私の YouTube: 多摩動物園1991年
またまた画質改良版です。編集し直して、以前アップロードしていたものより長めにしています。1991年といえば私が34歳のときで、一つ年下の友人と男二人で平日に動物園に遊びに行ったのでした。
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"The Night of the Hunter: A Biography of a Film" という本が出ました。「狩人の夜」の本といえば、数年前に出た "Heaven and Hell to Play With" という、この作品の製作を詳しく描いた本が決定的で、なにをいまさらという感じですが、今度のは、デイビス・グラッブの原作やジェームズ・エイジーの脚本との比較によって怪優チャールズ・ロートン唯一の監督作を細かく分析しているようです。ウォルター・シューマンの音楽も分析しているようです。"Heaven and Hell to Play With" が出たときに、シネシャモで仮想上映しています。写真は、左から "Heaven..." "A Biography of..." 原作です。
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2月28日(土) 恐怖に襲われた街 (池袋文芸坐) 4点
2月28日(土) フレンチコネクション (高田馬場パール座) 4点
2月28日(土) フレンチコネクション2 (高田馬場パール座) 5点
アンリ・ベルヌイユ監督、ジャン・ポール・ベルモンド主演のコンビによる1971年の「華麗なる大泥棒」が面白かったので、これも期待したのですが、期待していたほどは面白くなかった気がします。でも、4点だから、そこそこ面白かったのでしょう。「ダーティハリー」や「フレンチコネクション」のおかげで、ベルモンドもドロンも刑事をやるようになりましたが、私としては犯罪者役のほうが共感できるんですけど。ベルヌイユとベルモンドのコンビ作は何本あるかというと、Ginette Vincendeau の "Stars and Stardom in French Cinema" によると、「フランス女性と恋愛」(1960)、「冬の猿」(1962)、「太陽の下の10万ドル」(1964)、「ダンケルク」(1964)、「華麗なる大泥棒」(1971)、「恐怖に襲われた街」(1975)、「追悼のメロディー」(1976)、"Les Morfalous" (1984) と、8本ありました。それで気づいたのですが、もしかしたら期待はずれだったのは「追悼のメロディー」だったような気がしてきました。音楽エンニオ・モリコーネ、撮影ジャン・パンゼ(「火遊び」"Le Farceur" "L'amant de cinq jours" (私が見たくてしょうがないジャン・ピエール・カッセル主演のド・ブロカ監督初期作品3本)、「老人と子供」(クロード・ベリ)、「君に愛の月影を」(ド・ブロカ)、「刑事キャレラ 10+1の追撃」(フィリップ・ラブロ)、「相続人」(フィリップ・ラブロ)、「怪盗二十面相」(ド・ブロカ))。
「恐怖に襲われた街」の併映が何だった知りませんが、文芸坐では一本だけ見て、「フレンチコネクション」二本立てに駆けつけたようです。アカデミー作品賞、主演男優賞(ジーン・ハックマン)、監督賞(ウィリアム・フリードキン)の一作目は何度も見ているのでさておいて、この日の目玉はジョン・フランケンハイマー監督の二作目。原題も "French Connection II" (1975)。二作目というとガタ落ちする傾向がありますが、さすがフランケンハイマー、かなり面白くて、私は満点を付けています(一作目の点数が低いのは何度も見ているからでしょう)。一作目のシャープさはないですが、一作目よりも話がわかりやすくて、伝統的なアクション映画の面白さがあったような気がします(もっとも、ドイル刑事が悪者に捕らえられて、薬漬けにされる場面をぼんやり憶えている程度ですが)。音楽ドン・エリス、撮影クロード・ルノワール、共演フェルナンド・レイ、ベルナール・フレッソン、フィリップ・レオタール、エド・ローター(まだ活躍中で、うれしい)。
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特に必要のないお金を押しつけられて、どうしようと思っていたら、拉致被害者に関する意見広告をニューヨークタイムズに再び掲載しようという運動を起こしたのを勝谷さんの有料配信メールで知り、これに全額寄付することに決めました。
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あややの「チョコレート魂」のDVDはガッカリでした。別バージョンは正式バージョンとあまり変わらないし、メイキングもなんか機嫌悪そうで、全体的におざなりな感じ。元気がないと、厚めの化粧と派手な衣装が安っぽく見えてしまう。もう、この手の曲は歌いたくないのか。ハロプロを卒業することだし、大人のポップス歌手として成長していってほしい。心配なのは、あまりに売れないと、今後、彼女の作品が出なくなるんじゃないかということ。アルバム「ダブルレインボウ」と「想いあふれて」は大好きなので、皆さんにお勧めしたいのはやまやまですが、3千円は高い。彼女のアルバムがそれだけの金額に見合わないという意味じゃなくて、日本のCD全体が3千円なのが気に食わない。アルバムは2千円、シングルは5百円が私には手頃な価格なんだけど。
2月26日(木) 砂のミラージュ (新宿ロマン) 3点
2月26日(木) ガルシアの首 (新宿ロマン) 4点
