現在読んでいる "Film Structure and the Emotion System" の Greg M. Smith の先駆者たちに関する第4章「その他の認知主義」の最後を飾るのは Torben Grodal の "Moving Pictures: A New Theory of Film Genres, Feelings, and Cognitions"。
【トーベン・グローダル:物語の流れの心理学】
グローダルは、厳密な意味で「現実」ではない再現に対して観客がどのように感情的に反応できるのかという哲学的難問を見事に説明している。グルーダルは、脳の構造に関する認知研究を利用して、現実の判断は「心のモジュール性」(すなわち脳の異なる機能中枢による並列的な処理の可能性)に依存すると主張する。
彼は二つのシステムを仮定している。
・ 現象の現実性を評価し、その現象を「現実」または「虚構」と分類する、より全体的なシステム
・ 知覚を処理し、反応を活発にする、より局所的なシステム
虚構または現実の対象を心で再現することは、心の中では同一の「局所的現実」だが、現実性を判断する全体のモジュールによって観客は虚構を現実と間違えることがないし、局所的なシミュレーションによって喚起される感情を経験することができる。
グローダルは、虚構、現実、感情の相互関係に関する説得力のあるモデルを提示している。グローダルは、タン以上に、映画分析で使用される感情の理解は現在の神経心理学研究と一致すべきだと信じている。彼は、感情システムの構造に対する洞察の主要源として、中枢神経系と自律神経系の構造研究に依存している。彼は、感情機能を理解するための重要な原理として、異なる心のモジュール間の並列的処理と相互作用に重点を置く。
グローダルは、特に感情システムの連想の重要性を力説する。言葉とイメージは、多数の感覚、思考、運動シミュレーション、記憶を呼び起こし、映画スタイルが感情を喚起できる可能性を開く。観客は、映画の筋を処理している間に、映画スタイルに関する情報を簡単に捨て去ることなく、スタイルに関する情報を巨大な視覚メモリーに置いて、連想ネットワークによって働かせ続けることができる。神経学的な感情の概念に基づくグローダルの考え方は、映画感情の分析に関する革新的な研究法を発展させる可能性を含んでいる。その研究法は、単に人物中心の感情の理解のみならず、あらゆる種類のスタイル上の合図を考慮するものである。
しかし、グローダルは、そのようなスタイルに基づく研究法を作り出すことはない。彼が行っている他の想定のために、彼の考え方は非常に登場人物中心になっている。彼は同一化の卓越性を信じているので、感情システムのより革新的な可能性から向きを変えている。
同一化と共感の相互作用を通じて、観客は、登場人物の好み、計画、目標を組み立てて、こうした計画や目標の実行手段や可能性を評価しようとする。観客は、同一化を通じて登場人物の状態を模倣することで、目標達成への登場人物の動機に関する台本を活発にする。もし観客が登場人物に感情移入すると、その台本と調和する感情経験が活発になる。
どのように登場人物が目標を達成しようとするかは、グローダルの感情の分類にとって重要である。もし主人公が目標に突き進む人物で、虚構の世界を積極的にコントロールしようとしているならば、観客は「緊張」を感じるであろう。目標が邪魔されると、緊張が積み重なって「飽和状態」となり、行動傾向へと移ることができない。こうした飽和状態は、身動きのとれないメロドラマの消極的な主人公に観客が同一化するときに生じる。積極的な主人公と消極的な主人公の違いはグローダルの感情の分類には非常に重要である。というのも、この違いは観客間に積極的または消極的な感情のシミュレーションをもたらすからである。主人公が目標に向かう道に妨害物を発見すると、観客も、下流への物語の流れにおいて妨害を経験する。
グローダルのシステムの鍵は、この「流れ」のモデルである。物語の流れは、通常、下流へと向かい、単純な過程から複雑な過程へと進む。流れの初めは映像自体である。カラー、コントラスト、明度などによって驚きといった単純な感情反応が作り出される(抽象的な前衛映画はこの段階にある)。次の段階では、映像との連想的なつながりを求めるよう観客は促される(歌詞はあるが物語性のないミュージックビデオはこの段階にある)。さらに下流の段階に古典的な物語映画がある。行動を評価して、登場人物、動機、目標といった物語の図式にまとめる。こうした物語の図式は、同一化と結合して、より大きな感情反応を作り出す。何らかの妨害がない限り、下流に行くほど、より大きな感情反応が作り出される。
