ているデュフール氏をくすぐり起こして、彼とイチャイチャしようとするが、彼は起きようとしない。婚約中のアナトールとアンリエットはほとんど会話を交わさない。男たちは釣りにしか興味がないみたいだ。ボート乗りたちが彼らに釣り道具を貸すと、彼らは喜んでボート乗りたちに女性二人を任せる。

彼らが物語の中心にいないことは、「ピクニック」が当初の感情の方向性を維持しながら喜劇を挿入する方法にとって重要である。二人の重要でない登場人物に喜劇を限定することで、ロマンチックな物語に最小限の影響しか与えないいくつかの短い場面にコミカルな感性を限定している。もしデュフール氏とアナトールが物語の結果により直接的な影響を与えれば、彼らのコミカルな態度は、感情の方向性の一貫性を脅かしたかもしれない。彼らを話の展開の主たる原動力として関わらせれば、ロマンチックな気分を強める場面に含まれる機会が増えたであろう。「ハムレット」の墓掘りのような脇役が行う「コミック・リリーフ」という昔からの伝統によって、デュフールとアナトールの登場の短さと中心にいないことが気分の持続を脅かすことを防いでいる。

「ピクニック」の一貫性を持続させる方策を、別の世界に住む二人の登場人物の紹介から始まる「どん底」の方策と比較してみる。ルイ・ジューべ演じる男爵は下手な賭博師で、破産しかけている。ジャン・ギャバン演じるペペルは三流の泥棒である。観客は男爵が財産を全部なくす様子を見る。ペペルは安宿に住んでおり、そこの家主を通じて盗品を売っている。彼は家主の妻と不倫しているが、二人の関係は悪くなっている。安宿の貧しさから抜け出そうと、ペペルは金持ちの家で盗みを働こうとする。残念なことに、そこは男爵の家で、賭博の負けによって差し押さえられている。破産した男爵は自殺しようとしていたのだが、ペペルによって邪魔される。二人はすぐに友達になり、夜通し語り合うことで、男爵は自殺を思いとどまる。

この時点まで、映画は二つの異なる世界を行き来し、各々の世界に主人公がいる。映画の最初のショットで、男爵は超然とし、貴族風に面白がっているように見える。ルノワールの動くカメラは、男爵の前で動き回る役人の視点から撮影している。役人は公金の悪用について男爵を問い詰めている。観客には見えない役人が、男爵が無駄遣いしたお金についてしゃべっている間、男爵は行儀のよい、すまないという様子のない笑顔を見せており、重大な告発に関してまったく気にしていないようである。あとの場面で、男爵が財政危機から超然としている証拠がさらに提示される。傍観者が次のように言う。男爵が賭博に勝ったか負けたかを知る唯一の方法は、彼がタバコに火をつけるかどうかに注意することだと。もし火をつけたら、男爵はひどく負けている。男爵は博打のテーブルから離れ、タバコに火をつけようとするが、マッチを投げ捨てる。彼の従者は家具が債権者によって持ち出されそうなのでオロオロしているが、男爵は落ち着いたままである。男爵は、どんなに差し迫ったものであっても、自分の状況から行儀よく、少し面白がって距離を置くように育てられた貴族的なルノワール作品の登場人物に属する。

(続く)

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2011年8月14日 (日)

日曜はトリュフォーだ!: 「日曜日が待ち遠しい!」(その2)

朝3時から蒸し暑い。昨晩、「日曜日が待ち遠しい!」をDVDで再見しました。1時間50分はミステリコメディにしては長すぎるし、すでに犯人が誰かわかっている状態で見ると、途中、何に興味を持っていいのかわからなくなってしまう。主人公の二人ファニー・アルダンとジャン・ルイ・トランティニャンは魅力的で、身動きがとれずに一箇所にとどまらざるをえないトランティニャンは記憶以上によく登場していました。彼らを取り巻く人物に魅力が乏しいのが残念。探偵社の所長にユーモアを感じたので、最後まで登場させれば良かったのにと思いました。探偵社の描き方は「夜霧の恋人たち」のほうがはるかに魅力的。アルダンの元夫のカメラマンをちょっとした災難にいつも会ってしまうトンマな男としてあちこちに登場させれば、面白いアクセントになったのに。

トリュフォーが亡くなったのは1984年10月21日で、日本では亡くなってから公開され、私は1985年5月に新宿文化シネマ2という映画館に見に行っています。キネ旬では1985年4月上旬号で特集され、淀川長治さんと山田宏一さんの「トリュフォーについて語ろう」という対談が収録されています。細川直子という方が分析採録をしていて、各シーンに「さらば友よ」「男と女の詩」「雨の訪問者」「北北西に進路を取れ」「探偵-スルース」「地下室のメロディー」「叫びとささやき」といった見出しを付けたシャレたものになっています。

「日曜日が待ち遠しい!」の原作者はチャールズ・ウィリアムズで、トリュフォーは "Fantasia chez les ploucs" という映画の原作 "The Diamond Bikini" でのユーモアと想像力がお気に入りだったようです。これはジェラルド・ピレスという監督が1971年に映画化しており、リノ・バンチュラ、ミレーユ・ダルク、ジャン・ヤンヌという魅力的な配役にもかかわらず、IMDb のユーザー投票では4.4点と低い。トリュフォーと関係があるクロード・ミレールが脚本に参加しています。キネ旬の「世界映画人名事典・監督(外国」編」(1975)によると、「カリフォルニアを舞台に、一人のストリッパーと二人のギャングをめぐって展開するセリ・ノワール調の活劇であり、人間の獣性をテーマにしたもので、現代文明への風刺もきいた作品」だとか。

Carole Le Berre の "Francois Truffaut at Work" (Phaidon, 2005) によると、なかなか戻ってこないアルダンにイライラしているトランティニャンが、彼女が戻って来たとたんに平手打ちをくらわす場面で、本当に彼女に平手打ちをくらわしているのはトリュフォーだとか。トランティニャンが嫌がっているようだったので、自分が見本を見せると言って、こっそりアルメンドロスにカメラを回させたようです。どうもアルダンは事務所に入って来るようにという指示しか受けていなかったらしく、平手打ちをくらうことを知らなかったので、仰天して怒った顔を見事にとらえることができたとか。

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2011年8月13日 (土)

夜明けの英国音楽 (5): マーティン・カーシー特集

お早うございます。ただ今3時です。今日は涼しいうちにお墓参りを済ませたいので、5時まで2時間おつきあいください。

本日はマーティン・カーシー Martin Carthy 特集です。本来ならちゃんと準備して特集すべき人かもしれませんが、本日は準備なしのぶっつけ本番で、彼について私が知っているニ、三の事柄を述べることにします。

彼は1940年5月21日生まれで、現在71歳。ビートルズと同じ世代の人ですね。プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を1998年のアルバム Signs of Life でカバーしているので、ビートルズと同じような音楽を聴いていたのかもしれませんが、彼が演奏し続けたのはイギリス民謡で、この分野における長年の貢献によって1998年に女王陛下から勲章をもらっています。では、まずその「ハートブレイク・ホテル」を聴いてもらいましょう

1960年代にフィドルのデイブ・スウォーブリック Dave Swarbrick を伴奏に5枚アルバムを発表しています。ご存知のように、スウォーブリックは1969年にフェアポート・コンベンションに加入し、サンディ・デニー、アシュリー・ハッチングス、リチャード・トンプソンらが脱退したあと、フェアポートの中心人物になります。

  • Martin Carthy (1965)
  • Second Album (1966)
  • Byker Hill (1967)
  • But Two Came By (1968)
  • Prince Heathen (1969)