「砂のミラージュ」は、1972年のペルー映画で、アルマンド・ロブレス・ゴドイ監督。大阪万博で「みどりの壁」が注目を集めたそうです。この「みどりの壁」は山田宏一さんの1971年の1位で、「砂のミラージュ」も山田さんがほめていたから見たような気がします。が、私にはあまり面白くなかった。この年の4月に出た山田さんの「映画この心のときめき」(白川書院)によれば、彼の1975年の外国映画ベストテンは「処女の生血」「ロンゲスト・ヤード」「ザ・ファミリー」「ドラブル」「コンラック先生」「コンドル」「暗黒街の顔役」「ヤング・フランケンシュタイン」「マンディンゴ」「砂のミラージュ」でした。彼のベストテンから一般的なベストテンが想像できないので、これといった決定的な作品のない一年だったような気がします。実際、キネ旬の1975年のベストテンは、「ハリーとトント」「愛の嵐」「アリスの恋」「レニー・ブルース」「デルス・ウザーラ」「ザッツ・エンターテインメント」「ルシアンの青春」「ゴッドファーザーパート2」「フロント・ページ」「ジョーズ」でした。私の1975年は、東京に出てきてトリュフォー作品がいっぱい見れて、うれしい一年でしたが。
「ガルシアの首」(1974, Bring Me the Head of Alfredo Garcia)は、「ワイルドバンチ」、「ゲッタウェイ」、「わらの犬」などで派手な暴力描写の監督というイメージが定着したサム・ペキンパーとしては、渋い作品だった気がします。主演がウォーレン・オーツだったからか。白いスーツを着た彼が、疲れた様子で、メキシコの田舎の道端に座っているという映像のみが強く記憶に残っています。しかし、ウィキペディアによると、やはり暴力描写はふんだんにあるようです。
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これも以前から YouTube にアップロードしていたビデオの画質を向上させたもの。1984年にビクターの一体型ビデオを購入したときに、写真家の佐藤ジンさんが撮影のために車を借りてきて、運転してくれたのでした。ちょうどカーステレオからニナ・ハーゲンだかリーナ・ラビッチだかがかかったとき、なぜかズームを多用せずに長回しで撮影していて、あとで家に帰ってテレビで再生してみると「映像と音がマッチして素晴らしいじゃないか」と二人で喜んだ奇跡の映像となっていたのでした。
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2月25日(水) あの手この手 (?) 3点
この頃よくダニー・ケイ主演のコメディをテレビで見たような気がします。子供好きで、ユニセフ大使で、親日家だったから、この頃人気があったのかもしれません。1913年生まれで、1987年に74歳で死去。1940年に結婚した奥さんとは死ぬまで連れ添っていたらしい。その奥さんはシルビア・ファインといって、ダニー・ケイ主演のミュージカルコメディで歌われる曲の作詞をずっと手がけていたらしい。「あの手この手」では作曲もしています。音楽監督はビクター・ヤングで、振付はマイケル・キッド。"Knock on Wood" という原題の1954年の作品で、ダニー・ケイがパラマウント移籍後初の主演作。それまではサミュエル・ゴールドウィンのもとで作品を作っており、「虹を摑む男」など彼の名作はゴールドウィン時代に作られたようです。「あの手この手」は、メルビン・フランクとノーマン・パナマのコンビが製作・監督・脚本を担当しています。共演はマイ・セッタリングで、芸人がスパイ騒動に巻き込まれるお話。テクニカラーで撮影はダニエル・ファップ(「ウエストサイド物語」「大脱走」「電撃フリント/GO!GO作戦」)。
ポーリン・ケイルは "5001 Nights at the Movies" で次のように書いています。「このダニー・ケイのコメディは、笑いを誘うものと一般に認められているが、相当数の人はうめき声をあげるだろう。ケイに才能があるのは明らかだが、彼の才能は「家族向け娯楽」という泥の中に埋もれてしまっている。彼は、自分の人形を制御できない腹話術師を演じており(マイケル・レッドグレイブが腹話術師を演じた "Dead of Night" にプロットが似ているのは、あながち偶然とも言い切れない)、マイ・セッタリングが精神分析医を演じている。いらいらさせる無邪気な若者は、ときおり突発的に猛烈な風刺に走るが、たいていは不細工なお決まりの演技を見せるだけである(もし彼がもう一度アイルランド人のものまねをすれば、幼児でさえ一服しに外へ出たくなるだろう)。」
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これも以前アップロードしていたビデオの画質を向上させたものです。1987年の暮に兄一家の車に乗せてもらって帰省しました。ラジオから流れるCMや音楽がはっきりと記録されているので、それを生かしています。中山美穂の曲が長すぎるのが不満だったので、今回短くしました。以前アップロードしていたものは、ヒット数が800ほどで、私のビデオとしてはかなり多いのですが、福山雅治で検索して迷い込んでしまったのだろうか。
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どうも本をいっぱい読むっていうのに興味なくって、今日も新聞を見ていると、月百冊近く読破するという人がいたり、テレビでねじりネクタイの俳優が毎日一冊読むって話してても、「だからどうした」って思ってしまう。自慢じゃないが、私なんか、ここ数年、一冊丸ごと読んだことがないような気がする。しかし、毎日毎日、わかりづらい日本語を解釈して、英語を書くという仕事をしているので、文章に接する時間は長い。で、本を購入しても読む暇がなくて、たまに、あちこち眺める程度なんですが、それもいいじゃないか。
写真に写っているのは今年購入した本。本棚に並べて撮影したので、バックに積んである本は関係ありません。手前の背表紙のが今年購入した本。