妨害は虚構世界の外にもある。もし映画がスローモーションになったら、目標の達成が延期されるし、より負荷が観客の知覚にかかることになる。グローダルは、これを「抒情的 lyrical」と呼ぶ。虚構世界の内にあるか外にあるかを問わず、登場人物の目標が妨害されるたびに、観客の感情経験は異なる様相へと流れ込む。
グローダルの説は流動性の比喩に基づいている。感情過程の下方への流れが妨害されるごとに、その流れは感情経験の別の様相へと変化する。たとえば、「深夜の告白」は主人公の死が近いことを示すことから始まるので、先の展開を期待する通常の愛と犯罪の物語が妨害されている。すでに結果がどうなるのか知っているので、標準的な物語が重点を置く目標志向が妨害されている。水の流れにたとえるグローダルの説によると、この妨害によって観客の感情経験は飽和と抒情性の「上流」に向きを変え、緊張やサスペンスから遠ざかる。グローダルによる映画の分類と結果としての感情経験は、標準的な下方への流れに対するさまざまな妨害の種類によって左右される。
グローダルによる用語「流れ」と「妨害」は少々わかりづらい。彼は、基本的な概念として同一化を使用することで、虚構世界における登場人物の目標の妨害と観客自身の感情システム内の妨害の差異を隠しやすくしている。同一化のために、登場人物の目標の妨害は観客の通常の感情の流れを妨害する。この二つの妨害は、同じ名称のために交換可能に見えるが、同等のものではない。
「サイコ」を例にとると、グローダルは、同一化できる人物が変わることと、それらの同一化に従って生じる妨害に興味を持つだろう。映画は、注意深く観客がマリオンに共感するように仕向け、彼女の行動が映画をコントロールする間(すなわち、彼女がお金を盗むと決意するとき)、「サイコ」は「緊張」に分類される。捕まるという恐怖がマリオンの心に芽生えると、彼女は積極的に話を形成する者から、差し迫った逮捕におびえる消極的な人物へと変わる。グローダルによると、登場人物の進行が妨害されているので、これは飽和状態への変化である。驚くべきことに、マリオンが殺されたとき、観客の同一化の対象がなくなる。これは妨害の中で最も抗しがたいものである。彼女の死は観客の同一化に「空白」を作りだし、その空白に入り込む人物はノーマン・ベイツしか残されていない。観客の共感相手としては異常な選択に思える。ノーマンが血だらけの浴室をていねいに掃除しているとき、観客は彼と同一化するよう促される。彼が社会から拘束されていないために観客は再び緊張状態に戻り、彼の生活に妨害が生じ始めると映画は飽和状態に戻る。アーボガスト、サム、ライラがノーマンと彼の母親に近づくにつれ、ノーマンの行動は拘束され、いらだちやすくなる。すぐに、道徳面で観客が同一化しやすい人物が登場する。最初は探偵のアーボガストで、彼が殺されると、マリオンの妹のライラが登場する。彼らによってノーマンが窮地に陥り始めると、観客は、虚構世界を積極的にコントロールする人物と同一化する。グローダルの説は、キャロルやタン同様、登場人物が中心である。三人のうち、グローダルの説が最も同一化と密接に関係している。
流れと妨害という比喩を使ったこの考え方の第一の利点は、さまざまな感情経験に関して一連の用語を作り出すことができることである。さまざまな妨害によって、結果としての感情経験に名称を付ける必要が生じる。グローダルは目のくらむような用語をあみだしている。彼は、映画の感情経験のすべてを記述するのに必要なほど幅広い用語体系を提示しようと試みる。彼は、上意下達の分類法を作りだし、映画をジャンルや様式に分類する。
「気分と合図の研究法」よりもグローダルの研究法が有利なのは、前者の下から上への方法よりも包括的な映画経験の用語を提示できることである。だが、前者の方法には個々の映画の表面近くにとどまるという利点がある。より多くの映画を取り込むにつれて、個々の映画の具体的な構造に根ざした用語を付け加えることができる。グローダルの分類法は、個々の作品よりも映画の部類を記述するのに適している。