1枚目ではサイモンとガーファンクルがのちにヒットさせた「スカボロ・フェア Scarborough Fair」を歌っています。まず、聴いてもらいましょう。有名になる前にイギリスで過ごしたことのあるポール・サイモンはカーシーから「スカボロ・フェア」を教わり、それを自分名義だかサイモンとガーファンクル名義にして、シングルも、この曲が入った彼ら自身のアルバムも映画「卒業」のサントラ盤も大ヒット。もともと民謡なので、カーシーが訴える権利はないのだろうけど、カーシーは不誠実と感じたらしく、35年間二人は会うこともなく、2000年にサイモンがカーシーに突然電話し、和解となって、サイモンのコンサートで二人は一緒に歌ったとか。これは、2001年に発売されたカーシーの4枚組 The Carthy Chronicles に書いてありました。

ひぇー。早朝に食べようと思っていたバナナを椅子の上に置いているのを忘れて、1時間近くその上に座っていたために短パンもパンツもぐっしょり。ちょっと着替えてきます。

サイモンとガーファンクルの甘さによって「スカボロ・フェア」はヒットしたのだろうけど、カーシーはまったく商業的な意識がないらしく、甘さのない硬派の人です。とっつきにくい面もあるけれど、姿勢が一貫しているので信頼できます。

ディランはカーシーから聴いた「ロード・フランクリン Lord Franklin」のメロディを借用して「ボブ・ディランの夢 Bob Dylan's Dream」を作りました。この曲が入っているディランの2枚目 The Freewheelin' (1964) のライナーノーツにはカーシーの名前が言及されているそうです。カーシー自身は1966年の2枚目で録音しているので、ディランは直接カーシーが歌っているのを聴いたってことかな。では、カーシーの「ロード・フランクリン」ディランの「ボブ・ディランの夢」を聴いてもらいましょう。

1枚目と2枚目はカーシーがアルペジオでギター伴奏しながら歌っているのにスウォーブリックのフィドルがかぶさるっといった感じでしたが、3枚目「バイカー・ヒル Byker Hill」(1967)から複雑になってきます。そのタイトル曲を映像つきで聴いてもらいましょう

これは変則拍子なんでしょうかね。私の好きな歯切れの良いカーシーのギターがこの頃から聞こえ始めてきました。1976年にスウォーブリックは Swarbrick という傑作アルバムを発表しているのですが、その中でカーシーのギターを伴奏に「バイカー・ヒル」をフィドル演奏しています。こちらで少し聴くことができます

1970年代には以下のソロアルバムを発表しています。

  • Landfall (1971)
  • Shearwater (1972)
  • Sweet Wivelsfield (1974)
  • Crown of Horn (1976)
  • Because It's There (1979)

この頃のアルバムは、私の好きな歯切れの良いギターをよく聴くことができます。70年代初めには2週間前に特集したスティーライ・スパンの2枚目と3枚目に参加していて、その頃発売した Shearwater は特に素晴らしい。スティーライのマディ・プライアが1曲参加しています。その中から "Outlandish Knight" を聴いていただきましょう

カーシーは1973年にアシュリー・ハッチングスのアルビオン・カントリー・バンドの Battle of the Field に参加しています(なぜか発売は1976年まで遅れました)。Shearwater に入っていた "I Was a Young Man" やDJのジョン・ピールが気に入っていたという "Gallant Poacher" などが入っています。こちらでざっと聴いてみてください。70年代後半のアルバム Crown of Horn と Because It's There はアシュリー・ハッチングスのプロデュースです。

時間が迫ってきました。80年代にはホーンセクションが伴奏するブラスモンキーにジョン・カークパトリックとともに参加したり、90年代以降は奥さんのノーマ・ウォーターソンと娘さんのイライザ・カーシーと一緒に活動したりしていますが、それらはまたいつか。

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2011年8月12日 (金)

映画構造と感情システム (45)

(本日二本目の記事。昨日の続き)

この嵐は、観客が期待していたものだったし、その前の最高潮に達した逢引きによって感情の力を与えられている。アンリとアンリエットの情熱的で遅れに遅れた抱擁によって合図が送られた感情の方向性は、慣性によって、壮大な嵐の間も継続する。同時に、この嵐は物語上の機能も果たしており、感情への訴えが変化しそうなことを知らせている。映画をよく見ている観客であれば、この嵐の強調によって、今後感情の嵐」起りうると察知する。

雨は、展開が悲しい方向へと向かうことを示すために、映画でよく使用される。雨が常に悲しい時期の到来を告げているわけではないが、劇の慣行だと気づくぐらい頻繁に悲しい瞬間を伴う。また、しばしば厳しい天候が人間関係が困難になったことを示すという文化的な知識もある。テネシー・ウィリアムズの「熱いトタン屋根の猫」のクライマックスのように、激しい嵐は、登場人物間で起りつつある激変を具体的に示すことができる。自然を前面に出していると気づくほど映画をよく見る観客であれば、ロドルフが「嵐が起きそうだ」と言うのを聞くと、ジャンルの最小台本が働いて、この嵐は劇の上で重要性を持つ可能性が高いと察知するだろう。

この嵐が転換点となり、憂鬱な気分になる。「何年かたった。アンリエットはアナトールと結婚した。日曜は月曜と同じぐらい悲しいものとなっている」という簡潔な字幕が出る。最後のシークエンスで、アンリエットとアナトールは、アンリとアンリエットとの逢引きの場所を再訪する。アンリエットはアンリと出会い、両者とも逢引き以来幸せを感じたことがないと言う。アンリは「よくここに来る。私の最も愛情に満ちた思い出はここにある」と言う。アンリエットは「毎晩思い出す」と告白する。アナトールの呼ぶ声によってこの短い出会いは終わり、アンリはボートに乗って川を遠ざかっていく二人を見守る。

嵐は映画を二つの部分に分け、感情への訴えも分けるが、この工夫の効果は、雨の映画的および文化的な連想に完全に頼っているわけではない。嵐が恋愛から憂鬱への移行をたやすくすることができるのは、この移行に対して観客の心構えができているからだ。会話と演出における自然の強調が物語における嵐の重要性を際立たせ、感情の方向性が変わる可能性に対して準備するよう観客に促す。

嵐が内包する文化的な意味によって、観客はアンリとアンリエットの今後に関して悲痛な感情を持つための心構えを促されるが、この心構えはかなり微妙である。差し迫った嵐は、人間関係の動乱が避けられないことを合図するほどには強調されていないので、ロマンティックな気分を妨害しない。嵐は、悲劇的な恋愛という最小台本の可能性を観客に喚起させるぐらいは言及されている。このほのめかしは、嵐を前面に出して描くことによって活性化する。観客は、嵐とそれが暗示する不穏に対して心構えができているので、調子の変化に驚くことはない。

感情の方向性の変化に対して観客に心構えさせることは「ピクニック」にとって重要であるが、この変化に対処するだけの時間が観客に与えられている。観客は、感情の慣性によって、ある気分の方向性からまったく異なる方向性へと変化させるのに時間がかかる。その変化に対して心構えができている場合でも時間がかかる。嵐のシークエンスは、アンリとアンリエット各々の人生における物語上の出来事からの休憩時間となっており、より憂鬱な気分へと変化することに十分に集中する時間が観客に与えられている。

「ピクニック」の抒情性の大部分は、このスムーズな感情の移行に負っており、ルノワールは、そのような移行が成し遂げられる特定の方法を作り出している。まず、一貫した感情の方向性を確立し、今後起ることの仮説を立てるよう観客に促す。次に、やってくる嵐に対する心構えを観客にさせるための材料を提示し始める。恋愛の展開が絶頂に達したあとに嵐を生き生きと描くことによって、観客は、嵐に内包された文化的および映画的な意味に基づいて、それ以前に提示された悲しい方向への転換の可能性を活性化させる。嵐のシークエンス自体は、感情の慣性を克服して移行を行うための貴重な時間を観客に与る。このように、「ピクニック」は、劇の上での連続性を犠牲しないように感情の移行をうまく処理している。

(【嵐の前ぶれ】の項終わり。次回からは【感情の並置】)

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フィルムノワール入門 (18)