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3月の終わりごろ、トリュフォーの「終電車」の二枚組が出ます。オマケは、当時のトリュフォーやドヌーブらのテレビインタビュー、サビーヌ・オードパンやポーレット・デュボストらの新しいインタビュー、撮影のネストール・アルメンドロスのインタビュー、トリュフォーが撮影してゴダールが完成させた「水の話」など。あまり食指が動かない。すでにトリュフォーの全作品をDVDでそろえているし、これらのインタビューを見る暇があったら、"Rutgers Films in Print" シリーズから出ている、シナリオや批評が収録された「終電車」という本を読んだほうがいい。「水の話」は「アラン・レネ/ジャン・リュック・ゴダール短編傑作選」という日本盤DVDに収録されています。
ピーター・イエーツは、「ヤング・ジェネレーション」が大好きなんだけど、"The Friends of Eddie Coyle" というロバート・ミッチャム主演の1974年の犯罪映画も、なんか面白そう。"Film Noir: An Encyclopedic Reference to the American Style" にも載っています。余裕があれば注文するだろうけど、今は無理だなあ。5月発売。
今村昌平の「豚と軍艦」(丹波哲郎が傑作)、「日本昆虫記」、「赤い殺意」の3本セットも5月に出ます。4月に出るジャン・パンルベの科学ドキュメンタリー3枚組は4千円弱か。安いから買おうかな。
イクリプス・シリーズは、3月の清水宏に続いて、4月は「アレクサンダー・コルダの私生活」というタイトルで、「ヘンリー八世の私生活」「ドン・ファンの私生活」「カザリン大帝」「レンブラント・描かれた人生」の4本が収録されています。歴史ものは苦手なので、パス。
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昼、ホットカーペットの上で毛布をかぶって「笑っていいとも」と「ごきげんよう」を見るのが楽しみです。「ごきげんよう」をうつらうつらしながら見ていると、ありゃりゃ、こんなところでお目にかかるとは。
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2月19日(木) 激闘 (?) 3点
記録によると、ジョン・クロムウェル監督、タイロン・パワー、ロディ・マクドウォール、ジョージ・サンダーズ出演、撮影アーサー・ミラー、音楽アルフレッド・ニューマン。撮影と音楽もちゃんと記録していました。IMDb で調べると、原題は "Son of Fury: The Story of Benjamin Blake" で、1942年の20世紀フォックス製作配給作品。その他の出演者はジーン・ティアニー、フランシス・ファーマー、エルザ・ランチェスター、ジョン・キャラダインら。プロデューサーはダリル・ザナック。エジソン・マーシャルの原作をフィリップ・ダンが脚色。goo のあらすじによれば、冒険もので、1800年ごろのインド、イギリス、南海の島が舞台らしい。
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2月18日(水) レモンのゆううつ (?) 3点
たぶん、東京12チャンネルの昼下がりの映画劇場で見たのでしょう。バート・バカラック夫人とディック・バン・ダイク主演と記録しているだけです。キネ旬の俳優事典でアンジー・ディッキンソンとバン・ダイクを調べても、こういう邦題の映画はないので、日本では劇場未公開でしょう。監督・脚本ガーソン・ケニン、音楽ジョニー・マンデル、撮影バーネット・ガフィらによるコメディ。原題は "Some Kind of a Nut"。IMDb では、47人が投票して4.4点だから、あまり面白くなさそう。
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高血圧のほかに尿酸値が高いのが判明したうえに、精神安定のために自律神経調整剤も処方してもらって、薬漬けになってしまいそう。洋書もDVDも一生楽しめる分だけあるので、こづかいは医療費に回そう。20代の頃、夜中働いて、昼間映画を見ていた生活が今頃になって祟ったのか。
新曲「チョコレート魂」をひっさげて、バレンタインデー前後にはテレビ出まくりかと思いきや、久本雅美の隣でゲストの話を聞いている彼女しかお目にかからない。「きずな」が発売されたころ、はるな愛と一緒にテレビ出演しているのをよく見たけど、あれは、はるな愛を引き連れていたのではなく、彼女に引き連れられていたのか、というぐらい、はるな愛をよく見かける。「チョコレート魂」を生で歌うあややにはお目にかかれないのか。
そのかわり、さだまさしの「道化師のソネット」を見事に歌い上げています。2チャンネルで話題になったらしく、短期間でかなりのヒット数になっています。
http://www.youtube.com/watch?v=ICgobHhaxvg
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通常、私のビデオの再生回数は30ほどなんですが、これは1400もありました。たぶん題材のせいでしょう。これも画質を改善させた版をアップロードしました。
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2月14日(土) 嘆きのテレーズ (?) 4点