グローダルは、同一化に重点を置いているために、連想ネットワークの可能性を軽視している。彼の流れモデルにおける連想段階は、かなり低い処理レベルに置かれており、このレベルは、ほとんどの主流の映画において、より大きな同一性のプロセスに取って代わられてしまう。メロドラマや抒情的な作品のように目標志向の下方への流れを妨害すると、観客は連想に重点を置くことに立ち返ってしまうこともあるが、いったん妨害が取り除かれると、下流への勢いによって観客はより大きな感情の流れに身を任せる。
グローダルの研究法のように、「気分と合図の研究法」は、観客が共感する人物をマリオンからノーマンに、アーボガストからライラに変えるのを説明することに関心があるが、登場人物の特徴だけでなく、この共感関係を確立するスタイル上の手段も探る。最初のシーンでは、マリオンの行為に対して、いくらか受け入れることのできる動機が与えられ、観客がマリオンに同一化しやすくしている。かなり標準的な編集技法が使われているが、長回しが一つある。移動カメラは、マリオンがベッドに横たわり、再び起き上がって安ホテルの部屋を動き回るのを追う。空間を移動する人物を追い続けるカメラワークは、物語において彼女が中心的な役割を果たすことを示す重要なスタイル上の目印である。
この工夫は、同一化すべき人物が変わることに目印を付ける以外ほとんど使用されることがないので、特に重要である。同一化の対象がノーマンに移るのは、グローダルが主張するように他に同一化すべき人物がいなくなったからであるが、異常に世俗的な行為によっても同一化の移動を際立たせている。シャワーのシーンのあと、ノーマンが事態を収拾する様子を延々と細かく描いている。手を洗い、浴槽の内外をきれいにし、壁や床をタオルで拭き、車を用意し、トランクを開け、シャワーカーテンで死体を包み、トランクの中に入れる。部屋の中を移動するノーマンを追うことは、彼が新たな同一化の対象であることの目印となる。同様に、ノーマンのモーテルを捜査するアーボガストやライラをカメラが追う。映画の初めのほうで、感情反応を形成する重要なパターンを気づかせるが、こうしたパターンは人物中心かスタイル上のものである。
タンのように、「気分と合図の研究法」は、どのように感情エピソードが確立され、分類され、維持されるかに関心がある。登場人物の動機と目標の理解のみには重点を置かない。サスペンスを確立し維持するための一連の気分に一致した合図を捜す。会話による尋問は(実際のものであれ想像的なものであれ)、登場人物の動機や目標同様に、「発覚の恐怖」反応に合図を送る点で重要である。
映画は、マリオンがお金を盗んだあと、彼女の被害妄想的な思考過程を繰り返し観客に示すことによって、彼女を心配するよう観客に促す。彼女は、運転中、彼女がお金を盗んだことを会社の同僚と家族が発見する一連の会話を想像する。彼女が警官に呼び止められたとき、観客は彼女が神経質になっているのを見る。警察による尋問の間、彼女が不信を抱かせるほど神経質に振舞うので、観客はびくびくする。警官が彼女を尾行するので、彼女の不審な態度が逮捕につながるのではないかと心配する。事実をあばこうとする会話が繰り返されることで、観客のマリオンへの心配が促進される。
同様のスタイル上の技法は、アーボガストがノーマンから情報を聞き出そうとするときにも働く。ノーマンが矛盾した回答をし、不審な態度をするたびに、観客はびくびくする。この尋問は、ノーマンの正体がばれるのではないかという緊張感のある心配を確立し、維持するのに重要である。このように感情の合図が繰り返されることは、より大きな登場人物、動機、目標の構造と同じくらい、感情を喚起するのに重要である。
どの理論家も、自分が好む研究、理論、方法論から感情に関する想定を受け継ぐ。キャロルもタンもグローダルも登場人物に根ざした感情の概念を選んでいるので、登場人物中心に映画感情を説明する傾向がある。「気分と合図の研究法」は、登場人物だけでなくスタイルにも細かい注意を向けているので、彼らの研究法以上に、映画の意味作用全体を分析する研究法に望まれることを満たすことができる。
というわけで、次回からは、この「気分と合図の研究法 mood-cue approach」を具体的な作品に適用する事例研究になります。最初は「ステラ・ダラス」(1937, Stella Dallas)。
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