【フィルムノワールと独立系プロダクションの台頭】

大会社は、1949年以前から莫大な経費に押しつぶされそうになっており、契約スタッフを大幅に削減し、外部のプロデューサーを増やそうとしていた。1951年までに、大会社の多くは、独立プロデューサーに撮影スタジオを貸し出して、自社製作より経済的でリスクの少ない独立系の製作に投資する慣行を確立した。だが、独立系の製作への移行は、ゆるやかで、スムーズではなかったが、50年代半ばまでに確実な選択肢になったし、1960年までに支配的になった。(Bordwell, Staiger, Thompson "The Classical Hollywood Cinema: Film Style and Mode of Production to 1960" (Routledge & Kegan Paul, 1985))

当初、この変化は実質的というより見かけだけのものだった。独立系は脚本、スター、監督を提供し、映画会社は技術設備、配給網、資金を提供したので、独立プロデューサーの自由は製作と配給の契約次第だった。こうした制約にもかかわらず、重要人物にとっては、より柔軟で創造的な独立を得ることができた。特にユナイテッド・アーティスツがそうだった。オットー・プレミンジャーは次のように述べている。

「独立製作者が自らの人格を持っていることをユナイテッド・アーティスツは認めている。基本的な脚本に同意し、キャストについて話し合えば、あとはすべてプロデューサーの眼識に任せる。他の会社が契約する場合は、撮影台本と最終編集に彼らの承認を必要とするようにしたがる。」(T. Balio "United Artists: The Company Built by the Stars" (University of Wisconsin Press, 1976))

このように、1949年から60年までの時代は、過去の慣行からの革新的な決別というより、ゆるやかな移行期間だったが、野心的な監督やプロデューサーに、より多くの自由や可能性を与えた時代だった。

多くの独立プロデューサーは、費用効率が高く洗練された娯楽であるフィルムノワールに専念した。デビッド・ロウ David Lowe が設立したエンタープライズ・プロダクションズ Enterprise Productions は、理想主義的な左翼自由派であり、共同社会の精神を育て、体制派に批評的な映画作家を鼓舞しようとした。ジョン・ガーフィールド主演の二作、ロバート・ロッセンの「背信の王座」(Body and Soul, 1947)とアブラハム・ポロンスキーの「苦い報酬」(Force of Evil, 1948)、 それにマックス・オフュルスの「魅せられて」(Caught, 1949) を製作した。

ダイアナ・プロダクションズ Diana Productioins はより個人主義的で、すでに独立プロデューサーとして身を立てていたウォルター・ワンガー、彼の妻でハリウッドの主演女優のジョーン・ベネット、そして亡命者フリッツ・ラングによって1945年に設立された。この会社の作品に出資し、配給したのは主にユニバーサルで、その目的は、同社の作品の価値を高め、上位5社に入ることだった。ラングの芸術上の名声、ワンガーの眼識のあるプロデューサーという評判、ベネットの興行収入への影響力はユニバーサルにとって魅力的であり、最終版に口をはさむことができるという予防策を得ていた。ラングは、ウーファで享受していたのと同様の芸術上の自由を得ることができたし、「フリッツ・ラング」作品を市場に送り出す機会も得た。ワンガーは、創造的なプロデューサーという評判をさらに高める機会を得た。ベネットは、自分の役をより自由に選ぶことができた。(P. McGilligan "Fritz Lang: The Nature of the Beast" (Faber and Faber, 1997))

しかし、ダイアナ・プロダクションズの二番目の作品「扉の蔭の秘密」(Secret Beyond the Door, 1948) は、1946年にユニバーサルがインターナショナル・ピクチャーズと合併したあとに相当な予算で製作されたが、主演俳優の仲が悪くなったために分裂したものとなった。(B. Dick "City of Creams: The Making and Remaking of Universal Pictures (University Press of Kentucky, 1997))

映画が公開される頃には、ユニバーサル・インターナショナルは経済的困難に陥っており、大胆なスタイルとテーマに対して注意深くなっていた。試写会の観客の反応が良くなかったので再編集され、配給も十分ではなく、興行成績は悪かった。この失敗のあと、ダイアナ・プロダクションズは解散した。(M. Bernstein "Walter Wanger: Hollywood Independent" (University of Minnesota Press, 2000)

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2011年8月11日 (木)

映画構造と感情システム (44)

いったん映画が登場人物の主な特徴、ジャンルの枠組、一貫した感情の方向性、展開が予測できるという感じを確立すると、ルノワールは主題の基盤を確立することに注意を向ける。その後の会話によって、自然が登場人物の主な関心事であることが明確となる。デュフール氏とアンリエットの婚約者アナトールは肉食性の魚について漁師のように議論するし、自然の不思議について驚嘆する。母親との会話で、アンリエットは草の中にいる小さな生物の喜びや苦痛について思いめぐらす。彼女は母親に、すべてのものに対して優しい気持ちを感じたことがあるかと尋ねる。草、水、木に対して、漠然としたあこがれを突然感じて、泣きそうになったことがあるかと尋ねる。母ジュリエットは自分も自然に対して同じ共感を持っていると告白する。

この二つの会話によって自然というテーマが前面に押し出され、この映画と印象派を結びつけるよう批評家を促す。ルノワールは、有名な父親が多くの絵を描いた場所でこの作品を撮影している。ピクニックやボートに乗ったカップルなど、印象派がよくとりあげているものを描いている。ルノワール自身は、この結びつきの重要性を低く見ている。

「この映画の風景や衣装が父の絵画を思い起こさせるのなら、理由は二つだ。まず、父が若い頃たくさん絵を描いた時代と場所で展開されるからだ。第二に、私は父の息子なので、必然的に両親の影響を受けている。私が庭師の息子なら、樹木について詳しかっただろうし、庭に対して異常な好みを持っていただろう。」("Renoir on Renoir: Interviews, Essays, and Remarks" (Cambridge University Press, 1989))

この主題は全体の物語枠組において重要である。これらの会話によって、ルノワールがまわりの自然を撮影していることに観客は注意を向ける。ボート乗りのロドルフとアンリが草の上でリラックスしているとき、カメラは上方にパンして、暗くなっていく空をとらえる。デュフール家がピクニックを終えたあと、ルノワールは再び雲が濃くなっていくのを見せる。

ルノワールは、軽いロマンスから憂鬱な結婚の崩壊へと感情への訴えが切り替わるのを強調するために嵐を使用している。アンリはアンリエットを彼の隠れ場に連れていく。アンリはアンリエットを口説き、アンリエットは最初は拒んでいたが、彼の情熱的なキスに応える。それから、二人が並んで横たわっているショットにディゾルブする。次に、音楽の伴奏つきで、川の嵐を絵画的にとらえた素晴らしい一連のショットを見せる。木や川草が風でたわむのが空を背景にくっきりと描かれ、弦楽器が、通常時計の音を表現するために使用されるパターンで、低高低と1オクターブ離れた四分音符を奏でる。暗い雲が流れ、雨が降りだすと、弦楽器がすばやく低くなったり高くなったりするのを繰り返す。雨が川の表面を不穏にし始めると、カメラは川から遠ざかり、ゆっくりと暗転する。

(続く)

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2011年8月10日 (水)

RTの一問一答 (8月)

本日はBerryz工房27枚目「ああ、夜が明ける」の発売日。おじさんは目のやり場がないイブ様のこれは面白い(いつ消されてもおかしくない代物なので、お早めにどうぞ)。

本日はキートンの日ですが、準備していないので、先日発表されたリチャード・トンプソン(RT) のQ&Aをざっと読んでみます。4ページにわたる長いものなので、わからない部分、興味のない話題など、かなり端折っています。カッコ内は、私、村長の追記。

スライドギターは "Cajun Woman" ぐらいでしか聴けませんね。("Cajun Woman" はフェアポートの3枚目 Unhalfbricking 収録)

ときどき弾いている。フェアポートの "Some Sweet Day" とか、Strict Tempo とか、Loudon Wainwright のアルバムとかで。でも、うまくいってるようには思えない。(最初のはフェアポートのBBCセッション、二番目のは1980年ごろのRTのインストアルバム。ラウドン・ウェインライトのアルバムは買ったことがないので、どの曲のことを言っているのかわかりません。)

あなたは Rob Young の "Electric Eden" を読みましたか。もし読んでいたら、感想は?インタビューを受けましたか。

インタビューは受けなかった。全体の構想は興味深いが、私が知っている60年代以降については誤りだらけだ。多くの人にインタビューすべきだったと思う。(村長は最近この本を購入しました。

Live From the Artist's Den で Robert Plant and The Band of Joy が あなたの "House of Cards" を歌っていてビックリしました。聴いたことがありますか?感想は?