東京12チャンネルで夜10時か11時ごろから見たような気がします。エミール・ゾラの「テレーズ・ラカン」をマルセル・カルネとシャルル・スパークが脚色し、カルネが監督。主演はシモーヌ・シニョレとラフ・バローネ。マザコンの夫とその母親とともに息苦しい生活を送っていたテレーズはトラック運転手と不倫する。夫はトラック運転手に列車から突き落とされて死亡する。警察が事故死としたためにテレーズと不倫相手は幸せをつかめると思ったが...というようなお話。息子の死を聞いて半身不随になり口がきけなくなった母親がテレーズを凝視する顔が恐ろしかった。シルビーという女優さんが演じています。1954年のキネ旬外国語映画ベストテンでは、「恐怖の報酬」「波止場」「ローマの休日」などを抑えて第1位。プロデューサーは、「獣人」「肉体の冠」「二重の鍵」「太陽がいっぱい」「太陽はひとりぼっち」「昼顔」「裸足のイサドラ」などのアキム兄弟、音楽は「天井桟敷の人々」や「花咲ける騎士道」のモーリス・ティリエ、撮影は「ナポレオン」「悲恋」「天井桟敷の人々」などのロジェ・ユベール。白黒。
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以前から YouTube で公開していたものですが、あまりに画質がひどかったので、改良バージョンをアップロードしました。
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半年ぶりに YouTube にアップロードすると、容量が100MBから1GBに増えていて、画質が大幅にアップ。散歩の途中で撮影した鳥たちです。
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「ポケット一杯の幸福」が、ケイリー・グラントの「気まぐれ天使」とローレルとハーディの「玩具の国」と一緒になった MGM Holiday Classics Collection というDVD3枚組を見つけたので、思わず注文しちゃいました。
「見知らぬ乗客」がフィルム・ノワール?って思ってしまいますが、"Film Noir: An Encyclopedic Reference to the American Style" には、ちゃんと載っています。ヒッチコックとフィルムノワールの関係については巻末にエッセイが掲載されていて、いつか機会があれば読んでみます。で、今回は「見知らぬ乗客」の解説をざっと読んでみます。
罪の意識というのがヒッチコック映画に繰り返し現れるテーマで、偶然犯罪に巻き込まれた無実の男の罪の意識に焦点が当てられることが多い。「間違えられた男」のヘンリー・フォンダ、「白い恐怖」のグレゴリー・ペック、「裏窓」のジェームズ・スチュアートらがそうだ。しかし、「見知らぬ乗客」でファーリー・グレンジャーが演じるガイが無実かどうかは専門的な分析を必要とする。ガイは、利己主義で、日和見主義で、少なくとも、ブルーノ(ロバート・ウォーカー)の申し出を真面目に受け止めなかったことで部分的に妻の殺害に責任がある。実際、ブルーノによる妻の殺害は、あまりにもガイの目的を満たしすぎる。ガイは、妻から解放され、政治的に利点の多い再婚を行うことができるようになる。ブルーノに対するガイの拒絶は弱すぎるので、同意と受け止めることもできるし、その後の彼の行動は、ブルーノを正義の場に立たせることよりも、面倒を避けたいという欲求が動機になっているように見える。
ブルーノは無責任な人物で、ウィットがあって、直接的で、ひどく同情的である。不愉快なガイ以上に犠牲者に思える。彼の思い込みによる取引で自分の役割を果たしたのち、彼は裏切られる。有罪と無罪が混在している「見知らぬ乗客」の世界はフィルムノワールらしくはあるが、それ以上にヒッチコックの世界である。その世界では誰も責任から逃れることはできない。観客さえも。「サイコ」で、殺人者が犠牲者を乗せた車を池に沈めるとき、一瞬、車の沈んでいくのが止まってしまう。観客は、何事もなく車が沈んで凶悪犯罪の証拠がすべて埋もれてしまえばいいのにと殺人者の立場になってしまう。「見知らぬ乗客」にも同じような場面がある。ガイのライターを殺人現場に置こうとしているブルーノは、その途中で道路脇の排水溝にライターを落としてしまい、格子に手を突っ込んでもなかなかライターに届かない。一方、ブルーノを追いかけたいガイは、テニスの試合の最中で、早く試合を終わらせたい。この場面でも、観客が共鳴するのは殺人者なのである。
続いて、故ポーリン・ケイル女史が "5001 Nights at the Movies" で、どう書いているか読んでみましょう。
ヒッチコックの奇妙で意地が悪いコメディ。ロバート・ウォーカーが、ぞっとするウィットと魅力的な退廃感を持つブルーノの役柄に陽気な独創性をもたらしている。強烈に楽しめる作品で、ある意味、ヒッチコックのアメリカ作品の中ではベストである。殺人の筋書きは非常に実用的なので、誰でも応用できる。彼は刑罰を受けることなく父親を殺すことができないが、ほかの人ならできると思っている。ブルーノは、不幸な結婚をしたテニス選手ガイと出会い、ガイの妻を殺し、そのお礼に自分の父親を殺してくれるだろうと期待している。映画のクライマックスは有名なメリーゴーランドの暴走だが、興奮や興味が最高潮に達するのは、ガイが非常にイライラしながらテニスの試合を行っているときに、ブルーノがライターを拾おうとしている場面である。しかし、観客が一番記憶するのは、この最高潮の場面ではない。それはロバート・ウォーカーだ。ヒッチコック映画で観客が演技について考えることはあまりない。観客がおぼえているのは「39夜」の切断された指だったり、「海外特派員」の反対に回る風車だったりする。しかし、ウォーカーの演技は、「見知らぬ乗客」に、その特徴のほとんどと特異な魅力を与えている。レイモンド・チャンドラーが自らの原作の脚色に関わったことがないのはハリウッド特有の倒錯行為だが、それでも彼は「深夜の告白」(ジェームズ・ケイン原作)と「見知らぬ乗客」(パトリシア・ハイスミス原作)に参加している。チャンドラーとチェンチ・オーモンドは、スリラー映画で最良のセリフをいくつか提供している。
