First R&R(17曲目):The Fat Man(その2)
ニューオリンズのJ&Mレコード店の裏にあるJ&Mスタジオは、さほど利点がない。部屋の大きさは縦横3メートルから4メートルほどしかない。オーナーでエンジニアのコジモ・マタッサ Cosimo Matassaによれば、「詰め物をいっぱいした部屋だった。床にはカーペットを敷き、壁は柔らかいセルテックス(cellutex。繊維素材)の防音板だったし、天井もセルテックスだった。」エコーが生じないので、音楽は乾いた平板なサウンドとなった。マタッサは楽器のバランスをとるのが下手だったし、マスターディスクを作る旋盤が録音をダメにすることが時々あった。だが、J&Mスタジオには、にぎやかに楽しむことのできる専属バンドがいて、それはニューオリーンズ・バンドだったから、他のスタジオでは味わえないものがあった。
歌手ロイ・ブラウン Roy Brown とバンドリーダー、ポール・ゲイトン Paul Gaytonのおかげで、ニューオリンズはナウい街いう評判が高まり始めていた。ロサンジェルスのインペリアル・レコードの所有者ルー・チャッド Lew Chuddは、メキシコ音楽のレコード会社というイメージから抜け出すために、新たなR&B分野に最初から加わって有利な立場に立とうとニューオリンズに飛んだ。最初の仕事は、28歳の黒人トランペッター兼バンドリーダーのデイブ・バーソロミューをインペリアルのA&Rマンとして雇うことだった。バーソロミューは、週末にJ&Mレコード店から放送されるドクター・ダティ・オー Dr. Daddy-Oのラジオ番組で演奏し、J&Mスタジオの専属バンドを率いていた。
チャドが、ニューオリンズの有能なミュージシャンについてバーソロミューにたずねると、バーソロミューは、「ハイダウェイ・クラブで演奏しているファッツ・ドミノって奴がすごいって評判だ」と答えた。金曜の夜、バーソロミューとチャドがクラブを探し出し、ベースプレーヤーのビリー・ダイアモンドのバンドでピアノを弾いていたファッツを聴いた。バーソロミューは次のように回想する。「ファッツは囚人がよく歌う「ジャンカー・ブルーズJunker Blues」を歌っていた。ジャンキー(麻薬中毒者)の歌だ。1949年12月には、ほとんどがこの言葉の意味を知っていなかった。ファッツにレコードを作ってみないかと持ちかけ、チャドに紹介した。」
五日後、ファッツ・ドミノは、バーソロミューの八人のバンドとともに、コジモ・マタッサのスタジオにやってきた。バンドには、サックスのハーブ・ハーデスティ Herb Hardestyとアルビン・「レッド」・タイラー Alvin “Red” Tyler、ギターのアーネスト・マクレーンErnest McLain、ベースのフランク・フィールズFrank Fields、ドラムのアール・パーマー Earl Parmerがいた。このバンドは、ほとんどメンバーを変えず、このあと15年間、ドミノのバックを務めることになる。最初の曲は「ファット・マン・ブルーズ Fat Man Blues」で、ドミノがクラブで歌っていた「ジャンカー・ブルーズ」を作り直したものだった。
「ジャンカー・ブルーズ」は、1941年にチャンピオン・ジャック・デュプリーがコロンビア傘下のオーケー(Okeh)レーベルから発売していた。ファッツはデュプリーの歌詞を「いつもラリッているからジャンコと呼ばれている」から「20ポンドあるから太った奴と呼ばれている」に変えた。また、針、マリファナたばこ(reefer)、コカインといった言葉をすべて削除した。(のちにプロフェサー・ロングヘアは「ジャンカー・ブルーズ」のメロディをパクって「ティピティーナTipitina」を作り、ロイド・プライスは「ローディ・ミス・クローディLawdy Miss Claudy」を作った。)
チャドは、題名を「ファト・マン・ブルーズ」から「ファット・マン」に変えた。この曲は、ニューオリンズのR&Bとしても変な構造をしている。ファッツは、ロングヘア風ブギーを何小節かピアノで連打したあと、次のように歌う。「200ポンドあるから太った奴と呼ばれる。振舞いをわきまえているから女の子はみんな俺が好き。俺はランパート通りとカナル通りの角に立ち、すごいギャルたちを眺める。」ここまでは何も変わったところはないが、次の16小節、ファルセットボイスで「ワー、ワー、ワー」とミュート・トランペットの音をまねる。次の20小節はブギピアノの演奏で、最後にナンセンスな歌詞を1番歌う。
バーソロミューは、音がゆがんでいるので、最初は確信が持てなかった。「サックスは粗すぎるし、私はコントロールルームにいたのでトランペットを吹くことができなかった。それで、ファッツはピアノをガンガン鳴らした。ピアノは他の楽器よりもはるかに高く鳴り響いた。そういうふうにはしたくなかったけれど、しかたなかった。」
スタジオには三つのコンセントと三つのマイクしかなかった。ピアノにマイクを一つ割り当て、すぐそばでサックス奏者二人に演奏させた。二番目のマイクはギタリストとベーシストが共有した。三番目のマイクはファッツの歌に使用された。ドラマーのアール・パーマーは、三本のマイクに音が入るように大きく打ち鳴らさなければならなかった。マタッサがファッツとバンドのバランスをきちんととるのに苦労したのは無理もない。
(続く)
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