好きだ。リチャード・アンド・リンダ・トンプソンのよりもずっと良い。(Richard and Linda Thompson の1978年のアルバム First Light からの曲です。ロバート・プラントのは2010年のアルバム Band of Joy に収録されています。)

Band of Joy のBuddy Miller のリードギターはあなたに似た強烈さとフィーリングがあります(特に "House of Cards" で)。 彼との演奏は楽しかったですか。

彼の仕事が非常に好きだ。彼は素晴らしい主役で、脇役で、共演者で、人間だ。

Jools Holland の番組で Norma Waterson, Martin Carthy, Eliza Carthy, Dave Mattacks, Danny Thompson とともに出演してましたよね。今後このメンバーで演奏することはないですか。

あれはノーマ・ウォーターソンのアルバムの宣伝のためだった。ノーマは長い間闘病を続けているが、回復することを心から祈る。(YouTubeで見ることができます。ノーマはマーティン・カーシーの奥さんで、イライザ・カーシーの母親)

タレント発掘番組やYouTubeですぐに有名になってしまう風潮をどう思いますか。

まったくくだらない。そういった風潮だとインクレディブル・ストリング・バンドのようなグループは登場しないだろうね。

Michael Chapman のアルバム Trainsong をよく聴いているし、彼の教則本も参考にしていますが、彼のようにうまく弾くことができません。同じことは、あなたやマーティン・シンプソン、マーティン・カーシーなどにも言えます。あなたのまわりのギタリストで、「いったいどうやって演奏しているんだろう」と思った人はいますか。

君が言及した人すべてにそう思っているよ。ジャズプレーヤーにも何人かいる。何人かのギタリストについては何を演奏しているのかわかるが、彼らが素晴らしいのはどう演奏しているかだ。チェット・アトキンズがそうだ。

レナード・コーエンはNorton anthologies of poetry に収録されていますが、あなたが入っていないのはなぜですか。

歌詞は詩とは違う。重なり合うところもあるけれど。もし私が詩を作ったり、絵を描いても、自分のためであって、発表したくはない。たぶんコーエンは作詞家であると同時に素晴らしい詩人だから収録されたんだろう。

エレクトリックでのツアーのあとは長いアコースティックのツアーを行っていますよね。その間、エレキギターを練習する暇がないでしょ?エレキギターに慣れるまでどれぐらいかかりますか。

アコースティックのツアーのあとでエレキギターに慣れるまで1週間ほどかかる。エレキギターのツアーをあまり長くやらないようにしている。生ギターのタコが消え始めるからね。

Sarah Jorosz という素晴らしい若いシンガーソングライターを見ました。20歳なのに Gillian Welch みたいで、ギターもボーカルも曲作りも恐ろしいほど円熟しています。聴いてみてください。

私が最新情報に疎いとでも思っているのかい。私のアメリカツアーで彼女は前座を務めるんだよ。

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2011年8月 9日 (火)

1978年8月第1週に見た映画

昨日の Hey! Hey! Hey! の「ももち」見ましたか。いつのまにか亀田兄と親友だということになっていたり、そっちのほうがよっぽどキモイ徳光家の最終兵器からキモイと言われたりして、短いながら強い印象を残したと思います。確実に笑いがとれけっこう歌がうまく意外と度胸もある。しかも、これで大学生!

8月07日(月) ブラック・アンド・ホワイト・イン・カラー (岩波ホール) 4点
8月13日(日) サムライ (広島のテレビ) 5点
8月13日20日(日) 天井桟敷の人々 (NHK) 4点

「ブラック・アンド・ホワイト・イン・カラー」は最近言及したことありますね。7月25日に見た「さよならの微笑」が1976年にアカデミー外国語映画部門にノミネートされたときに賞を獲得した作品でした。帰省する日か、その前日に見に行った記憶があります。ジャン・ジャック・アノー監督の1976年の淡々とした戦争コメディ。フランスなどとの合作映画ですが、コートジボワールが中心で、アカデミー賞でもコートジボワールの映画となっています。ニュースが入っているのが何ヵ月もたってからという土地のフランス駐屯軍が第一次世界大戦が始まったことを知り、地元の黒人たちを集めて兵隊に仕立てようとする話。出演者は「草の上の昼食」や「ボルサリーノ」のカトリーヌ・ルーベル以外は私の知らない人ばかり。三人いるプロデューサーの一人はジャック・ぺラン。岩波ホールで7月22日から9月14日まで上映されました。キネマ旬報のベストテンでは「さよならの微笑」「ラスト・ワルツ」「愛のメモリー」「ローリング・サンダー」に続いて22位。1位はビスコンティの「家族の肖像」で、11月25日から翌年2月9日まで岩波ホールで上映されました。

で、帰省すると、実家に姉一家と兄夫婦が来ていました。姉の一家が東広島あたりのプールに行くというので、兄の車でついていって、一晩泊まり、翌日の早朝に兄と実家に帰りました。泊まるということを連絡していなかったので、心配していた両親や兄の嫁さんに怒られてしまいました。泊まったのはキャンピングカーみたいだったような気がするのですが、その深夜に見たのが「サムライ」。だから日曜というより、土曜の夜です。「サムライ」は1971年7月にTBS系の月曜ロードショーで初めて見て、1972年の秋にも同じ番組で見て、1975年4月にテレ朝系の土曜夜の1時間半枠の番組で見て、これが4回目。この年の10月には東京12チャンネルでも見ています。まだホームビデオなんか発達していないから、見れるときには見ておかなければ。シネシャモ第9回上映作品です

「天井桟敷の人々」は有名だから、作品自体どうのこうの言うことはないし、このときのことは記憶にありません。2週に分けて放映されているので、NHK教育の夜だったのかなあ。これが初めてで、次に見るのが1983年の下高井戸だから、80年代初めにリバイバル上映されたんでしょうね。

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2011年8月 8日 (月)

映画構造と感情システム (43)

このシークエンスは、どのようにルノワールが観客に今後の展開を予想させるのかということも見せてくれる。たとえば、アンリエットの足が見たいというロドルフの願いは、彼が口にしたとたん満たされる。登場人物は物語で何が起きるかを予想し、すぐに物語は予想が正しいことを証明する。いつもパリ人は草の上で昼食をとるとロドルフが言うと、ジュリエットが夫に草の上で昼食をとろうと頼む。レストランの主人がボート乗りたちに魚を勧めると、二人はパリ人たちが食べるはずだと言いながら断る。その後、ジュリエットは興奮しながら主人にフライドフィッシュを頼む。