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2月8日(日) ポケット一杯の幸福 (?) 4点
日曜だから、日曜洋画劇場で見たのか、NHKが昼間放映していたのか。アメリカで1961年クリスマス公開の心温まるコメディで、フランク・キャプラの最後の作品。といっても、彼が亡くなったから最後の作品になったわけではなく、引退したから最後の作品になったわけで、実際に亡くなるのは、この30年後で、94歳の長寿でした。ということは、引退したときは、まだ64歳だったわけだ。しかし、この頃の64歳は今の74歳ぐらいの感じなんだろうか。原題は "Pocketful of Miracles" で、キャプラは1933年にも同じ原作で "Lady for a Day" という映画を作っています。こちらの邦題は「一日だけの淑女」。そのときはデイモン・ラニアンの原作をキャプラ作品でおなじみのロバート・リスキンが脚色したのですが、今回さらに別の人が脚色しているようです。リンゴ売りのばあさんベティ・デイビスは娘をスペインの尼僧学校に預けているが、その娘が伯爵の息子と結婚することになり、伯爵たちと一緒にニューヨークにやってくる。ベティは、自分が貴婦人であると娘に偽っていたので、困ってしまう。その様子を見たヤクザの親分グレン・フォードは、自分がここまでのしあがってこれたのは彼女からリンゴを買っていたおかげだと思っていたので、彼女を貴婦人に仕立て、子分や踊子たちを紳士淑女に扮装させてパーティーを開く。ユナイテッドアーティスツ配給作品で、プロデューサーはキャプラやグレン・フォードら、音楽ウォルター・シャーフ、撮影ロバート・ブロナー。ほかの出演者は、ホープ・ラング、アーサー・オコネル、ピーター・フォーク、トーマス・ミッチェル、エドワード・エベレット・ホートン、アン・マーグレット、ジャック・イーラムら。白黒の記憶があるのだけど、私のテレビが白黒だったからで、本当はカラーらしい。しかもワイドスクリーンで136分あるから、DVDでちゃんと見てみたい。
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中学から大学にかけて創元文庫などの推理小説ばかり読んでいて、世界や日本の名作をほとんど読まなかったから、こんな大人になってしまいました。アガサ・クリスティは、特に好きなわけでもなかったし、特に嫌いなわけでもなかったです。でも、作品数とか、1900年代に作品を発表してきたペースとか、手ごろな感じがして、同じイギリス人のPGウッドハウスとともに、もし老後というものがあれば、ゆっくり楽しみたいと思うのです。
少し前に "A Complete Christie: An Agatha Christie Encyclopedia" と事典を発見しました。実は、クリスティに興味を持ったから発見したのではなく、この事典が面白そうだったからクリスティに興味を持ったのです。届いてみてがっかりだったのは、クリスティ原作の映画の白黒写真が少しあるだけで、見て楽しめる本じゃなかったことです。
で、さらに探してみると、"Agatha Christie: A Reader's Companion" という本があって、紀伊国屋で千円少々の古本を注文したら、新品同様の本が届いて、これが紙質が良くて、見開きすべてにきれいなカラー写真が掲載されていて、ビンゴ!
世界の名作を読んで教養を深めるのはあきらめて、昔読んだ推理小説を英語であらためて読んでみるっていうのもいいかもね。
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2月6日(金) 勇者のみ (?) 3点
金曜だからフジテレビのゴールデン洋画劇場だったか、それとも東京12チャンネルの昼間の映画劇場だったか。同じ邦題で、フランク・シナトラ監督主演の1965年の日米合作映画があるようです。原題は "None But the Brave"。第二次大戦中に無人島で米軍と日本軍がフットボールの試合をやるらしい。こっちのほうが面白そう。しかし、この日見たのは、ゴードン・ダグラス監督、グレゴリー・ペック主演の西部劇で、原題は "Only the Valiant"。どんな映画がさっぱり忘れているし、今も興味なし。どうもグレゴリー・ペックって好きになれない。
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やっと仕事が切れたので、残りを一気にやりました。来月はジャッキー・ブレンストンの「ロケット88」。
「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」は1940年にモーガン・ルイスとナンシー・ハミルトンがブロードウェイ劇 "Two for the Show" のために書いた曲だ。この二人は "I'm Sitting on Top of the World" やレイ・ボルガー Ray Bolger の有名なテーマ曲 "Old Soft Shoe" も書いた。その年、ベニー・グッドマンは、ヘレン・フォレスト Heren Forrest のボーカルで「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」をポップチャートの6位までヒットさせた。1948年にはスタン・ケントン Stan Kenton の楽団が20位まで上昇させた。
