もともと「スクリーン」1959年9月号に掲載されていたもの。デュビビエは第二回フランス映画祭のために来日していたようです。例によって、植草甚一さんを「JJ氏」と表記します。(私は「ヴ」を使うのが好きじゃないので、もとの文章を転記している場合には「デュヴィヴィエ」にしていますが、私がつけ足した部分は「デュビビエ」にしています。読みづらかったら、申し訳ない。)
ジュリアン・デュビビエは1896年生まれで、1967年に運転中、心臓麻痺で死亡。代表作は、「にんじん」(1932)、「商船テナシチー」(1934)、「白き処女地」(1934)、「地の果てを行く」(1935)、「我等の仲間」(1936)、「望郷」(1937)、「舞踏会の手帖」(1937)、「旅路の果て」(1939)、「運命の饗宴」(1942)、「巴里の空の下セーヌは流れる」(1951)、「陽気なドン・カミロ」(1952)、「埋もれた青春」(1954)、「殺意の瞬間」(1956)、「殺人狂想曲」(1957)、「並木道」(1961)、「悪魔のようなあなた」(1967、遺作)など。
トリュフォーはデュビビエの「殺意の瞬間」のジェラール・ブランを見て「あこがれ」に起用したし、「大人は判ってくれない」に次ぐジャン・ピエール・レオの主演作はデュビビエの「並木道」だったように、良質なフランス映画の伝統を担う映画人の中では、さほどトリュフォーに嫌われていなかったようです。社会派ドラマや文芸作品を尊大に作る監督や脚本家たちは嫌いだったけれど、職人肌のデュビビエはそれなりに評価していたってことかもしれません。「デュヴィヴィエは57本撮っている。私はそのうち23本観て8本気に入った。」(原書房「フランソワ・トリュフォー」、123ページ)
では、JJ氏の会見記を読んでいきます。さほど長くない。
「趣味は?」と聞くと「眠ることです」と答えるのがいいじゃないですか。若い男優ではドロンとブリアリが有望だと答え、「危険な曲り角」のジャック・シャリエは「ふにゃふにゃした魚のようだ」とあしらう。実際、ジャック・シャリエなんてもう誰も知らない。JJ氏が通訳を通して「「埋もれた青春」の複雑なフラッシュバックは計算したものですか」と尋ねると、「計算なんか、すこしもしませんよ」と答える。西部劇は見たくもないし、モダンジャズは聴きたくもない。
そばにミレーヌ・ドモンジョがいたので、モダンジャズについて聞いてみると、バド・パウエルとチャーリー・パーカーが好きだと言う。
影響された監督はトマス・H・インスだけで、好きな監督はジョン・フォードとウィリアム・ワイラー。ジョン・ヒューストンもいいけど、ヒッチコックは好きな作品と嫌いな作品がある。
カイエ・デュ・シネマについて「みんな、あまりに真面目すぎる」と答えたので、JJ氏は、カイエ・デュ・シネマの若い連中はロッセリーニやヒッチコックをやたらほめて、カルネやデュビビエの最新作をコテンコテンにやっつけるので、「真面目すぎる」という言葉には「すこしバカだ」という意味が込められていると推測します。
「ぼくの隣にいた芸者がデュヴィヴィエって何者か知らないのでしかるべき説明をしたうえで、六十三歳だと付け加えると「まあ、外国の人って若いものですのね」といい、感心したような顔をしながら見ていた。」
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