さらに、ロドルフとアンリが女性を誘惑する計画を観客にこっそり教えることで、観客の期待を高める。彼らは、一緒に行動するか別々に行動するか話し合ったり、どっちがどっちの女性にするかを議論したりする。彼らは、デュフール家に気に入られるために行儀良くしようと計画し、観客は彼らが実際そのようにしているのを見る。家族が昼食をとる場所を先に占領し、これ見よがしの礼儀正しさで彼らにその場所を譲り渡す。予想、計画、結果をていねいに調和させることで、観客に予想を促し、その予想が実現する可能性が高いことを約束している。一貫した、予測のつく虚構世界を提示することは、ブランコのシークエンスによってもたらされた愉快なロマンスという当初の感情の方向性に対する観客の確信が強まるのを手助けする。ルノワールは、観客がジャンルの最小台本に基づいて今後何が起こるのかの証拠を見出すために予測するよう促す。すなわち、ボート乗りたちと女性たちが逢い引きをすることの証拠をである。一貫して予測可能な世界では、感情面で調和した出来事の規則正しい進行を通じて気分を持続させることができる。

もちろん、ルノワールの映画は、観客の好奇心や興味を失うことなく完全に予測のつくやり方で進行することはできないが、予期しない出来事は恋愛ものというジャンルの幅広い期待の範囲内に収まっている。当初、ロドルフは娘アンリエットに対する強い欲望を明言しており、控えめなアンリは母親ジュリエットと時間を過ごすことに同意していたが、この組み合わせはすぐに変わる。アンリはアンリエットに夢中になり、ロドルフはジュリエットとペアになる。観客は過去に見た恋愛映画の経験から、キューピッドの矢が常に狙ったところに当たるわけではないことを知っている。観客が持っているジャンルの最小台本によると、アンリのように恋愛を避けているように見える人物がしばしば恋に落ちるのである。

(続く)

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「愛と死の記録」

8月6日、原爆の日の昼に広島テレビで放映されました。吉永小百合主演の1966年の日活作品で、白黒ワイドスクリーン。1965年3月までの1964年度の邦画興行成績で「東京オリンピック」に次ぐ第2位の大ヒットを飛ばした「愛と死をみつめて」の二番煎じみたいな気がして、さほど見る気がしなかったのですが、今月アメリカのクライテリオンから作品集が発売される蔵原惟繕監督だし、芦川いづみ様もご出演なされるので、見たわけです。ちなみに、興行成績2位といっても、「東京オリンピック」とは3倍ぐらい開きがあります。

「東京オリンピック」が東宝系で公開されたのは実際のオリンピックから5ヵ月しかたっていない1965年3月20日だったようです。それで驚いてはいけない。「愛と死の記録」は1966年の8月に撮影されて、1966年9月17日には公開されています。これもクレージー作品や網走番外地シリーズにはさまれて1966年度の7位という好成績。キネ旬のベストテンでも11位とまあまあ。(「キネマ旬報80回全史1924-2006」と「キネマ旬報ベスト・テン全集1960-1969」を参考にしています。)

吉永小百合といえば相手役は浜田光夫なのですが、この年の7月25日にレストランで電気スタンドを投げつけられ、目に重傷を負ってしまう事件が起き、前年にデビューしたばかりの渡哲也が代役を務めました(鈴木清順の「東京流れ者」はこの年の4月公開)。レコード店員の吉永小百合と恋に落ちる印刷工員で、子供の頃に被爆したために病魔に襲われてしまいます。彼の工員仲間の中尾彬、その恋人で吉永と同じレコード店に務めている浜川智子、渡の上司の佐野浅夫、医師の滝沢修など、みな好演しているし、広島でのロケが多いのも魅力的です。

芦川いづみ様がなかなか登場しないので、テレビなのでカットされたのかとヤキモキしていると、終わりごろにやっと登場。吉永小百合の隣人で、被爆者として差別されながらひっそり暮らしている女性です。それ以前の吉永の家庭のシーンで、兄の垂水悟郎と恋仲だったけれど被爆者なのであきらめざるをえなかったというのが会話の中に出てきます。また、吉永がクラシックレコードを店員特権で原価で購入して、隣に住む女性に届けているという話を渡との間でします。渡と吉永との恋愛関係の伏線として兄と芦川との関係をもっと前面に出せば、芦川の登場が生きてきたかもしれませんが、実際にはとても唐突な気がします。ワンシーンしか登場せず、こちらが彼女に対してどういう気持ちを持てばいいのかわからないから、芦川が吉永の悲劇を見つめている最後は、どう解釈していいのかわかりません。日活の清純派として直接の後輩である吉永に対して友情出演しているぐらいにしか思えません。最初に出てこないのが珍しいクレジットタイトルは最後に出てきて、吉永の一枚看板に続いて、渡と名前を連ねているんですけどね。

音楽黛敏郎、撮影姫田真佐久も良かったです。顔の印象もあってか、姫田は日活ロマンポルノの人だと私は思い込んでいたのですが、日本映画技術賞というのでは、1964年の「赤い殺意」、1965年の「日本列島」、1966年の「人類学入門」で3年連続撮影賞をもらっています。脚本は民芸の大橋喜一と小林吉男。

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2011年8月 7日 (日)

日曜はトリュフォーだ!: 「日曜日が待ち遠しい!」

いよいよトリュフォーの長編21作目にして最後の作品「日曜日が待ち遠しい!」(1983)。軽い犯罪映画で、「ピアニストを撃て」「私のような美しい娘」とともにミステリーコメディ三部作と呼んでもいいような気がしてきました。各々、デビッド・グーディス、ヘンリー・ファレル、チャールズ・ウィリアムズが原作で、どれもアメリカの大衆犯罪小説を仏訳した「セリ・ノワール(暗黒叢書)」から見つけてきたようです。すると、アイリッシュ原作の「黒衣の花嫁」と「暗くなるまでこの恋を」をここに入れてもいいような気もしますが、それらはコメディ的な要素がないから除外。前者のミシェル・ブーケやミシェル・ロンスデールの描き方は面白いんだけど、それで全編貫かれているわけじゃないから。

チャールズ・ウィリアムズの原作の原題は "Long Saturday Night" で、これには「土曜を逃げろ」という邦題があります。薄い文庫本が日本でも発売されたけど、現在手元にあるかどうか押し入れを捜すのは今はめんどくさい。伝記「フランソワ・トリュフォー」(原書房)によると、脚本家の一人シュザンヌ・シフマンは、男が捜査して女が事務所に残るという設定を根本的に変えたみたいなことを言っていますね。ぜひトリュフォー作品に出たいという率直な手紙を書いたために選ばれたジャン・ルイ・トランティニャンですが、トリュフォーの興味はやはり女性にあって、殺人容疑がかけられ事務所から出ることができない不動産屋トランティニャンの代わりに活躍するのは秘書のファニー・アルダン。トリュフォーとは事実上の夫婦みたいな関係だったので、開巻、ジョルジュ・ドルリューの軽快な音楽をバックに彼女が街を闊歩するところから彼女中心。私の好みじゃないのが残念。

フィルムノワール風に撮ろうとしたので白黒。撮影はおなじみネストール・アルメンドロス。当時はカラーばかりだったので、白黒で撮影するほうがかえって面倒だったようです。セット自体を白、灰色、黒で統一したし、テレビ局は白黒作品じゃ商品価値がないので出資を渋ったようです。

脚本は、トリュフォーとシフマンのほかにジャン・オーレル Jean Aurel なんだけど、彼は何者なんだろう。IMDbによると、1925年にルーマニアに生まれ、1996年に70歳で没。トリュフォーの「逃げ去る恋」と「隣の女」にも参加しています。キネ旬の監督事典によると、パリの映画高等研究所を卒業したのち、カイエ・デュ・シネマ誌などに批評を書き、50年代初めから短編を監督。脚本では「殿方御免遊ばせ」「リラの門」「穴」あたりが有名。長編の監督作にはアンナ・カリーナ主演の「スタンダールの恋愛論」(1964)やカトリーヌ・ドヌーブ主演の「恋のマノン」があります。

(「日曜日が待ち遠しい!」については、たぶん来週に続く。)

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2011年8月 6日 (土)

夜明けの英国音楽 (4)

本日も始まりました仮想ラジオ番組「夜明けの英国音楽」。ただ今、朝の3時15分で、村長が散歩に出かける準備を始めなければならない5時すぎまで、おつきあい願いましょう。