レス・ポールとメアリー・フォードは1950年までにハリウッドを離れ、ニューヨーク州のジャクソン・ヘイツに居を構えた。新しいテレビ音楽ショー "Les Paul and Mary Ford at Home" のスポンサーに近づくためた。レス・ポールは自宅の地下室のスタジオで「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」を録音した。レス・ポールはビーバップのファンで、ビーバップがまだ地下で潜行していた時代にこの曲を知った。1940年代初期にビーバップを築いたミュージシャンの一人、トランペット奏者のディジー・ガレスピー Dizzy Gillespie が、ビーバップ発展のかなり初期にこの曲をビーバップ賛歌に作り変えた。マイルズ・デイビスも録音した。サックス奏者イリノイ・ジャケー Illinois Jacquet がジャズ・アット・ザ・フィルハーモニックで演奏したバージョンは、このコンサートをレコードにして発売するようモーゼス・アッシュ Moses Asch を説得するのに役立った(最初のR&R1曲目「ブルーズ」参照)。アルトサックス奏者チャーリー・パーカーの最も有名な曲の一つ、「オーニソロジー Ornithology」も「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」のコード変化に基づいているし、たぶんレス・ポールとメアリー・フォードがキャピトルからレコードを出す直前に、ソネットレーベルのために「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」を録音している。
レス・ポール自身も、5年前の1945年に「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」のインストバージョンをVディスク V-Disc のために録音していた。Vディスクは、海外駐在米軍放送のレーベルで、1942年から1948年にかけて軍隊向けに78回転の30センチ盤を出していた。この初期のジャズバージョンは、リズムギター、ベース、ピアノが伴奏しており、1分半程度の使い捨てだった。
彼が再びこの曲を録音したのは、メアリー・フォードの姉妹キャロルが推薦したからだ。ポール自身はこの曲にあまり信頼を置いていなかった。「ミュージシャンが好む曲だが、大ヒットしたことは一度もなかった」からだ。しかし、ある夜、近くの居酒屋にいたとき、コースターにポップ調のアレンジを略述して、翌日か翌々日にギターのトラックを録音した。
ステレオ(ツートラック)のオープンリール・テープレコーダーは1954年にならないと利用できなかったが、レス・ポールはくじけなかった。ビング・クロスビーがくれたモノのレコーダーに再生ヘッドと録音ヘッドを取り付け、多重録音ができるようにした。
レス・ポールは、多重録音されたギターの音に電子的なエコーをかけたが、これは、のちにロカビリーレコードの特徴となった。メアリーの声も同じように処理した。多重録音にもかかわらず、メアリーのハーモニーは明瞭である。ボーカリストはマイクから2フィート(約60センチ)離れなけばならないというレコード業界の原則をレス・ポールが破ったからだ。彼は、メアリーのすべての息づかいを拾うために彼女をマイクから数インチ離れた所に立たせた(現在これは音楽産業で当たり前のことになっている)。振り返ってみると、本当に「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」を特色づけているのは、レス・ポールのギターソロと終結部である。ビル・ヘイリーと彼のコメッツのギタリスト、ダニー・セドロンのほどんどのソロは、これを参照している。"Rock the Joint"(最初のR&R28曲目)と "Rock Around the Clock"(39曲目)におけるセドロンの素晴らしい仕事は、ほとんどレス・ポールの模倣である。
レス・ポールが完成したテープをキャピトルに渡したとき、重役たちは発売するのをためらった。「彼らは、歌詞の意味がわからないと言った。」だが、レス・ポールは、「パティ・ペイジに対抗するために」レコードを出すよう彼らを説得した。
1951年に「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」がどんなにワイルドでエキサイティングだったかを評価するには、その年に大ヒットを放ったポップ歌手を考えてみればいい。デビー・レイノルズ(「アバ・ダバ・ハネムーン」)、ジョー・スタッフォード("Shrimp Boats")、エームズ・ブラザーズ、ローズマリー・クルーニー、そしてもちろんドリス・デイとエディ・フィッシャーで、彼らはみんなビッグバンド時代の遺物だった。
このあと数年間、レス・ポールとメアリー・フィッシャーはヒット曲を出し続けたが、1951年に彼らが享受した成功には達しなかった。1953年に "Vaya Con Dios" が一位になったあと、彼らの人気は落ちて、ロックンロールによって業界から追い出されそうになった。だが、レス・ポールは、ギブソンの「レス・ポール」エレキギターとエイトトラックの録音装置によって名声と富を獲得した。メアリー・フォードはレス・ポールと1963年に離婚し、14年後にガンで亡くなった。
新たな世代のギタリストがレス・ポールを発見し、彼のギブソンギターと録音は確実に永続する。
デビー・レイノルズの「アバ・ダバ・ハネムーン」って、バックはビックバンドだけど、サウンドは完全にロックンロールのように聞こえます。ジョー・スタッフォードって男かと思ったら、きれいな女性で、声がしっかりして、参っちゃいます。1950年ごろってすごかったんだなあ。「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」は私のサイトでまとめて読むことができます。右の「最初のロックンロール」をクリックしてください。
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YouTube のおかげで曲が参照できるようになったのがありがたい。特に今回は、レス・ポールとパティ・ペイジのカバー合戦が面白い。曲名をクリックすると、YouTubeでその曲を聴くことができます。