隠れベリーズ・ファンとしては「Berryz工房は海外で人気なのだ!」という記事がこのブログの人気記事ランキングの9位に入ってしまって、恥ずかしい。シアトルで行われたサクラ・コンのコンサートで合いの手が日本のファンと同じなのが不思議って書いていましたが、どうも日本のファンもけっこう行っていたみたいですね。でも、全部で観客が3500名だったので、ほんの一部だっただろうし、メキシコやフランスのハロプロ・オタもかけつけたらしい。あの記事を書いた6月30日にはイブ様が誰かも知りませんでしたが、この人だったのですね。ファン向けに各メンバーだけをカメラで追っている映像にはさほど興味はないのですが、イブ様の分身のこの映像は可愛い。ほかのメンバーでは「ももち」というのが強烈なキャラで、YouTubeにいろいろ面白い映像がアップロードされているのですが、前回出演したHey!Hey!Hey!でも笑わせてくれていて、来週の月曜日にはパネラーとして単独で出るらしいので、お見逃しなく。生で歌うのは当たり前のことだと思うのですが、彼女たちが生で歌っていることにビックリしているコメントがあちこちに出てくるのは、どうも最近大人気のグループが口パクなのが原因らしい。そのグループの今年の総選挙で9位になったメンバーがフットボール・アワーの岩尾様以上にベリーズ・ファンだと熱弁している映像があったんだけど、最近見当たらない。

いかん、4時近くになってしまいました。本日は、あまり民謡とは関係ないイギリスのフォークロックっぽい人たちの紹介。

まずはアル・スチュワート Al Stewart。1975年に "Year of the Cat" がアメリカでも大ヒットしましたが、本日紹介するのは1970年のアルバム Zero She Flies から "Small Fruit Song" という愛らしい小品。たぶんリードギターは早回しだと思います。

続いてラルフ・マクテル Ralph McTell の "Streets of London"。いくつかのバージョンがあって、ギターの弾き語りだけのものが好きなんですが、今回は、たぶんイギリスで大ヒットしたものであろうバージョンを聴いていただきましょう。

今度はリンディスファーン Lindisfarne。70年代に初めにイギリスで大人気だったグループで、1973年に来日して、NHKのスタジオでのライブを「ヤング・ミュージック・ショー」とかいうので見ました。「レディ・エレノア」のほうがヒットしたかもしれませんが、日本に来たときよく歌っていた "Meet Me on the Corner" を聴いてもらいます。

このグループは数枚アルバムを出したのち、分裂して、主要メンバーのアラン・ハルともう一人は他のメンバーを加えてリンディスファーンを続けましたが、ほかの三人ぐらいがジャック・ザ・ラッド Jack the Lad というグループを結成して The Old Straight Track という傑作アルバムを発表しました。その宣伝の面白い映像があるので、それを見てもらいましょう

イアン・マシューズ Ian Matthews は、フェアポート・コンベンションのファーストとセカンドに参加したのち、マシューズ・サザーン・カムフォートやプレイン・ソングといったカントリー風味のバンドを結成し、その後ソロ活動を続けています。前者のグループではジョニ・ミッチェルの曲でCSNYでおなじみの「ウッドストック」をソフトに歌ってイギリスで大ヒットさせました。ソロで活動していた70年代後半には "Shake It" をアメリカでヒットさせ、来日して、私見に行きました。その頃は大衆向けの聴きやすいサウンドでしたが、けっこう好きでした。"Shake It" が入っている 1978年のアルバム Stealin' Home から"Shake It" と同じくテレンス・ボイランの曲 "Don't Hang Up Your Dancing Shoes" を聴いていただきましょう。

現在4時半。今度はインクレディブル・ストリング・バンド Incredible String Band。高校時代に変わったものを聴きたかった時代があったので、派手なジャケットの The 5000 Spirits or the Layers of the Onion という1967年のアルバムを買ってみました。たぶん、彼らのアルバムは70年代の初めに雑誌ミュージックライフのレコード評によく登場していたので興味があったのだと思います。その中から "Painting Box" を聴いてもらいます。アルバムでは女性の可愛い声が入っていますが、ここではジュリー・フェリックス Julie Felix と一緒に歌っています

最後は、ポップなので、ここに入れていいのかどうか。スタックリッジ Stackridge の1973年のアルバム The Man in the Bowler Hat の1曲目 "Fundamentally Yours"。ビートルズというかマッカートニーっぽいでしょ。 プロデュースはジョージ・マーティンです。最近のライブも聴いてもらって、本日の終わりにします。

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2011年8月 5日 (金)

フィルムノワール入門 (17)

【「パラマウント判決」と戦後の製作の変化】

1948年5月に下されたパラマウント判決は、大映画会社の独占を禁じたもので、製作と配給から興行を切り離させた。大会社は個々の映画を単独で貸し出さなければならなくなったので、少数の一流映画に専念する結果となる。テレビに対抗するために、テクニカラーやシネマスコープといった金のかかる最新技術を使用した大作へと走った。そうした作品の上映時間はたいてい2時間以上だったので、添え物が不必要になった。観客の減少やテレビの台頭もあって、1940年に477本だった大会社の映画本数は1959年には187本に減った。1946年に最高となった大会社の利益も低迷したが、倒産したのはRKOだけで、1957年のことだった。

大会社が一流映画に専念したために、市場の下層に空きができ、モノグラムやリパブリックといった弱小会社が野心的なB級映画に乗りだす。「拳銃魔」 (1950, Gun Crazy) をプロデュースしたキング兄弟は、スロットマシーンの設置で金を稼ぎ、モノグラムのために数多くの安上がり作品を製作し、配給業者としてユナイテッド・アーティスツでより高い文化的地位を築こうとしていた。兄弟は、過去に最高額の報酬を得ていた脚本家を起用したくて、赤狩りにあっていたダルトン・トランボを雇用し、ミラード・カウフマンというペンネームを使用させた。だが、疑わしい評判のために兄弟はスターを獲得することができず、あまり有名でないジョン・ドールとペギー・カミンズを使わざるをえなかった。ジョセフ・H・ルイス監督は45万ドルの予算と30日間の撮影期間を与えられたので、いくつかの長回しを工夫することができた。その中でも素晴らしいのは精肉会社の強盗シーンで、1ショット3分半という長さだった。ラストの霧の場面は効果的で、多くのキャストを必要としなかったし、景色を作り出す高額な費用も必要ではなかった。だが、このラストは、「拳銃魔」を有名なフィルムノワールにした倫理上の混乱のムードを作り出すのに貢献している。全般的に、「拳銃魔」は、B級アクション映画の特徴である速いペースの猛烈さが、A級映画の特徴である繊細な性格づけと細心の制作で包みこまれた作品である。

(精肉会社の強盗シーンは、住宅ローン会社の強盗シーンの間違いだと思います。精肉会社の強盗シーンには際立った長回しがないし、長回しで記憶に残るのは後者だからです。主人公二人が強盗の不安を語っているのを後部座席から撮影し、男が強盗に入っている間、女が街頭で警官と会話して気をそらし、警官を殴って気絶させ、車で逃げていく二人を再び後部座席から撮影するショットは3分半です。)

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2011年8月 4日 (木)

映画構造と感情システム (42)

「ピクニック」は2004年11月に第20回シネシャモ上映作品として仮想上映しています。当時、紀伊國屋からDVDが発売されたのでした。ジョシュア・ローガン監督、キム・ノバック、ウィリアム・ホールデン主演の「ピクニック」と間違えないように。もっとも、こっちのキム・ノバックのダンスにはクラッときますが。可愛いスーザン・ストラスバーグのほうが好みですけどね。

【嵐の前ぶれ】

「ピクニック」はデュフール家の休日のピクニックを描いた映画である。地元のボート乗りロドルフとアンリが一家の娘アンリエットと母親ジュリエットを誘惑しようとたくらんでいる。

観客の感情経験を促すには、密度が高く、調和のとれた物語とスタイルに関する合図を提示しなければならない。そのような密度の高い、調和のとれた一連の合図は、デュフール家が田舎のレストランに到着したすぐあとに提示される。ロドルフとアンリがレストランの中のテーブルに座り、ロドルフが窓の雨戸を開けると、アンリエットとジュリエットがブランコに乗っているのが見える。ロドルフが若いアンリエットに気づき、彼女に注意を向けると、この映画で最も独特なカメラワークで彼女の美しさをとらえる。彼女はめまいがするほど浮かび上がり、空を背景に彼女の輪郭がくっきりと描かれ、重力にまったく邪魔されていないように見える。ロドルフとアンリが都会人について議論している間、この見事なショットは数回登場する。女性二人の楽しそうな笑い声が聞こえ、ジョセフ・コスマの音楽が複雑な音の混合の前面に出てきて、このすぐれたシークエンスをさらに際立たせる。

カメラは、さらに、ロドルフのアンリエットに対するロマンチックな傾倒と同盟を組むように観客を仕向け、彼の好色な願望を満たす有利な位置を観客に与える。アンリが「君は彼女の体を見ることができないよ」と言うと、ロドルフは「立ってるからね。でも、座ると、もっと面白いだろうよ」と答える。彼らの会話が聞こえないはずのアンリエットは、彼の願望に応えるかのように、ブランコに座る。カメラはブランコの下の地面に置かれ、ロドルフが期待する彼女の足を観客は見ることができる。カメラの位置と体の輪郭を描くことによって、観客と登場人物が共有するのぞき趣味の非常に統合された瞬間が作り出され、アンリエットの身体が興味深い光景となり、ボート乗り、女性たち、観客を巻き込んだロマンチックな軌道を確立する。「ストライキ」では、主に認知の方向性を確立するために形式的な工夫が使用され、意味するものの形式的な働きに注意を向けるよう観客を促していた。「ピクニック」では、カメラ、演出、音楽が連携して、愉快なロマンス作品にふさわしい感情の方向性を引き出している。

このブランコのシークエンスは、この映画の中で最も密度の濃い登場人物の解説も含まれていて、それはアンリとロドルフの簡素な会話を通じて行われる。彼らが二人の女性に期待するロマンスを話し合っているとき、両者の愛に関する考えが決定的に異なるのがわかる。ロドルフは一時的な冒険を求める道楽者で、結果を考えず、深い感情を否定する。一方、アンリは「ほんとうの自分は家庭的な男だ。世慣れた女性は退屈だし、その他の女性は怖い」と言う。ロドルフは快楽主義で、アンリは責任を持つのが怖い。この性格の違いが物語の中で彼らの行動を突き動かす。ルノワールは、この登場人物に関する重要な情報を、映画の中で最も際立ったシークエンスの一つに置いており、映画に対する最初の方向性の確立にとって重要だということを強調している。

(続く)

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「あした晴れるか」

中平康監督、石原裕次郎主演、芦川いづみ共演の1960年の日活映画「あした晴れるか」見ました。ちょうど今振り返っている1978年夏に見たから、33年ぶり。

江戸っ子カメラマン石原裕次郎がフィルム会社の宣伝部に東京探検というテーマの仕事を依頼され、宣伝部員の才女芦川いづみとともに東京をめぐる話。

最初の30分は、伊達メガネをかけて、おでこ丸出しで「ヌーベルバーグがどうのこうの」と難しいことをまくしたてる芦川様のコメディエンヌぶりだけで十分楽しませてくれます。ちょっとした仕草や表情までていねいに演出しているようで、とても愉快。中平監督の次の「あいつと私」もコメディ的な要素があったけど、深刻なエピソードのほうが印象に残ってしまうので、こんな軽いコメディに出ている彼女をもっと見たかったです。予想以上のコメディエンヌぶりで、途中から裕次郎に恋してメガネをとっておしとやかになるわけでもなく、最初のキャラクターを最後まで変えないのがよろしい。

ただ、途中から彼女の家庭事情が少し複雑なことがわかったり、出所した安部徹が昔の仲間の東野英治郎に仕返しに来るというエピソードが中心になったりして、彼女のコメディエンヌぶりが生かされなくなってくるのが残念。石原と芦川の二人がケンカしながら東京のあちこちをめぐるだけで十分だったのに。

上記の助演者以外に、三島雅夫、西村晃、藤村有弘、宮城千賀子、殿山泰司なども出ていて、みんなそこそこ面白いんだけど、もっと面白くなったような気もします。少し不良ぽい中原早苗と杉山俊夫の自然な演技は良かったです。

芦川様の昨年のインタビューがオマケで、この映画に関する面白いエピソードをお話されております。音声のみで、画面には関連シーンが流れます。40数年前に年下の藤竜也とご結婚されてから、全然出てこないというのが昔のスターらしい。

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2011年8月 3日 (水)

キートンのサイレント長編集 (5): 「海底王キートン」

「海底王キートン」は、こちらで全部見ることができるようです。私が持っているDVDと同じものらしく、音楽が同じです。

「海底王キートン」は、キートン・プロでの長編4作目。この頃、半年おきに公開していたようで、前作「探偵学入門」が1924年4月公開で、これは同年10月公開。この作品では共同監督としてドナルド・クリスプを起用しています。グリフィスの助手を務めたのち、1910年代後半から何でも屋の監督となり、俳優としても活躍しました。私がすぐに思い浮かべるのはジョン・フォードの「わが谷は緑なりき」(1941)の父親で、アカデミー助演男優賞を獲得しました。「海底王キートン」では、キートンをギョッとさせる写真の男として登場。

向かいの家に行くのも運転手つきの車で行くようなバカ殿みたいな男と、その向かいに住む金持ちの女性キャサリン・マクガイアがスパイ事件に巻き込まれ、大きな客船で二人で漂流し、最後は南国の住民たちに襲われる話。

キャサリン・マクガイアは前作「探偵学入門」に続いての相手役で、キートン・プロの長編で二本相手役を務めたのは彼女だけじゃないでしょうか。前作では単なるカワイコちゃんでしたが、ここではかなり活躍しています。「大列車追跡」のマリリン・マックも活躍しますが、それ以上だと思います。

短編「マイホーム」と「船出」のスケールを大きくしたような長編で、それらの作品が妻シビル・シーリーと災難を乗り越えるように、マクガイアと災難を切り抜けていきます。マクガイアはシーリー以上に積極的だし、都会的に洗練されいます。船に乗る前のエピソードでキートンはマクガイアに振られてしまいますが、マクガイアは少し気があるようでした。船に乗ってからは新婚夫婦みたいなものです。

まず互いに一人船に取り残されたと思っていた各々が、ほかに誰かいると気づいて、追いかけっこするのが笑わせてくれます。キートンが走り始めると途中から急に全力疾走になるのが、いつ見ても愉快だし、マクガイアも負けじと速く走る。

豪華客船の厨房にあるのは何もかにもサイズのでっかい調理器具ばかりで、今まで食事を用意したこともなさそうな二人が不器用にまずいコーヒーなどを作るのですが、何日か後には、ドタバタコメディでよくあるヒモを使った仕掛けによって手際よく食事の用意ができるようになっています。

二人は幼馴染だろうし、愛情はあっても性欲はなさそのなので、最初の夜に寄り添って寝ても、いやらしい感じはない。ろうそくに火をつけるときに二人の影がキスしているように見えるという演出も愛らしい感じ。

ただ、キートンの意図しないところで、私が勝手にエロチックに思えてしまう場面はあります。薄いドレス姿で海に落ちたマクガイアを抱きかかえて縄梯子を登り、気絶している彼女を組立式の長椅子に横たわらせようとする場面とか、潜水服を着たキートンが仰向けになって丸太状態になり、マクガイアが彼にまたがり、オールを漕ぐ場面とか。