また、レス・ポールは自らの楽しみのための試みも始めた。ヒルビリー四重奏だ。しかし、リードシンガーがいなかった。たまたま歌うカウボーイのスター、ジーン・オートリーと出会って、アイリス・コリーン、サマーズ Iris Colleen Summers (1928年7月7日生まれ)というパサデナ出身の女性を紹介された。彼女は、ジーン・オートリーのラジオ番組で何度か歌ったことがあった。サマーズはレス・ポールのグループに参加し、メアリー・フォードとなった。1949年の大晦日にはレス・ポール夫人にもなった。
パティ・ペイジがB面に収めたピー・ウィー・キング Pee Wee King の「テネシー・ワルツ」で偶然にもヒットを飛ばしたとき、レス・ポールとメアリー・フォードは、そっくりバージョンをカントリー市場で発売し、多重録音の声が似ていたので混乱をもたらした。マーキュリーレコードはキャピトルが土足で踏み込んできたことに不満だったので、レス・ポールとメアリー・フォードが「モッキンバード・ヒル Mockin' Bird Hill」を出し、ヒットし始めると、パティ・ペイジを急いでスタジオに呼んで同曲を録音させた。この二つのバージョンはポップチャートで競い合った。両方とも3位まで上昇し、100万枚売り上げた。レス・ポールとメアリー・フォードにとっては1951年に発売したミリオンセラーヒット3曲の最初のレコードであり、彼ら最大のヒットで最も影響力が強い「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」のお膳立てをした。(続く)
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あややの「想いあふれて」は、第一週29位で、5千枚も売れていない。応援しがいがあるぞ。来週発売される「チョコレート魂」に期待だけど、今 Dohhh Up で見ることのできるビデオクリップは一箇所で撮影された地味な出来栄えなので、実はこれがオマケの映像で、もっと派手なのを撮影中だとかって噂はない?
仕事が忙しいので、最初のロックンロールは細切れの訳になります。完成した段階で一気に読んだ方がいいかも。例によってテキトー訳で、技術的にわからない箇所は省略しています。
レス・ポールはエジソンとジャンゴ・ラインハルトを足して二で割った存在だった。彼は1915年6月15日にウィスコンシン州ワウケシャで生まれた。本名は レスター・ウィリアムズ・ポルファス Lester William Polfus。少年の頃、バンジョー、ハーモニカ、ギターを独学で覚えた。機械いじりも好きだった。9歳のとき、「なぜ列車が通り過ぎると、窓がガタガタいうのか」という単純な質問に答えるための探究を開始した。13歳になるまでに独自のディスク録音機を開発した。ビクトローラのトーンアームとキャデラックのはずみ車を使い、2ヘルツのピッチで窓をガタガタいわす列車と同じ原理を利用した。彼は1929年に地元ラジオ局のヒルビリー・ショーに出演し始めたが、その一つをディスクに録音している。1943年、彼はハリウッドに移った。彼とデッカの契約を手配してくれたのはビング・クロスビーだった。翌年、彼の友人ナット・コールに招かれて、ノーマン・グランツの最初のジャズ・アット・ザ・フィルハーモニックで演奏した(最初のR&R1曲目 "Blues" 参照)。
バンガローのガレージに録音スタジオを作った。最新機器をそろえていたので、アンドリューズシスターズなど何人かの一流アーティストがそこで録音した。スタジオ唯一の出入り口は窓だった。そのスタジオで、彼は自作エレキギターによる録音を試みることができた。実験によって、1947年にキャピトルレコードと契約したあとで「ニューサウンド」として知られるようになるものに到達した。彼は「ニューサウンド」と題された驚くべき25センチアルバムを録音した。スピードアップされたギターやワイルドな効果が特徴だった。アルバムの一曲、"Lover" は、非常に歯切れよくて時代を先取りしていたので、ヒットしただけでなく、ハイファイの試聴盤としても人気があった。(続く)
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2月5日(木) 二重スパイ国際謀略作戦 (?) 4点
放映されたのは、東京12チャンネルで昼2時から毎日放送されていた映画劇場か、同じチャンネルの木曜洋画劇場か。あまり有名な作品ではなさそうなので、昼下がりの映画劇場が似合いそう。デビッド・マッカラムとスーザン・ストラスバーグ主演と記録しています。イリヤ・クリヤキンと「ピクニック」の可愛い文学少女の共演です。といっても、1955年の「ピクニック」のときに17歳だったストラスバーグも、この1970年の作品では30代半ばになっていたはず。この映画の彼女がどんなだったか記憶がないし、そもそも映画の記憶がない。IMDb によれば、"Hauser's Memory" という原題で、もともとテレビ用の映画だけど、日本では劇場公開されたらしい。監督ボリス・セイガル。
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2月4日(水) 見知らぬ乗客 (?) 4点
すでに1972年のお盆の深夜に見たことのあるヒッチコックの "Strangers on a Train" (1951)。IMDbのユーザー投票トップ250で108位なのか。主人公のファーリー・グレンジャーが単なる二枚目にしか見えないので共感しにくいんだけど、その分、精神異常者のロバート・ウォーカーに興味が集中します。原作はパトリシア・ハイスミスで、脚本にレイモンド・チャンドラーが参加。撮影ロバート・バークス、音楽ディミトリ・ティオムキン。ワーナー製作配給。"Film Noir: An Encyclopedic Reference to the American Style" に解説が載っているので、近いうちに訳してみようと思います。ヒッチコックは語られすぎで食傷気味だったので、このところあまり見たいとは思わなかったのですが、あらためて見てみたい気がしないわけでもない。