南国の住民に追われた二人が観念して、抱き合って海に沈んでいくラスト間近まで二人の関係が安定しているからか、全体的に調和のとれた心地良い作品だと思います。そのせいかどうか、これはキートンの作品の中で最もヒットした作品らしいです。

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2011年8月 2日 (火)

1978年8月に見た映画 (概観)

第1週

  • 8月07日(月) ブラック・アンド・ホワイト・イン・カラー (岩波ホール) 4点
  • 8月13日(日) サムライ (広島のテレビ) 5点
  • 8月13日20日(日) 天井桟敷の人々 (NHK) 4点

第2週

  • 8月14日(月) グライド・イン・ブルー (月曜ロードショー) 4点
  • 8月20日(日) 最後の脱出 (テレビ) 3点

第3週

  • 8月21日(月) 最後の顔役 (テレビ) 2点
  • 8月22日(火) まっぴら社員・遊侠伝 (テレビ) 1点
  • 8月23日(水) 緋牡丹浪人 (テレビ) 3点
  • 8月24日(木) 男なら夢を見ろ (テレビ) 3点
  • 8月27日(日) オペラハット (NHK教育) 5点

第4週

  • 8月28日(月) 高校大パニック (岡山日活) 2点
  • 8月28日(月) 帰らざる日々 (岡山日活) 4点
  • 8月30日(水) 家庭の事情 (テレビ) 3点
  • 8月31日(木) 燃える大陸 (テレビ) 3点
  • 8月28-30日  マネーチェンジャーズ (NHK) 4点
  • 8月?日(?)  不倫の報酬 (テレビ) 3点
  • 9月01日(金) 楽しき我が家 (テレビ) 3点
  • 9月03日(日) 戦略空軍命令 (テレビ) 3点
  • 9月03日(日) 侠客列伝 (テレビ) 3点
  • 9月03日(日) 巴里の屋根の下 (NHK教育) 4点

以前の鑑賞記録はこちら

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1978年7月第5週に見た映画

8月4日(金) ラスト・ワルツ (日比谷みゆき座) 5点
8月6日(日) ペルソナ (新宿名画座ミラノ) 4点

二本だと楽だなあ。イングマル・ベルイマンの「ペルソナ」から先に取り上げます。このときが最初で、同じ年の10月に「魔術師」「沈黙」とのベルイマン三本立てでも見ています。それ以来見たことがないです。1966年の難解な作品で、リブ・ウルマン演じる舞台女優がしゃべることができなくなることぐらいしか記憶にありません。彼女を看護するビビ・アンデルセンとの関係を描いているようです。白黒で、撮影はスベン・ニクビスト。今見たら、もう少し理解できるのでしょうか。サイト・アンド・サウンド誌が10年ごとに行っている映画史上トップテンでは1972年に19ヵ国の批評家79名が参加して、6位。10位には「野いちご」も入っており、ベルイマンは、オーソン・ウェルズ、ルノワールに次いで監督で3位。この映画市場トップテンは1982年、1992年、2002年も行っていますが、私が高校生だった1972年のトップテンが一番私への影響力が強い。このときの日本からの参加は佐藤忠男氏のみ。BFIに詳しいことが掲載されています

キネ旬では、「アルジェの戦い」が1位だった1967年に、「ふたりだけの窓」と「夜の大捜査線」にはさまれて7位。興行成績では「007は二度死ぬ」が洋画の興行部門の1位で、なんと「続黄金の七人・レインボー作戦」が10位に入っています。バート・ランカスター、リー・マービン、ロバート・ライアンらの西部劇「プロフェッショナル」が3位に入る大ヒットだったとは。オードリー・ヘップバーン主演の「おしゃれ泥棒」が6位で、両親に連れられて福山の天満屋デパートに行くと、ポスターがあちこちに貼られていました。10歳のときで、5位の「夕陽のガンマン」なども含めて、なんとなく知っている、なつかしい時代です。「黒部の太陽」やクレージーキャッツや植木さんの作品が入っている日本の興行トップテンも興味がありますが、「ペルソナ」から遠く離れてしまったので、別の機会に。

「ラスト・ワルツ」は、ザ・バンドのさよならコンサートを収録したドキュメンタリー映画で、3枚組のサントラ盤LPにもスタジオ録音が入っていたし、映画にもスタジオで撮影がされたものが入っていて、コンサートに統一すればよいのにと思いました。私より3歳上ぐらいの大学の先輩たちに人気がある渋いグループでした。このときも映研の先輩と一緒に見に行きました。ザ・バンドは私が中学1年だった1969年にセカンドが出て、ひげ面のおっさんたちの写真を音楽雑誌でよく見かけましたが、その頃はむさくるしいという印象しかなかったです。監督はマーティン・スコセッシ、撮影マイケル・チャップマン。ザ・バンドとゆかりのあるミュージシャンが多数出演し、ザ・バンドをバックに歌ったり、演奏したりしていました。エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェル、ニール・ヤング、リンゴ・スター、ドクター・ジョン、バン・モリソン、ロニー・ホーキンズ、マディー・ウォーターズなどです。ザ・バンド自身の曲では "It Makes No Difference" が私のお気に入りでした。ガース・ハドソンのソプラノサックスが出てくるところで感動します。そういえば、この曲を歌っているリック・ダンコのファーストアルバムを買ったし、彼のコンサートを中野サンプラザに見に行きました。ああ、なつかしい。

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2011年8月 1日 (月)

映画構造と感情システム (41)

本日から第7章「抒情性と、むらの多さ Lyricism and Unevenness」。副題は「ルノワールの「ピクニック」と「どん底」における感情の移り変わり」。

感情には惰性がある。人は、気分によって、くりかえし感情の刺激に立ち戻るよう仕向けられ、そのたびに、その感情を新鮮なものにする。このループが終わるのは、使い果たされるか、刺激が基本的に見直されるか、取り除かれるときである。恐ろしい物から走って逃げたり、怒りを感じる物を乱暴に取り除こうとしたりして、刺激を除去しようとしても、身体が覚醒しているために、しばらく感情は残る。ふつう感情は身体を巻き込むし、心が思考を変えるほど速く身体は覚醒状態を変えることができない。感情を根本的に変えるには、身体が方向性を変えるための時間が必要である。

映画が感情への訴えを持続させるには、この惰性が必要である。「気分と合図に基づく研究法 mood-cue approach」は、感情が一貫した方向性を持続させようとする傾向を持っていることから、連続性に基づいている。では、一貫した調子を持続させている映画だけが感情への訴えに成功することができるのだろうか。映画の感情の研究法は、どのように感情が時間とともに変化するのかを説明できるべきである。感情への訴えが突然変化する映画はどうなんだろう。「気分と合図に基づく研究法」は、どのように映画がそのような変化を作りだすかを説明することができるだろうか。このような疑問を調べるために、ジャン・ルノワールが監督した「ピクニック」と「どん底」を取り上げる。

この二本の映画には感情への訴えにおける際立った変化が含まれている。「ピクニック」は、短編映画の中で最高の作品で、ルノワールの最良の作品に入る抒情的な悲劇だという高い評価を得ている。一方、「どん底」は、1930年代のルノワール作品の中で最もむらの多い作品だと言われている。どのように感情への訴えの変化を成功させているかに関する違いを説明するために共通の要素を含む二本を選んだ。両方とも同じ映画作家によって同時期に作られている。そのため、ルノワールの作品は一本ごとに進化しているという主張を最小限に抑えることができる。また、両者とも小説を原作としている(モーパッサンの短編小説とゴーリキーの舞台劇)。

同じ年に同じ映画作家によって作られた二本の映画が、感情の変化させる方法の点で、どのように異なるのだろうか。どのように「ピクニック」は抒情的とされる方法でロマンスからメランコリーに変化するのか。「どん底」は感情の惰性を克服するために、どのような戦略を使用しているのだろうか。

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