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ハーモニーの声は奇妙に似ていて、ボズウェルシスターズやアンドリューズシスターズのようだ。しかし、レコード会社の表示によれば、それらは一人の女性、メアリー・フォードによるものだ。オーバーダビング(多重録音)は当時「サウンド・オン・サウンド・レコーティング(音に音を重ねる録音)」と呼ばれていて、少なくともポップスの世界では割と目新しいものだった。レス・ポールは、何度もギターの音を重ねることのできるテープレコーダーを開発し始めたが、彼の工夫は珍妙なものでしかなかった。メアリー・フォードと組んで、オーバーダビングの曲を全米1位に押し上げるまでは。
多重録音した最初の有名ポップシンガーはパティ・ペイジだった。ペイジは次のように語っている。「1947年の大晦日の夜にシカゴで録音したの。ミュージシャンのストライキせいで1948年は録音が禁止されそうだったから。スタジオで「コンフェス」を録音しようとしたけど、バックコーラスがいなかった。雇うお金がなかったから、私のマネージャーが多重録音したらどうかと提案したの。」
当時の録音技術では、アセテート盤に直接録音しなければならなかったので、エンジニアは操作盤を配線し直すことで二つのレコーダーをつなげなければならなかった。ペイジが最初に録音した盤に合わせて歌うと、第二の機械がそれを第二のディスクに録音した。修正がきかないので、もし一曲を歌う間にミスを犯せば、その盤を捨てなければならなかった。マーキュリーレコードが「コンフェス」を発売したとき、レコードには「パティ・ペイジとパティ・ペイジによる歌」と表示されていた。次のシングル "With My Eyes Wide Open, I'm Dreaming" は四重唱で、レコードには「パティ・ペイジとパティ・ペイジとパティ・ペイジとパティ・ペイジ」と表示されていた。
最初に多重録音したのはペイジではなかった。オペラスターのローレンス・ティベット Lawrence Tibbett は1931年に "The Cuban Love Song" でテノールとバリトンを歌い、ジャズマンのシドニー・ベチェット Sidney Bechet は1941年の "The Sheik of Araby" でサックス二本、クラリネット、ピアノ、ベース、ドラムを多重録音した。しかし、パティ・ペイジは、多重録音の魅力を一般大衆に知らしめた最初のミュージシャンだった。すぐに彼女は二人の若い成り上がり者と競争することになる。レス・ポールとメアリー・フォードの多重録音は、さらに進んでいた。(続く)
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最初のロックンロール23曲目は、レス・ポールとメアリー・フォードの「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」。
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といっても、誰も応募がなかったので、自分で書いて、自分で確保しておきます(募集したのは1月9日)。マカロニウエスタンは、高校まではテレビでよく見ていたけど、それ以降はレオーネ作品を見るぐらいで、特にファンというわけではありません。
1. 荒野の用心棒/夕陽のガンマン/続・夕陽のガンマン
セルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演、エンニオ・モリコーネ音楽の有名な三作品。これらは一緒にしておかないと、トップファイブを独占してしまう。
2. 続・荒野の用心棒
「続」が付いていても、「荒野の用心棒」とは関係ない作品。双葉さんの本によれば、日本では、「荒野の用心棒」が1965年12月、「続・荒野の用心棒」が1966年9月に公開されたようで、この二本がマカロニウエスタンブームの起爆剤になったに違いない。セルジオ・コルブッチ監督、フランコ・ネロ主演。音楽はだれか知らないけど、歌入りのテーマ曲がカッコいい。一匹狼が痛めつけられて、最後に逆転するというストーリーが私の好み。中学の時にテレビで見て印象深く、ロレダナ・ヌシアクという相手役女優の名前を今でもおぼえています。
3. ウエスタン
セルジオ・レオーネ作品。上記三本と区別しているのは、主演がクリント・イーストウッドではないから。イーストウッドに代わる名無し野郎はチャールズ・ブロンソン。他にヘンリー・フォンダ、クラウディア・カルディナーレ、ジェーソン・ロバーツ主演。モリコーネのテーマ曲は最高の映画音楽だと思っているのですが、映画自体は、長たらしいし、ヘンリー・フォンダの悪役がしっくりこないし、カルディナーレも盛りを過ぎた感じで、今一つ好きになりません。
4. 南から来た用心棒
ミケーレ・ルーポ監督、ジュリアーノ・ジェンマ主演。映画を好きになり始めた中2の終わりごろ日曜洋画劇場で見て、面白かった記憶があります。
5. 殺しが静かにやって来る
セルジオ・コルブッチ監督、ジャン・ルイ・トランティニアン主演。子供のころ声帯を切られて声が出なくなった孤独な一匹狼の寂しい物語。自分が孤独を感じていたからか、こういう主人公にはとても共感してしまいます。最後まで主人公がかわいそうなのが残念。
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